頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

一年前、「ありがとう」とか「感謝します」とか言っていたらいいことが起きるようになる、と書かれた本を読んたのだが、それ以来ぼくは素直にそれを実行している。

最初は別にこれといった変化はなかった。
特に思い入れもなかったので、それについて疑問など感じなかった。
ただ、それを言っている間は、余計なことを考えなくてすむので、何となく心地よかった。
それで充分だったわけだ。

ところが、どういう変化があったのかは知らないが、例えば嫌なことがあっても、「幸運の前触れはこういうもんだ」などと自然に前向きな受けとめ方が出来るようになった。
さらに最近は、ポイントサイトとかで、予想が的中したり、ゲームで当たりが出るようにもなってきた。
これまでクジ運が悪いと思っていただけに、この変化は嬉しい。

これからドンドンこういう事が起きるのかなと思っていたら、今日、以前応募していた懸賞が当たった。
賞品は魚沼産のコシヒカリ(新米)である。
何の前触れもなく送ってきたので、うれしさ倍増だった。

そういえば、昨日も新米をもらったのだが、これもまた予期しないもらいものだったので、うち中で喜んでいた。
やはり「ありがとう」効果なのだろうか。
もしそうであれば、近々夢も叶うことだろう。
いや、叶うに違いない。
ありがとうございます。


「大丈夫」と書いたカードを、部屋のあちらこちらに貼っている。
気落ちした時に見るためだ。
そういうつもりで貼ったのだが、不思議と気落ちする前にこのカードが目に入る。
おかげで気落ちする暇がない。
これは偶然なのだろうか、それとも何者かの計らいなのだろうか。
ものの本によれば、こういう場合は自分の信じる方が正解だということだ。
ということで、ぼくは何者かの計らいだと信じるようにしている。
そう思ったほうが夢があるし、より人生を楽しめる。


今日の亀田興毅選手の謝罪会見を聞いて思ったことだが、敬語をうまく使えなかったし、何かはっきりしない部分は残った。
だが、純粋にボクシングがやりたいというものは、充分に伝わってきた。
会見に臨む決心をした背景には、好きなボクシングをやれなくなるという危惧もあったのだろう。
これから先もバッシングは続くだろうが、今日の気持を持ち続けていれば、おそらく今回のことが帳消しになるような活躍をしてくれることと思う。

しかし、テレビ朝日の井口さんの質問はしつこかったなあ。
まるで会社の営業会議で、売上げの上がらない人間を詰めている、いやな上司のように思えた。
亀田選手をキレさせ、ボロを出させようとしているようにも受け取れた。


ポスト『頑張る40代!』のタイトルがようやく決まった。
『もう目は閉じない』である。
それに伴って、新しいブログを借りた。

http://mengly.blog.shinobi.jp/
↑こちらです。

いくつかのブログをあたってみたのだが、携帯で見られなかったり、テンプレートをいじくれなかったり、―で、こちらのブログを借りることにしたわけだ。

さて、新しいブログは、今までのように時間に追われずに、のんびりとやっていくつもりにしている。
とりあえず、今日はタイトルの由来を書いておいた。

これまでの記事、特に「ヒロミちゃん」シリーズなど繋がりのあるものについては、いちいち『頑張る40代!』にリンクを張るのも面倒なので、新しいブログにぼちぼち転載していくつもりでいる。
さあ、いよいよ2週間を切った。


およそ30分してJAFの人が来た。
電話で状況を説明しておいたが、来た人は知らなかったようで、もう一度状況を説明した。
するとその人は、いとも簡単に「ガス欠じゃないんですか?」と言う。
「ガス欠じゃないと思いますけどねえ。まだEを少し下がったくらいですから」
「そうですか。ま、いずれにしてもここでは見れませんね。まったく動かないんですか?」
「ええ」
「ちょっとエンジンかけてみましょうか」
「かかりませんよ」

ところがである。
JAF氏がエンジンをかけると、かかったのだ。
「かかりますねぇ」
「はあ…」
「じゃあ、ホームセンターの駐車場で見ますから、そこまで移動して下さい」

ぼくはまた車が止まるんじゃないかと、ヒヤヒヤしながら車を動かした。
しかし、ちゃんと50メートル先のホームセンターまで停まらずに進んだ。
入口が少し登り坂になっているのだが、そこが一番広いので、他のお客さんに迷惑がかからないと判断し、そこに車を止めた。

で、JAF氏の点検が始まった。
JAF氏はまず車を動かした。
ぼくは坂を登るような向きで置いたのだが、逆に坂を下る向きで置き直したのだ。
バッテリーでも充電するのだろうかと思っていたら、
「このままエンジンをかけたままにしておきます」と言う。
「はあ」
「もうすぐ止まると思うんですけど…」
「えっ?」

そうこうしていると、エンジン音がそれまでの「ブルブルブル」から、先ほどの「ト、ト、ト、トントン」に変わり、「トン、トン、トン、ト、…」と鳴って、止まった。

「ああ、やっぱり」
「なんですか?」
「ガス欠です」
「え?」
「止まったのは、坂道の下りだったでしょ?」
「ええ」
「この車はガソリンが少ない場合、下りの坂道とかでガソリンがエンジンに行かなくなるんですよ。だから止まったんです」
「…そうなんですか」
「ええ。いちおうガソリン10リットル用意してますんで、入れてみましょうか?」
「ガス欠なら、ガソリン入れんと動かんでしょ?」
「ええ、じゃあ入れてみますね」

JAF氏がガソリンを入れると、エンジンが動き出した。
5分ほど様子を見ていたが、止まる気配はない。
やはりガス欠だったのだ。
ということで、JAF氏はガソリン代を受け取り帰っていった。

ガス欠になったなんて、生まれて初めてのことである。
おそらくこの車には、予備タンクなんてついてないのだろう。
ま、走ればいいと思って買ったのだから、文句は言えない。
早く新車を買わんと。


こういう場合、まず何をすべきか。
ぼくは、まずそれを考えた。
で、ハザードランプをつけ、後続の車に異変を伝えた。
それから何をするか。
ハザードだけではダメだ。
で、十数年前に買った三角停止板を、ここで初めて登場させた。

ただ、置き位置がよくわからない。
そういえば何日か前、高速道路で故障していた車にトラックが突っ込んで、死者が出たというニュースを聞いた。
停止板を車に寄せて置いておくと、後続の車が気づかなかった場合、突っ込んでくる可能性もある。
そこで、ぼくは車長の何倍かのスペースを空けて、停止板を置いた。
おかげで、後続の車も早めに気づくことが出来たようで、さしたる混乱はなかった。

さて、交通上の応急処置は終わったものの、故障した車をそのままにしておくわけにはいかない。
そこで、次にJAFを呼んだ。
ところがすぐには来れないという。
どのくらいかかるのかと聞くと、30分位ですねと言う。
30分も交差点で立ち往生か。
交差点で故障して、1分でもそこにいるのが恥ずかしいのに、30分も待っていなければならないのか。

こういう時、以前なら車の中で顔を伏せていたと思うが、今は違う。
「楽しい、楽しい」とつぶやいてみたのだ。
すると、心がそれに釣られたのか、この状況を楽しもうという気になってきた。
こういう状況の時、行きすぎる人はどんな目でぼくを見るのだろうか?
それを見てみようと思ったのだ。
30分近く車上の人を見ていたが、「またか」という感じで、あまり感心ないようだった。
おそらく事故じゃないから面白くなかったのだろう。


昨日の夜あたりから、車の調子がおかしかった。
坂道を下ったり、角を曲がったりすると、エンジン音がおかしくなるのだ。
それまで「ブルブルブル」と言っていたのが、「ト、ト、ト、トントン」という。
「やっぱり中古やの」
最初はそういうふうに考えた。
機械が悪いなどという考えには至らなかったのだ。

今朝もそうだった。
嫁ブーを送って行く時にも同じ症状が出たのだ。
昨日より頻繁にその症状が出た。
だが、何とか無事に送り届けて、家まで帰ってきた。

昼間、証明写真を撮るために、近くのホームセンターに行く予定にしていた。
歩くついでに撮るつもりだったが、その時の服装がいただけない。
ということで、今日は歩かずに、車で神社に行き、その帰りにホームセンターに行くことにした。

神社まではよかった。
いや、ホームセンターの手前まではよかった。
ホームセンター前の信号待ちの時に、その事件は起きた。

またしてもエンジンが、「ト、ト、ト、トントン」と言いだしたのだ。
朝方よりも酷い音になっている。
「こんなところで止まるなよ」と思いながら、アクセルをふかした。

すると「トン、トン、トン、ト、…」となって、止まった。
ぼくは慌ててエンジンをかけ直した。
いちおうは作動する。
だけど動かない。
その動作を、何度かやったが、結局車は動いてくれなかった。
そう、横断歩道上で立ち往生してしまったわけだ。


最近の口癖は「楽しい」だ。
嫁ブーから、「最近、いつも楽しそうにしとるねえ」と言われて、「そうかなあ?」と思いながら、「楽しい」と口に出して言っていたのだ。
すると本当に楽しくなってきたのだ。
最近「魔法の言葉」というのが流行っているが、気持ちのいい言葉を口にしていると、そのうち心の中も気持ちよくなってくるものだ。

魔法というよりも、心が言葉に誘導されているわけだ。
その心を、気持ちのいい状態にしておくと、運の巡りがよくなるらしい。
ツキはそういう状態の人を好むのだという。
ぼくのように「楽しい、楽しい」と言って楽しくなる人間は、もうそれだけでハッピーなのだ。
ハッピー、つまり幸運なのである。

ということがわかったので、今度は「金持ち、金持ち」と言っていることにしよう。
そうすれば金持ちになるはずだ。
ついでに、「日記書ける、日記書ける」も言っておこう。
そうすれば、二日も遅れることはなくなるだろう。


次に借りるブログを探しているうちに夜が明け、そうこうしているうちに日が暮れて、結局翌々日の更新となってしまった。
どこも一長一短あって、「これは!」というのがなかなか見つからない。
何かの本に「何ごとも80%でいい。100%を求めてもろくなことはない」と書いてあった。
つまり腹八分目ということだが、なるほどその通りだ。
別にぼくは完全主義者ではないが、こういう時に限って、ついよりよいものを探してしまう。
いいかげんに妥協しよう。


家から小学校に行く途中に、ぼくの通った保育園がある。
その保育園の入口まで、歩いて3分程度だろうか。
昔は実家から通っていたが、その実家から保育園までは、今のぼくの足で8分程度だ。
距離にすると、800mくらいだ。
大した距離ではない。

ただ、幼かった当時のぼくの感覚からすれば、けっこう遠くに感じていた。
それに加えて、集団登園でダラダラ歩くものだから、20分近くかかっていたような気がする。
20分を今の感覚に換算すると、2km位だろう。
保育園時代の思い出は、なぜか冬のものが多いが、それはきっと、平均温度が今よりもずっと低かった頃の、厳しい冬の寒い中を感覚2km、つまり20分歩かされていたせいだと思っている。

ところで、今ぼくが住んでいるところは、実家よりもずっと保育園寄りにある。
歩いて3分程度の距離だ。
ところが、その3分が遠くに感じるのだ。
しかも、保育園の入口付近を歩く時は、真夏でも、寒い雰囲気を感じる。
これも、幼い頃の「感覚2km」や「寒い冬」のイメージがついてしまっているせいなのだろう。


ある本で読んだのたが、占いはあまり見ない方がいいらしい。
その日が良ければ問題ないのだが、悪ければマイナス思考に陥りやすいのだそうだ。
それよりも神社でお参りして、「神様に頼んだから大丈夫」という気分でいたほうが、幸運が舞い込んできやすいらしい。

そういうわけでもないが、ぼくは『めざましテレビ』の星占いコーナーは見ないようにしている。
ぼくが見る時は、さそり座が良かったためしがないのだ。
さそり座はかに座や魚座と同じグループだから、特に悪い方にかに座とか魚座という名前が出ると、目を閉じ耳を塞いで、見聞きしないようにしている。
そういう時は決まって、さそり座が最下位なことが多い。

そういう努力をしていても、どうしても聞いてしまうことがある。
そういう時も最下位だ。
そうなったら、ぼくはすぐに新聞の誕生月占いを見る。
そこにいいことが書いてあったら、プラスマイナス0で問題なくなるからだ。

問題は、どちらも悪かった時だ。
この時の脳内は、すごくマイナスになっている。
気にするまいと思っても、すぐに意識がそちらに行ってしまうのだ。
そうならないために、念仏を唱えたり、「大丈夫」だとか「ありがとう」だとか、とにかくプラスの言葉を繰り返し口にしている。
気持ちと闘うというのは、けっこう重労働だ。
ようやくそのことを気にしなくなった時は、かなり疲れている。
そういう理由から、ぼくは朝の星占いを極力見ないことにしているのだ。


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