頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

2002年04月

ここ数ヶ月、ぼくは人様の掲示板に書き込んだことがない。
もし、名前が「しろげしんた」なり「しんた」なり書いている書き込みがあったら、それは荒らし君の愉快ないたずらだと思っていいだろう。
昨日、久々に荒らし君が登場し、愉快な書き込みをいただいた。
どうやら、「SHINTA」のドメインをよこせ、ということである。
そうは言いましてもねえ、ここはお金を払って借りているところだし、一年間使い切らないともったいない。
そういう理由があるんですよ、荒らし君。
君も言っているように、ぼくは貧乏人ですからねえ。
ということで、せっかく書き込んでもらったのだから、と少し申し訳ない気もしたが、削除させていただいた。

ところが、今日の夕方だったか、めけずにまた書き込みをしてもらった。
今度は過激な画まで入れてくれている。
ぼくは基本的にこういう面白い画は好きなのだが、ぼくのネットワークが協力して削除してくれた。
これもまた惜しいことをした。
荒らし君は、またここに書き込んでくれるんだろうが、惜しむらくは、ぼくのネットワークが、また削除してしまうだろう。

しかし、これではみなさんに、荒らし君の活躍をお見せすることが出来ない。
どうしようか?、と悩んだ挙句、荒らし君専用の掲示板を作ることにした。
名付けて『頑張る荒らし君!』
『頑張る40代!』同様、可愛がって下さい。

さあ、荒らし君、君の未来はここにある。
頑張れ!!


ああ、忘れていた。
荒らし君、日記のネタをありがとう。合掌


昨日から、やんぽう通信のほうに、『ミエコ』を書き始めた。
最初は毎日更新しようと思っていたのだが、日記も書かなければならないので、今のぼくには負担が多すぎる。
ということで、『ミエコ』の更新は、仕事が休みの日にします。
毎日の更新を期待していた人、ごめんなさい。

今度の休みは木曜日になるから、5月2日か。
え?! 何かこれは!
今、カレンダーを見て気がついた。
休みばっかりじゃないか。
ぼくは、ゴールデンウィークとはまったく縁がないので、今年のゴールデンウィークが、いつ始まり、いつ終わるかなんて気にしていなかったのだが、こんなのありか!?
まず、4月27日(土)から29日(月)まで3連休。
5月1日(水)がメーデーで休み。
3日(金)から6日(月)まで4連休、ときている。
何と、10日間で8日も休みじゃないか。
学生はメーデーは関係ないが、それでも7日も休みがある。

これを、ぼくが学生の頃の暦に置き換えてみると、
4月27日は土曜日だから学校がある。
28日は日曜日だから休み。
29日は天皇誕生日で休み。
30日から翌2日までは学校。
3日は憲法記念日で休み。
4日は土曜日で学校。
5日は子供の日だが、悪いことに日曜日と重なっている。
6日はもはやゴールデンウィークではない。
と、10日のうち4日しか休みではない。
ぼくたちは、休日率4割程度で喜んでいたのか。
28,29日の2連休だけだから、どこにも行けないし。
いったい、あの頃は何をしていたんだろう。

覚えているのは、小学校4年生の時、動物園に行ったことと、翌年、5年生の時に、クレージーキャッツを見に行ったことだ。
5年生の時は、クレージーを見ることよりも、同じ日に近くの市民会館でやっていた、ザ・タイガースがコンサートのほうが気になっていた。
ぼくとしては、クレージーよりもタイガースを見たかったのだ。
あとは、高校1年の時、柔道部で新入部員の歓迎キャンプに行ったことくらいか。
高校の裏山でキャンプをしたのだが、当然参加したのは野郎ばかりで、色気もくそもなかった。
まあ、ゴールデンウィークといったら、その程度の思い出しか残ってない。
やはり、夏休みや冬休みに比べると、ゴールデンウィークというのは印象が薄いものである。

そういえば、東京にいた頃、ゴールデンウィークに帰省したことがある。
20年以上も前の話だが、その頃はまだ今ほど民族大移動は行われていなかったような気がする。
なぜなら、その時は飛行機で帰ったのだが、スカイメイトを使ったため、空席待ちをしていた。
かなり時間がかかると思いきや、すぐに飛行機に乗れたのだ。
お盆や暮れの帰省時には、乗るまでにかなりの時間を要している。
やはりそこには、昔のゴールデンウィークは、今ほど休みがなかった、ということもあったのだろう。

しかし、3日休んで3日行って4日休むんじゃ、子供たちは浮ついて、勉強どころじゃないだろう。
ぼくたちの時代も、飛び飛びで休みだったせいか、学校に行っても、浮ついて勉強どころではなかった。
そのせいで、この時期に何度か、怪我をするなどの事故が起きている。
今回みたいに、3連休と4連休に挟まれた3日間というのは、ぼくたちの時代以上の危険性を持っているだろう。
政府もこのへんを踏まえて、いっそ企業並みに10連休などにしてはどうだろうか。
それが本当の意味の、ゆとり教育だと思うのだが。


久しぶりに、日曜日が休みだった。
サービス業に携わっていると、なかなか日曜日に休みが取れない。
前の会社では、土曜日や日曜日に休みを取るには、店長の許可をもらわなければならなかった。
「店長、来月の○日の日曜日、友人の結婚式があるので、休みがほしいんですが」
「え、日曜日に? 断るわけはいかんとね」
「そんなことはできません」
「困ったねえ。で、披露宴は何時からあるんかね」
「午後1時からですけど」
「じゃあ、午前中は仕事が出来るやないね。で、何時まであるんかね」
「おそらく、3時までだと思うんですけど」
「じゃあ、それが終わってから来れるねえ」
と、いつもこんなやり取りをやっていたものだった。
披露宴で一杯やってから仕事をするというのも、考えものである。
とにかくきつい。
半分眠気もさしているから、効率が上がらない。
とくに、客商売という仕事の性格上、酒を飲んで仕事をするというのは、褒められたものではない。
一般にこの日だけは無礼講と言わていれる初売りでも、仕事中に酒を飲むことを、ぼくは好まない。
とにかく、前の会社は、土日の休みを罪悪視するようなところだった。
別に、ぼく一人休んでも、大勢に影響はないと思うのだが。

さて、今日は午前中に黒崎に行ってきた。
話題のブラウザ『Opera』の本が出ているといううわさを聞き、本屋にその本を探しに行ったのである。
しかし、その本を見つけることは出来なかった。
しかたなく、代わりに別の本を買おうと、店内をウロウロと探してみた。
歴史、新書、文庫、とくまなく探してみたが、これはという本は見つからなかった。

結局買ったのは、西岸良平のコミックだった。
ぼくは、この人の作品は、『夕焼けの詩-三丁目の夕日』しか知らなかったのだが、見てみると他にもいくつか描いている。
いくつも作品があるというのは、マンガ家だから当たり前のことだが、知らないタイトルのマンガを、知ったマンガ家が描いているのを見ると、「おっ」と思うものである。
「ふーん、『鎌倉ものがたり』か。知らんなあ。・・・、ん? おお、これ西岸良平やん!」
このマンガは、「漫画アクション」に連載されていたものらしい。
実は、ぼくが今までこの手の雑誌で読んだことがあるのは、ビッグ・コミック系の「オリジナル」と「スペリオール」、あとは「ヤングマガジン」くらいしかなく、「漫画アクション」は読んだことがなかった。
だから、『クレヨンしんちゃん』が、どの雑誌に連載されていたのかを、つい最近まで知らなかったのだ。

ということで、西岸さんのコミックを何冊か買い、雑誌のところに行ってみた。
パラパラとページをめくった。
「おお!」なんと、柳沢きみおの『翔んだカップル』を連載しているじゃないか。
タイトルは『翔んだカップル21』になっているが、まさしく『翔んだカップル』である。
知らなかった。
あの名作が、アクションで蘇っていたのか。
買ってみようか、とも思ったが、電車の時間に間に合わないので、今日は買わずに帰った。

今日は黒崎に行く前から、かなり時間を気にしていた。
なぜなら、今日は、午後1時からテレビで「ダイエーVSオリックス」の試合があったからだ。
寺原投手の福岡ドーム第一球を、どうしても見ておきたかったのだ。
ぎりぎりセーフだった。
駅から走って家に帰り、慌ててテレビをつけると、寺原が今からまさに投げようとしていた。
しかし、今日の寺原はよかった。
もっと投げさせればよかったのに。

今日は天気も崩れなかったし、西岸良平の本も手に入れたし、ダイエーも勝ったし、まあ、いい一日だったと言えるだろう。
おっと、もう3時やん。
明日は仕事だし、もう寝ることにしよう。


久々に長編に取り組んでいる。
今日は仕事が暇だったので、「ミエコ」のことを下書きしていた。
すでに、何日か分の下書きが出来た。
さて、それを書いていて、気がついたことがある。
それは、今回はあまり本人が出てこない、ということだ。
また、本人が何かをやらかした、というのも出てこない。
目立つのは、ミエコの周りのキャラばかりである。
「この時のミエコの上司は誰々で・・・。あ、そういえばこの人は、こんなことをしでかした人だったんだ」
そう思うと、そのエピソードも入れないと気がすまない。
そういうエピソードも入れているので、かなり長くなったのだが、ミエコ本人のことに触れているのは、ほんの少しなのである。
ま、これはあくまでも下書きなのだから、後で修正していけばいいや、と思っているところである。

さて本題です。
何日か前にある企業からメールをいただいた。
ぼくは、メルマガをかなり多くとっているのだが、あまり読んだことはない。
なぜそのメールを読んだのかというと、普通のメールは本名で来るのだが、その企業のメールは『しろげしんた』様で来ていた。
それで、興味を持ったのである。
中身を読んでみると、「頑張る40代!」のスポンサーになりたいという。
スポンサーと言うと大げさだが、要はバナー広告を貼らせてくれ、というのだ。
バナー広告には、以前フラれた経験がある。
携帯電話代がかさむので、何とかしなければと思い、バナー広告でも貼ってみようかということになった。
そこで、ネットでそういうところを探し、その中で一番堅実そうなところを何件か選び、申請してみた。
数日後、すべてのところから、『うちには合わない』という旨の返事をもらった。
その時ぼくは、「上等やないか。じゃあ、そちらからバナーを貼ってくれというサイトにしてやろうやないか」と思ったものだ。

それから約一年、ようやくそういうところが現れたのだ。
喜んだぼくは、その企業のサイトを訪れ、内容を読んでみた。
すると、その企業が貼ってくれというのはバナーではなく、リンクのほうだった。
そこは、携帯サイト専門だったのだ。
まあ、別に収入を得られるのなら、携帯でもかまわんと思い、とりあえず申し込んでみた。
一時して、先方から返事が来た。
「OKです」とのことだった。
さっそく、携帯のサイトにスポンサー様の用意したソースを貼り付けた。
そこには『おすすめサイト!』と書かれていた。
とりあえず、そこをクリックしてみると、出会い系サイトの案内がでてきた。
内容は随時更新されるらしいので、ま、こんなのも有りだろうと、別に気にしないでおいた。

それから2,3日、仕事が忙しかったので、スポンサー様のことをすっかり忘れていたのだが、今日ふと思い出して、スポンサー様をクリックしてみると、なんと今日の案内はアダルト系だった。
もう一度戻し、クリックしてみると、今度は出会い系。
さらに戻して、クリックしてみると、そこには筆舌に尽くし難い言葉が書いてあった。
『頑張る40代!』は、「ちょこっとギャグ系サイト」ではあるが、決して「出会い系サイト」や「アダルト系サイト」ではない。
それなのに、そこに『おすすめサイト!』というコンテンツがあって、そこをクリックしたら、アダルトサイトに飛ぶ、となると問題である。
仕事中にそのことに気がついたので、家に帰ってから、すぐにこのリンクをはずすつもりでいた。
しかし、迷っていた。

家に帰ってから、「どうしようか」と、自分の右手を見るに至った。
ぼくは、迷うことがあると、最後はいつも、自分の右手を見ることにしている。
なぜなら、そこには勇気が隠されているからだ。
ぼくの右手の感情線は、手の端から端までまっすぐ横切っている。
いわゆるマスカケという手相である。
この手相を持つ人は、転んでもただ起きない性格だという。
ぼくは、自分がそういう性格であると思うことで、いつも勇気が沸いてくる。
だから、何かあるとすぐに右手を見てみるのだ。
ということで、今回は、「転んでもただ起きない性格」と確信することが、「これは好都合だ。日記のネタに利用させてもらいましょう」という答を導き出した。

ま、とりあえず携帯のサイトにある、『おすすめサイト!』を見てみて下さい。
そして何度か更新してみて下さい。
いろんなサイトが紹介されているはずです。
明日リンクを外しますので、お早目に。

最後に、『頑張る40代!』は決してそんなうわっついた「アダルト系サイト」や「出会い系サイト」なんかではない!
ということを名器して、今日の日記を終わります。
・・・あっ、しまった!


ぼくが、パソコンを買った理由は、別にホームページを始めようと思ったからではない。
その当時、iモードメールにはまっていたのだが、どうも文字数が少ない。
もともと文章にこだわるほうだったので、全角250文字では自己表現が出来ないのだ。
パソコンを買うのが一番いいのだけど、その頃はパソコンに対しては何の興味も持っていなかった。
とりあえず、パソコン以外で何かいい方法はないか、と探していたところ、ドコモのカタログで「モバイルギア」というのを見つけたのだ。
博多まで出向いて、モノを確認し、近くのドコモショップでそれを買い求めた。
その当時、どんなメールをしていたか?
そう、それが今の日記のようなものだった。
その日の出来事とか、東京時代の思い出などを、何人かの人に送っていた。


日頃の行いがいいのか、今日は寝坊せずに、無事に7時半に家を出ることが出来た。
さらによかったのは、渋滞の時間より早く、慢性渋滞地域を通り過ぎたので、懸念していた大渋滞にあわずにすんだ。
着いたのは、予定より20分も早く、8時5分だった。
これも、日頃の行いがよかったからだろう。
今日はいいことがありそうな気がする、と思っていると、大変なことに気がついた。
靴とズボンのすそが汚れているのだ。
「どうしたんだろう?・・・あ、そうか!」
そういえば、車を駐車した場所がぬかるんでいた。
そこで汚れたのだろう、泥がいっぱい付いている。
『ちぇっ、いい日じゃないやん』

さて、8時半になり朝礼が始まった。
今日のスケージュールや、役割分担を発表している。
その間ぼくは、「何時に帰れるんだろう」などと考えていた。
朝礼後、ぼくは同じくうちの店から応援に来ているもう一人の人と、カゴやカートの整理をしていた。
すると、商品部の課長がぼくのところに来て、「あんたんとこ店は、男二人もきとるんね」と言った。
「はい」
「二人もいらんやろ。今日からそちらも売り出しのに」
「そうですね」
「しんた君は帰っていいよ。その分売上げ上げて」
新店は食品中心の店で、一度も食品に携わったことのないぼくは、内心ほっとしていたが、もう一人の人に悪い気がして、躊躇していた。
そこに、店舗のほうの課長がやってきた。
「しんた君、帰り。ここは一人でいいよ」
ということで、ぼくは店に帰ることになった。
朝礼が8時半、ぼくが「帰れ」と言われたのが9時10分、その間やったことはカゴとカートの整理だけだった。
前の日に渋滞のことで悩み、普段より1時間半も早く起きて家を出、朝礼後に「帰れ」である。
いったい何しに来たんだろう。

さて、店に帰る時に、ひとつ気になっていることがあった。
それは、今日は普段と違う格好をしている、ということだった。
普段と違う格好とは、Yシャツ・ネクタイ姿である。
新店の応援者は全員ネクタイ着用、となっていたから、いやいやそういう格好をして行ったのだ。
ぼくは普段店では、荷出しなどの作業が多いので、Tシャツの上に店のジャンバーを引っかけているだけである。
しかも、4月に入ってからは、店の中が暑いので、ずっと半袖である。
ところが今日は、「外にいることが多くなるだろう」と聞いていたので、わざわざ長袖のYシャツを着て行った。
それが、店に戻ることで裏目に出るのだ。
「このままの格好でおろうかのう。Tシャツの新しいの買おうかのう」
そんなことを考えているうちに、店に着いた。

店長が「どしたん?」と訊いたので、帰ってきた理由を説明した。
それから売場に行き、売出しの準備をした。
しばらくして、店の朝礼が始まった。
ところが、パートさんがみな、ぼくのほうを注目している。
ぼくが「どうしたんだろう?」と思っていると、
「しんちゃん、ヘンな格好」
「何でネクタイとかしとるんね?」
と言い出した。
しまいには笑い出す人も出る始末だ。
ぼくが「そんなに、おかしいかねえ」と訊くと、「だって、見慣れんのやもん」と言う。
ぼくは、密かに『自分はネクタイ姿が似あっとる』と思っていたので、これはショックだった。
朝礼が終わった後、慌てて隣の衣料品売場に行き、Tシャツを買った。
何とか動きやすい格好に整えた。
しかし、Tシャツのほか、ポロシャツなども買ったため、結局8千円ほど使ってしまった。
予期せぬ出費である。
いずれ買おうとは思っていたが、今日買う、ということは少し損をしたような気がする。
『チェッ、全然いい日じゃないやん。ぶー』

さて、今日はここまでです。
「ミエコちゃん」を期待していた方、もう少しお待ち下さいませ。


明日は何年ぶりかの早出である。
新店オープンのため、応援に行かなければならない。
朝8時半に集合ということだから、遅くとも7時半に家を出ないと、間に合わない。
新店は、うちの店からあまり離れていない場所にある。
家からの直線距離では、若干近い。
ということは、普段なら20分ぐらいで着く距離なのだが、何せ時間が時間である。
一般の人の通勤時間と重なってしまう。
となると、これは地獄である。
こちらの渋滞は、生半可なものではない。
ノロノロでも前に進めばいいのだが、こちらの渋滞は進まない。
ひどい時には、20分かかって10mほどしか進まなかったこともあるのだ。
今は、道路状況も少しは改善されているから、そこまでの渋滞はないだろうが、それでも覚悟はしておかなければならない。

以前も、同じ時間に出勤しなければならないことがあった。
その時には倍の時間を見積もっていた。
つまり、集合時間の40分前に家を出たのである。
しかし甘かった。
着いたのは、集合時間から10分ほど過ぎた時間だった。
当然、「お前、もっと早く出て来い!」と文句を言われた。
ということで、今回は通常の3倍の時間を見積もって、1時間前に家を出ることを決めたのである。
新店のある場所も確認してきた。
どの道を通れば早く着くかも調べた。
おそらく明日は楽勝だろう。
しかし、それもこの日記が何時に書き終わるかにかかっている。

そういえば、前にいた会社に、ミエコという女の子がいた。
彼女はぼくの部下だったのだが、遅刻の多い子だった。
その遅刻の理由というのが面白かった。
普通、会社での遅刻というのは、「寝坊した」「電車が遅れた」「渋滞に巻き込まれた」という理由が圧倒的に多いだろう。
しかし、ミエコの場合は違っていた。
彼女は、「9時半に会社に着くためには、何時に家を出たらいいのか」という計算ができなかったのだ。
「ミエコ、お前、今日何時に家出たんか?」
「8時50分」
「お前の家からここまで1時間かかるのに、どうして40分前に家を出るんか」
「だって、何時に出ていいか、わからんやったんやもん」
「お前、9時半の1時間前っちゃ何時か?」
「9時半の1時間前やろ、うーん、8時半!」
「そう、8時半やろ。じゃあ、何でその時間に出らんとか」
「ああ、そうか。そうやって計算するんか」
である。
しかし、その翌日には、決まって突拍子もない時間に来たものだ。
一度、8時に来たことがある。
「お前、何時に家出たんか?」
「7時!」
「ばかか、お前は!前にも言うたやろ、8時半に家を出れば間に合うっち」
「ああ、そうやった」
しかし、その翌日には、また遅刻である。
このミエコとあのモリタ君のおかげで、ぼくはいつも神経をすり減らしていた。

さて、学生時代の半分以上を遅刻していたぼくはどうだったのか、というと、前の会社ではいたって真面目だった。
遅刻したのは2回だけであった。
一度目は、歩道橋の階段の手すりに頭をぶつけて、5針縫う怪我をした時だった。(11月3日の日記参照)
二度目は、ストーブの火を消し忘れ、途中でそのことに気づいて、引き返した時である。
会社には電話を入れておいたが、理由が理由だけに、何も咎められなかった。

あ、もう午前0時を過ぎている。
早く寝ないと遅刻してしまう。
ということで、新たに登場したキャラ「ミエコ」のことは、また追って書くことにします。


ヒトは誰しも、卵の時期がある。
離乳食を食べるようになり、二本足で歩けるようになるまでが、その時期に当たる。
一般に「かわいい、かわいい」とちやほやされる時期である。
だいたい、この時期は見るもの触るものに興味を抱くだけだと思われがちだが、この時期の精神活動たるものや、凄いものがある。
前世のトラウマ、プライド、癖、しがらみ、などすべてを清算する、という大事業を行っているのだ。
ここで、前世を無事に清算させて、新しい人生を始めるのである。

時に、わけのわからないことで泣き出す赤ん坊。
実は、この時に過去を清算しているのだ。
よく、赤ん坊は我々大人が見えないものを見、聞こえないものを聞く、と言われる。
赤ん坊が見ているもの、それは神なのである。
赤ん坊が聞こえるもの、それは天の声である。
「こんにちは。神様です」
「だ?」
「今日は、過去を清算しに来た」
「だあ」
「○子ちゃんを覚えておるか?」
「だあ」
「そう。小学生の頃、お前が家庭科の時間にコショウをばら撒いて、くしゃみをさせた子だ」
「だ、だあ」
「覚えてないだと?わしにごまかしは通用せん」
「ぶう」
「あの子それからどうなったと思うか?」
「だあ」
「知らない、か。あの子はあれから、強度のアレルギー性鼻炎になったのだ」
「・・・」
「おかげで、春先にはいつも花粉症に悩まされておった」
「・・・」
「かわいそうなことに、それが原因で婚期を逸してしまい、彼女は一生独身だったのだ」
「・・・」
「その記憶は消そう。しかしだ。今生、○子ちゃんはお前の妻になることになる」
「ぶう」
「何、好みじゃないだと?今生は好みになるのじゃ」
「ぶう、ぶう」
「性格悪かっただと?それは、お前が原因じゃないか」
「・・・」
「いいか、一生かけて○子ちゃんに償いをしろ」
「ぎゃあ」
「ふん、泣いても無駄だ」

「お前、酒が好きだったなあ」
「だあ」
「残念だが、今生では、お前は酒を受け付けない体質になるのだ」
「ぎゃあ」
「お前は前世、何度酒で失敗したと思っているのだ」
「ぶう」
「何?失敗してないだと。よく考えてみろ」
「だあ、だあ、だあ」
「ブー。3回じゃない。それは宴会で醜態を演じた数じゃないか。そうではない。前世お前は酒を飲んだ数だけ、失敗しているのだ」
「だあ」
「何を失敗したかって?人を傷つけたんだよ」
「だあ?」
「お前は前世で、よく人のことを観察していただろうが」
「キャッ、キャッ」
「笑い事ではない!それで充分に相手は傷ついたのだ。お前は人を観察しながら、時折その口から毒を吐いていただろうが。変なことばかり言いやがって。相手はそれで寿命を縮めたんだ」
「・・・」
「いいか。今生お前は、アルコールのにおいを嗅いだだけで、酔っ払う体質になるのだ」
「ふ、ぎゃあ。ふぎゃあ」

「お前は、今生もグリーンピースを食べない気でいるな」
「だあ」
「しかしだ。今生では食べてもらう」
「ぎゃあ」
「だめだ。グリーンピースの件は神様から強く言われていることだ。お前がファミレスで、ピラフに入っているグリーンピースを残したおかげで、ファミレスの従業員や周りの人がどれだけ迷惑したことか」
「だあ?」
「汚いんだよ。その残し方が。他の人のスープのカップの中に入れたり、皿の上でつぶしたりして。挙句の果てには、グリーンピースを、人が飲んでいるコーヒーの中や、背中に入れたじゃないか!」
「・・・」
「ふん、寝たふりか。まあ、好きにするがいい。お前の離乳食は、ピースご飯で決まりだ」
「ふ、ふぎゃあ」

・・・・・

ヒトは誰しも、卵の時期がある。
この時期、ヒトは前世を清算するという。

 ※すべてフィクションでございます。


最近、テレビで「大人を逃げていませんか?」という公共広告機構のメッセージが流れている。
子供に対して、何も注意しない大人が増えているのは確かだが、考えてみたら、大人が子供を注意しないのは、別に子供を恐れているのではなく、その後ろにいる親を気にしているのだ。
彼らは実にうるさい。
どんな悪いことをしても、自分の子は正しいと思っている。
他人の介入を一切許さない。
口では体罰を認めても、自分の子は別だと思っている。
悪くすると、裁判沙汰になる。
結局、「こんな親を持つ子供に、誰が関わるか!」ということになる。

前の店にいた時のこと。
ぼくの部門は2階にあった。
そこには1階から上がってくるエスカレーターがあったのだが、そこを子供たちが駆け下りるのだ。
ほとんど毎日のことだった。
おそらく、親は下で買い物をしているんだろう。
もしこれで事故でもあった場合は、当然のように店が責任を問われる。
怪我でもされたら、賠償金ものである。
しかし、問題はそういうことではない。
下手をすれば、大怪我をするかもしれないのだ。
怪我をして一番困るのは、怪我をした子供本人じゃないか。
それを教えるのが、大人の務めである。

そう思ったぼくは、駆け下りる子供を見つけるたびに注意していた。
最初は「そこで遊んだら危ないよ」だったが、そんな優しい言い方をしても子供たちは聞かない。
「だって、ここ下りのエスカレーターがないやん」
生意気である。
そこで、ぼくは怒鳴ることにした。
「こらー、どこを駆け下りよるんか!!」
「ここで遊んだら、死ぬぞ!!」
効果覿面だった。
駆け下りていた子も、途中で下りることをやめ、2階まで上がってくる。
そして、すごすごと階段を下りていくのだ。
しかし、また別の子が同じことをやっている。
そこでまた怒鳴り上げる。
その繰り返しだった。
親がいても関係ない。
注意しないほうが悪いのだ。
ぼくは、どんどん怒鳴ってやった。

ある時、小学校の社会見学で、団体の小学生が2階に上がってきたことがある。
先生がいるから大丈夫だろうと安心していたのだが、子供たちは相変わらず駆け下りをやっている。
そういう場合、ぼくは先生が注意するものと思っていた。
しかし、先生は何も言わない。
ただヘラヘラと笑っているだけである。
カッとしたぼくは、いつも以上に声を張り上げ、「こらー、そこで遊ぶな!!」と怒鳴った。
その時、先生が言った言葉に呆れてしまった。
「ははは、ほーら怒られたやろうが」、だった。
『あんたたちは、引率者やないか。何をノー天気なことを言いよるんか。怪我をされて困るのは自分たちやないんか!』
ぼくは、この言葉がのどまで出かかったが、言うのをやめた。
こんな奴らに何を言ってもだめだ、と思ったからである。

ところで今日、うちのパートさんから胸のすく話を聞いた。
バスに乗った時のこと。
バスの中で、子供が騒いでいたらしい。
その子の母親は、周囲への建前から、「運転手さんに叱られるから、静かにしなさい」と注意した。
すると、それを聞いた運転手さんは、マイクで「叱るのは親の仕事でしょ」と言ったらしい。
母親は、真っ赤な顔をしていたという。

店で子供が騒いでいたりすると、母親やばあさんがこちらを見て、「ほら、静かにしないと、おじちゃんに叱られるよぉ」などと言っている。
よくよく考えてみると、おじちゃんが悪者になっているのだ。
悪者逃れをしている悪者は、あんたたちでしょうが!


K-1を見ながら書いている。
ぼくはK-1のことをよく知らないので、テレビでK-1を見るたびに、「これとキックボクシングと、どう違うんだろう?」と思っている。
またその連想から、沢村忠やロッキー藤丸の名前を思い出している。

キックボクシングは、ぼくが小学校高学年から中学にかけて、一大ブームを起こした格闘技だった。
その中でも、沢村忠はひときわ目立っていた。
プロレスでいえば力道山、野球でいえば長嶋茂雄、ボウリングでいえば中山律子的な扱いの人だった。
いわゆる時代の寵児である。
この人の半生をつづったアニメ『キックの鬼』は、クラスの男子全員が見ていた。
また、カネボウハリスが発売していた『キックガム』の点数を集めたらもらえるメダルシールは、当時の男子の憧れの一品だった。
他にも、チャンピオンベルトをもらえる企画などがあった。

沢村忠といえば、いつも思い出すことがある。
キック全盛の頃、ぼくは柔道を習っていた。
講道館指定の町道場に通っていたのだが、そこの先生の思い出である。
先生は、柔道家というよりも、実業家タイプの体格をしていた。
事実、ある会社の創業者だった。
柔道は八段で、他にも数々の古武術の段位や、柔道整復師などの国家資格を持っていた。
今も先生の名刺を持っているが、名刺にはそういう肩書きばかり書いている。

さて、この先生、肩書きどおり腕も達者だったのだが、口も実に達者だった。
確かに実績のある方で、文化勲章などももらったり、新聞雑誌に紹介されたりしていたのだが、それ以上に言うことが大きかった。
いつもいつも、自慢話を聞かされたものだ。
時には、「力道山は先生が教えた」などという、大それたことを言うこともあった。

ある日のこと。
突然先生が「今度、沢村忠が先生を訪ねてくる」と言い出した。
ぼくが「先生、沢村忠知ってるんですか?」と聞くと、先生は「おう、沢村忠はなあ、先生の弟子だ」と言った。
「沢村忠は、先生のところに泊まるんですか?」
「おう」
みんな、「すげえ」「会いたい」などと言っている。
ぼくも会いたかった。
「で、いつ来るんですか?」
「○月×日の土曜日に来る」
「え、本当ですか?」
「おう」
ということで、みんなその日を楽しみに待っていた。
ぼくは学校で柔道を習っていることを、誰にも言ってなかったので、沢村忠の件も口外しなかった。
しかし、他の人はその通っている学校でかなり広めたらしい。
そのため、沢村忠に会いたいという理由で、道場に入門する者も出てきた。

さて、その○月×日土曜日。
土曜日の練習は、午後3時から5時までだった。
しかし、その日はみな学校が引けてから、すぐに道場にやってきた。
1時半には、大半が集まっていた。
誰もが、沢村忠を見たい一心だったのだ。
しかし、練習が始まるまで、沢村忠は来なかった。
練習が始まったが、誰も真剣にやっているものはいない。
いつ沢村忠が来るのか、そればかりを気にしていた。
途中で先生がいなくなると、「沢村忠が来たんやろうか?」などと言っている。
一時して先生が戻ってくると、「先生、沢村忠は来ましたか?」などと聞く。
結局、沢村忠が来ないまま、練習は終わった。
誰もが、
「沢村忠、何しよるんかのう」
「おれ、ちょっと待っとこう」
などと言っている。
5時半を過ぎた頃、先生が戻ってきて、「何をしよるんか。早く帰りなさい」と言った。
「でも、沢村忠がまだ来てないけ・・・」と誰かが言うと、先生は「沢村忠から、さっき『夜中になる』と連絡があった」と言った。
一同「ええっ!」、であった。
しかたなく、みんな帰って行った。
しかし、ぼくは残っていた。
道場の奥に、こそーっと隠れていたのだ。
7時が過ぎた。
まだ来ない。
8時になった。
もうだめだ。
結局あきらめて、家に帰った。

しかし、ぼくは癪であった。
で、次に道場に行った時のこと。
誰もが「しんた君、沢村忠来た?」と聞いてきた。
ぼくは「おう、来たよ」と言った。
「あーあ、待っとけばよかった」
「握手もしたし、サインももらった。それと、いっしょに風呂にも入った」
「ええっ?!、風呂にも入ったと。いいのう」
8時まで待ったのである。
このくらい言っておかないと、気がすまない。
しかし、本当のところはどうだったんだろうか?
ぼくは、道場にいた先生の孫に訊いてみた。
「おい、本当に沢村忠は来たんか?」
「さあ、ぼく知らんよ。ちょっと、お母さんに聞いてくる」
『お母さん』、先生の長女である。
同じ家の敷地内に住んでいた。
しばらくして、孫が戻ってきた。
「来てないらしいよ」
話を聞いてみると、道場の練習生が、あまりに「沢村忠、沢村忠」と言って騒ぐので、先生が妬んでそういうほらを吹いたんだろう、ということだった。

そんな先生も、十数年前に他界してしまった。
今では懐かしい思い出である。
そういえば、K-1で思い出したが、今度極真の国際大会を福岡でやるらしい。
極真と言えば、空手バカ一代『大山倍達』。
彼も先生の弟子の一人である。
もちろん、先生の中では、であるが。


今日は朝から気分が悪かった。
昨日はコーヒーを飲みすぎた。
ブラック、カフェオレ、缶コーヒーなど、確実に1リットル以上は飲んでいる。
おそらく、そのせいで胃が荒れたんだろう。

ぼくは基本的にコーヒーが好きではない。
これは、小学生の頃の体験からきたものである。
確か小学4年生の秋頃だったと思うが、テレビで『ネスカフェ』のCMを見て、無性にそれを飲みたくなったことがあった。
そこで、家にあったネスカフェを取り出し、自分で入れてみることにした。
しかし、それまでぼくは、コーヒーといえばコーヒー牛乳と、学校の給食に出るコーヒー入り脱脂粉乳しか飲んだことがなかった。
したがって、コーヒーの入れ方もよくわからない。
「このくらいだろう」と思って、コーヒーカップの半分位ネスカフェ粉を入れてしまった。
えらく苦かったが、「コーヒーとはこんなものだろう」と思って、全部飲んでしまった。
じわじわと気分が悪くなり、吐いてしまった。

その年の冬、親戚の家に行った時のこと。
おばちゃんから、テトラパックのコーヒー牛乳をもらった。
さっそく飲んだのだが、ちょっと苦めだった。
飲んだ後、またじわじわと気分が悪くなり、吐いてしまった。
実は、これは練炭にやられたのだった。
窓を閉め切っていたため、軽い一酸化炭素中毒になってしまったのだ。
しかし、その時はそういうことを知る由もなく、ただコーヒーにやられたと思っていた。
それから7,8年間、ぼくはコーヒー関係の飲み物を一切口にしなかった。

なんとか、その『コーヒー=気分が悪くなる』という呪縛から逃れたのは、本格的にタバコを吸い始めた頃だった。
予備校に通っていた頃だったか、昼食を食べるために、ぼくはよく学校の近くの喫茶店に通っていた。
その店には、ぼくが高校の頃から飲み始めた紅茶が、メニューになかった。
何度か「ここは、紅茶をメニューに入れんと?」と訊いたが、いつも答は「入れんよ」だった。
しかし、食事の後に、水を飲みながらタバコを吸うのも味気がない。
そこでぼくは、タブーに挑戦することにした。
なるべく胃に負担をかけないようにミルクをたっぷり入れ、飲みやすいように砂糖を少し多めに入れた。
恐る恐るこの液体を口の中に入れてみると、これがおいしい。
さらにタバコを吸ってみると、これがまた合う。
以来、コーヒーとタバコは、切っても切れない仲になった。
後年、ぼくは何度か禁煙をしたが、その間喫茶店でコーヒーを飲むたびに、口寂しさを感じたものである。

この『コーヒー+タバコ』には、意外な効能があった。
お通じに良いということである。
ここで初めて、高校の時、保健の先生が「『タバコは百害あって一利なし』とよく言うが、一利はある。それはお通じに良いということだ」と言った意味がわかった。
若い頃、ぼくは便秘症だった。
それが、この『コーヒー+タバコ』で改善されていったのだ。
最初の頃は、喫茶店に行くたびに、便意を催して困ったものだが、それも徐々に治っていった。

しかし、それでコーヒーが好きになったのかというと、そうでもない。
コーヒーは2杯が限度である。
それ以上飲むと、今日のように胃が荒れてくる。
そういうこともあり、ぼくは、ファミレスに行った時は、コーヒーを注文しないようにしている。
何杯飲んでもただだから、調子に乗ってお代わりをしてしまうからだ。
だから、ファミレスでは他の飲み物を注文している。

ところで、家でコーヒーを飲む時に、ミルクや砂糖のほかに入れているものがある。
それは塩である。
ミルクや砂糖を入れた後に、塩を指で軽くつまんで、パラパラと振りかけるのだ。
これで味ががらりと変わる。
何と形容していいのかわからないが、とにかくまろやかな甘さになるのだ。
このことを人に言うと、いつも「お前、馬鹿やないんか」と言われるが、おいしいものはおいしい。
そういう人には、このおいしさは一生わからないだろう。
これをやる時に、気をつけなければならないのが、砂糖と塩を間違えて入れないこと、である。
ぼくは過去3度、この間違いを犯した。
さすがに飲めたものではなかった。


このページのトップヘ