頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

2003年05月

先日、ある人と話をしていたのだが、そこで盛り上がった話題がある。
それは足の臭いの話である。
今でこそそれほどでもなくなったのだが、昔はひどかった。
小学生の頃は、友人と足の臭さを競っていた。
裸足で運動靴を履いていたのだが、靴を脱ぐと決まって指の間に垢がたまっていた。
それを臭ってみると、笑いが出るほど臭い。
で、垢を集めて、友人とその臭いのきつさを競っていたわけだ。

高校生の頃も、ぼくはあまり靴下をはかなかったのだが、汗で上履きの中が腐ってしまい、それはひどい臭いがしていたものだった。
上履きを脱ぐと漂ってくる。
よく友人から「上履きを脱ぐな」とたしなめられていた。
ちなみに、ぼくが靴下を履くようになるのは、高校2年の冬のことで、理由は大風邪を引いたからである。
それ以来、夏場以外は靴下を履くようになった。

ぼくが、前に勤めていた会社に就職したのは23歳の時だった。
就職したての頃、ぼくたちは、2人一組になって配達やクレーム処理に行かされていた。
ある日、主任から「今日はここに行ってきてくれんね」と一枚の紙を渡された。
何気なくその紙を見てみると、そこに見たことのある名前が書かれていた。
『もしかしてこれは…』と住所を調べてみた。
『ああ、やっぱり間違いない』
実はその名前は、高校時代からぼくが好きだった人の、父親の名前だった。
ということは、うまくいけば5年ぶりに彼女と再会出来るかもしれない。
期待に胸を弾ませて、ぼくは車に乗り込んだ。
別に何軒か行くところがあったので、その家に着いたのは9時を過ぎていた。
「こんばんは」
「はーい」
女性の声がした。
が、老けている。
「○○店の者ですが」
「どうぞー」

さて、ここで問題が起きた。
その日、ぼくはナイロンの靴下を履ており、しかもブーツを履いていた。
ブーツを脱ごうとした時だった。
実に野性的な臭いが漂った。
『せっかく彼女に会えるチャンスなのに、この臭いでは…』
とぼくは考えを巡らした。
『そうだ! この臭いはもう一人の奴の臭いと思うことにしておこう』
そう思ったぼくは、野生の臭いをふりまきながら、家の中を歩いていった。

居間に案内されて、しばらく談笑した時だった。
カタッという音がした。
彼女の登場である。
その時だった。
玄関のほうから、プ~ンと野生の臭いが漂ってきたのだった。
それに呼応するように、ぼくの足元からも臭いが漂ってきた。
最悪である。
ぼくは足の臭いに気をとられて、ろくな話も出来なかった。

おそらく人生最大の失態だったと思う。
それ以来、ぼくはナイロンの靴下とブーツを履かないようになった。


実質、今日2作目の日記ということになる。
すでに一日の半分のエネルギーを日記に費やしているため、そうそう書けるものではない。
もし書けるとしたら、それはフィクションである。
しかし、ぼくにはフィクションを書くことが出来ない。
出来ないというよりも、興味がそちらに行かないということである。
もしきっかけがあれば書く可能性もあるのだろうが、当分はノンフィクションで走るつもりだ。
しかし、よしんばフィクションを書いたとしても、自己満足の世界にすぎないものになるだろう。

簡単に今日一日を記してみると、まず午前中は日記に専念していた。
ま、息抜きにギターを弾いていたのではあるが。
それにしても、長いことギターを弾いてないせいか、かなり腕が落ちている。
指がついていかないだけならともかくも、コードを忘れてしまっているのだ。
これは致命傷である。
バンドでもやろうかと思っていたのに、こんな調子ではバンドの練習に参加することも出来ない。
それにしても、ここ最近は、仕事、ホームページ、ギターの練習、作詞、作曲、読書など、やることが増えてきた。
忙しいのはけっこうだが、時間の配分に苦労している。

12時頃、福岡から親戚が遊びにきた。
そこで、外食することにした。
何を食べようかと迷ったあげく、天皇陛下のカレーライスを食べに行くことにした。
以前この日記に書いたことがあるのだが、うちの近くに、かつて天皇陛下にカレーを献上したことのあるシェフがチーフをやっているレストランがある、。
そのレストランでは、その時シェフが献上したカレーをメニューにしている。
親戚の人は「じゃあ、話の種に」と言い、そこで食べるとこを決めた。
それにしても、そのレストランは中高年層の女性客が多い。
男性は、一つのテーブルにつき、多くても一人しかいない。
おそらく、おばさんたちは暇をもてあまして、このレストランに集合しているのだろう。
ぼくは、こういうところはどうも苦手である。
やはり、労働者であふれかえっているラーメン屋とかのほうが性に合っている。

2時過ぎに親戚が帰った。
ふたたびぼくは昨日の日記に専念することになる。
ギターを弾きながらではあるが。

日記を更新した後、先週行ったスーパー銭湯に行くことにした。
「今日は歩いて行って、入浴後思いっきりビールを飲むぞ」と思いきや、無情にも雨が降り出した。
おまけに今日は風も強いと来ている。
しかたなく、車で行くことにした。
おかげで温泉ビールは、次回に持ち越しとなった。

2時間後、家に帰ってから今日の日記に取りかかる。
が、今度は時間がたくさんある。
「ま、のんびりやろう」と思っていたのが甘かった。
今、翌日の8時56分である。


これも5月病というのだろうか?
どうもこのところ、情緒が不安定である。
風邪がようやく治ったと思ったら、ありもしない愛人騒ぎである。
ぼく一人面白がっていたが、よくよく考えてみると、名前を挙げられた人たちにとっては、実に迷惑な話である。
みな家庭があるのだし、もしそういうことがご主人の耳にでも入ったら、大変なことになる。
そういう噂を面白がって流す人というのは、一種の愉快犯である。
軽い気持ちで、犯罪を犯しているのだ。

一番たちの悪いのが、「私、こういうことを聞いたんだけど…」とか「こういうことが噂になってるよ」などと根も葉もない話題を提供し、他の人から情報を聞き出そうとする輩である。
自分では気づいてないと思うが、えてしてそういう人は、他人からそういう人だと見られているものである。
それゆえ、みな警戒して、本当のことを教えない。

さて、話を最初の5月病に戻すが、そういういろいろなことが重なって、今心身共に疲れている。
これは5月が、春から初夏、初夏から梅雨と、二度も季節を変える月であることと無関係ではないだろう。

東京に出た年に、ぼくは5月病にかかったことがある。
別にホームシックにかかったわけではない。
体調を崩したのだ。
何となく体がだるくなり、次第に熱っぽくなってきた。
その熱っぽさの根元は、何とお尻だった。
肛門付近が、なぜかむず痒くなった。
その時はあまり気にならなかったのだが、そのむず痒さは、徐々に痛がゆくなり、最後にはヒリヒリした痛みに変わった。
「まさか…、ぢ?」
肛門周辺の痛みは、その後1週間ばかり続いた。
その間、微熱が続いた。
情緒が不安定になり、突然大声を出したり、癇に障るようなことを言ったりと、周りの人にいろいろ迷惑をかけたものだ。
そのせいで、東京でも変わり者で通ってしまった。

なぜ、こういうことになったのか。
だいたい季節の変わり目というのは体調を崩しやすいものであるが、それが5月には二度もやってくる。
しかも、東京という慣れない土地である。
水も変われば、食べ物も変わる。
緊張度も違ってくる。
そういった様々の要素が、体調に影響したとしか思えない。

しかし、なぜそれがお尻に来たのだろうか?
それはいまだもってわからない。
不潔にしていたせいで、そうなったのか。
ぼくのウィークポイントが、元々お尻にあったので、そうなったのか。
ただ、言えるのは、その時の5月病が、その後のしろげしんたの人生、その場面場面で微妙な影響を及ぼしたのは確かだ、ということである。


今日、しんたの愛人はとうとう10人になってしまった。
その内訳は、ぼくの部下にあたる人が5人、その隣の部署の人が5人である。
何のことはない、仲間内である。
つまり、「あんたが入るなら、私も入る」という軽いノリで参加しているわけである。

それにしても、いったいこの集まりは何なのだろうか?
もちろん『しんたの愛人』というのは冗談である。
おそらくは、『しんたの愛人』という名にかこつけた仲良しグループを結成したということなのだろう。
そこには、しんたはいない。

しかし、ぼくも変わったものである。
十年ほど前にああいう噂を聞いていたら、「ふざけるな!!」と目の色を変えて怒っていただろう。
それが、今では「日記のネタ」である。
それだけ大人になったのだろうか?
それとも、昔に戻っていっているのだろうか?

ぼくは小さな頃から、いわゆる逆境を遊びに変える人間だった。
詩や歌も、元々はそういう中から生まれたものである。
19歳の頃に作ったものが特に優れている、と自分では思っているのだが、その理由は、その時期が人生最大の逆境の時期だったからだ。
その逆境の時期、ぼくが何をしていたのかというと、実は自分を客観的に観察するという遊びをやっていたのだ。
その副産物が、詩であり、歌であった。
また、その延長がこのサイトである。

30歳の頃、ある人の中傷から、左遷され、外回りに回されたことがあるのだが、その時も「やったー。好きなところに行って、美味しいものを食べられる」と喜んでいた。
毎日、地図を片手に、市内の有名な店を軒並み回った。
その延長が、4月改装工事時の『せっかくだから、お昼のグルメツアー!』である。
また、その時は車での移動を許されなかったため、すべて公共の交通機関を使って移動していた。
それをまた楽しんでいた。
電車やバスで知らないところに行くというのは、胸がわくわくするものである。
後年、ローカル線の旅にはまったことがあるが、それはこの時、体験したワクワク感が忘れられなかったからである。

こうやってみてくると、ぼくは逆境にいろんな遊びや楽しみを見つけている。
それが、後年役に立っている。
もしかしたら、今回の『しんたの愛人』騒動が起きたのも、今が逆境だからなのかもしれない。
もちろん、今が逆境であるという自覚はないが、将来、この時代を振り返った時、あの頃は逆境だったと言っているかもしれない。
そして、「そういえば、あの頃『しんたの愛人』などというグループを作ってはしゃいでいた。今考えてみれば、あのノリが今に続いていると思う」などと言っていることだろう。


面白い話を聞いた。
しんたには、会社に5人の愛人がいる。らしい。
その話を聞いた途端、ぼくは吹き出してしまった。
「おお、おれには5人も愛人がおるんか。それは大変だ。で、誰が相手なん?」
その話を教えてくれた人は、3人の候補者をあげた。
ぼくがその3人を狙っているのだそうだ。
しかし、狙っているだけなら、その人たちを愛人と呼ぶことは出来ないはずだが。
まあ、そんな細かいことはどうでもいい。

その人は「この3人は外せない」と言った。
何を根拠にして、外せないのかはわからないが、その3人の名前を挙げて、ぼくの動揺する顔が見たかったのだろう。

ところが、ぼくはこのサイトのトップにあるとおり『いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう』人間である。
動揺するどころか、すぐに「おお、ありがたい。日記のネタが出来たわい」と思ってしまった。
こんな面白い話を、日記にしない手はないのである。

5人のうち3人は、その人の情報でわかった。
が、残りの2人がわからないと、この日記の幅も広がらない。
問題は残りの2人である。
そこで、ぼくはその人に「あと2人は?」と聞いた。
するとその人は「よく知らない」と答えた。
そうか、では、その噂の主に直接聞いてやろうと思った。
「うう、残念。知らんとか。じゃあ、誰がそういうこと言いよったんかねえ?」とその人に聞いた。
「この話は休憩室で聞いた話で、そこにいた人がみんなそう言いよったけねえ」
「誰がおった?」
「よく覚えてない」
覚えてないはずはない。
きっと、それを教えたら、その人が困ることでもあるのだろう。
ということで、それ以上の詮索をしなかった。

とはいえ、その5人がわからないと日記も盛り上がらない。
しかし、あと2人がわからない。
いろいろ考えたあげく、ネタ集めということで、名前の挙がった『外せない3人』に、「あんたはおれの愛人らしいよ」と言って回った。
3人ともあ然とした顔をして、終いには笑い出した。
そして、周りにいた人たちにも、「この人、おれの愛人らしいよ」と教えて回った。
誰一人驚く様子もなく、笑い出した。
「いやね、この会社にしんたの愛人が5人おるらしいんよ。で、3人はわかった。その一人がこの人なんよ。あとの2人がわからんでねぇ」
すると、周りにいた人たちは面白がって、「え、たったの5人?」などと言う人もいた。
そういう中に、「私、あと2人知っとるよ」という人がいた。
「誰?」
「それはねえ」
「うん」
「○ちゃんと私」
「え、そうやったん?」
「そうよ。それしか考えられんやん」
「そうか、あんたもおれの愛人やったんか」

そこでぼくは、その話をしたすべての人に「5人全部わかりました」と告げて回った。
ところが、それに不服を唱える人が出てきた。
「それはおかしい。何で私が入ってないと」
「そうよ。私も入ってないやん」
それを聞いた、愛人に選ばれた人が、「じゃあ、あんたも愛人に入ればいいやん」と提案した。
ということで、不服を唱えた2人も愛人グループに仲間入りした。

今、しんたには7人の愛人がいる。ことになった。
今度『愛人の集い』をせないけん。


「しばらくこちらを離れていたもんで、こちらの人の顔を忘れてましたよ」
「離れていた? どこにおったと?」
「いやー、ちょっと遠いところに。ははは」
ちょっと遠いところ、こういう人たちの言う『遠いところ』といえば、相場が知れている。
中学時代の後輩とはいえ、どうもこの手の人間は苦手である。
おまけに『遠いところ』に行っていたなどという話を聞かされたものだから、こちらの気は乗らない。
にもかかわらず、彼の話は終わらない。
最後には相づちを打つだけになっていた。
およそ30分後、彼は「じゃあ、またきまーす」と言って帰っていった。

「あいつ今何をやっているんだろう?」という疑問を持ったぼくは、ローン用紙に書かれている職業欄を見た。
「やっぱり…」
彼は自動車金融の社長をやっていた。

それから彼は、ちょくちょく顔を見せるようになった。
最初こそ一人で来ていたのだが、その後はいつも若い衆を連れていた。
ガラの悪い兄ちゃんが「しんたさんですか?」とやってきた。
「そうですけど」
「あの、社長が下で待ってますから、来てもらえませんか?」
「社長?」
「はい」
とりあえず下に行ってみると、彼がいすに座っていた。
「しんたさん、忙しいところすいませんねえ。いや、今日はこの商品を買おうと思いましてね。何も言わずに帰ろうと思ったんですけど、いちおう来たことだけ報告しておこうと思いまして。ははは」
要はまけてくれと言っているのだ。
ぼくは、その商品の担当者に、値引いてくれと頼んだ。

「ああ、この値段でいいらしいよ」
「しんたさん、すいませんねえ。そういうつもりじゃなかったんですけど。ははは」
そういうつもりである。
「ところで、これ車に乗るかなあ」
「車、どこに停めとると?」
「ちょっと大きな車なんで、路上に停めてるんですけど」
行ってみると、なるほど大きな車が停まっている。
車幅の広い外車であった。
「ははは、すいませねえ。こんな車しかなくて」
「・・・」

その後も、何度か彼は『こんな車』で登場した。
店に来ると、いつもぼくを呼んだ。
ま、考えてみると、彼は身なりこそ変だが、誰に迷惑をかけるわけではなく、来ると必ず買い物をするし、しかも金払いもいい。
いわば上得意である。
しかし、ぼくは嫌だった。
来るのは勝手だが、ぼくを呼ばないでくれ、と思っていた。
来るのは勝手だが、ガラの悪い取り巻きを連れてくるな、と思っていた。
来るのは勝手だが、その下品な笑い声はやめてくれ、と思っていた。

それから2ヶ月ほどして、彼はパッタリと来なくなった。
来なければ来ないで結構なことなのだが、それまで頻繁に来ていたので、なぜか彼のことが気になった。
それから、ぼくがその会社を辞めるまで、彼は店に来ることはなかった。
もしかしたら、また『遠いところ』に行ったのかもしれない。


今日、売場に立っていると、後ろから「おう!」という声がした。
振り向いてみると、そこには高校の同級生のAちゃんがいた。
「しんた」
「おお、Aちゃんか」
「久しぶりやねえ」
「ほんと、久しぶりやねえ。Aちゃん、いくつになったと?」
「いくつって…」
Aちゃんは、相変わらず変なことを言う奴だという顔をしていた。

ぼくはこれまで二度就職をしたが、そのどちらも職場は市内にある。
そのせいか、知り合いによく遭遇する。
前の会社で楽器を売っていた頃、一人のお客さんがやってきた。
坊主頭のスーツ姿、目つきが鋭く、その容姿に不釣り合いな派手な飾り物を身につけている。
どう見ても、堅気には見えない。
関わると面倒なので、ぼくは顔を合わさないようにし、売場の隅で「早く帰ってくれ」と願っていた。
こちらの意に反して、けっこう長い時間、その人はそこに展示してある楽器類を見ていた。
ゆっくり売場を一回りし、キーボードの前で足が止まった。
物言わずじっとそれに見入っている。
しばらくして、彼はぼくのほうを振り返り、「すいませーん」と言った。
ぼくは「捕まった…」と思いながら、その人のところに行った。

「あのー、これ、子供でも弾けますかー?」
言葉は普通だが、その筋の人たちの使う、独特のアクセントだった。
「おいくつですか?」
「4歳」
「ちょっと難しいと思いますが…」
「そーですか。じゃー、こっちはー?」
「あちらと比べると簡単です」
「そーですか。じゃー、これもらえますかー」
あっさりと決まった。
彼はポケットから財布を取り出した。
財布は分厚く、おそらく100万円くらいは入っていただろう。
そこからお金を取り出すかと思いきや、彼は「あいにく、持ち合わせがありません。ローン組めますか?」と言う。
「ローンですか。いいですよ」
ぼくはさっそくローン用紙を取り出し、彼に必要事項を書いてもらった。

「書きましたよー」
商品の準備をしていたぼくに、彼は声をかけた。
「はい」
と、ぼくはローン用紙に目を通した。
「!」
そこには、中学時代の後輩の名前が書かれていた。
しかし、関わるのがいやだったので、そのことには触れなかった。

しばらくして、ローンの承認が下りた。
「お待たせしました」
ぼくは、彼に商品を渡した。
その時だった。
彼はぼくの顔をのぞき込んだ。
「あのー、どこかで会ったことありませんかねー? 失礼ですが、中学どこでしたかー?」
「H中ですけど」
「お名前、なんと言うんですかー?」
「しんたですけど」
「ああ、しんたさん。あのー、わたしのこと覚えてませんかー?」
ぼくはわざとその人の顔をのぞき込み、「そういえばどこかで見たような」と、その時初めて気がついたような顔をした。
「やっぱり。いやー、最初からどこかで会ったような気がしてたんですよー。お久しぶりでーす」
急に彼は饒舌になった。


若い頃は、自分のことを一途な人間だと思っていたのだが、これまでの人生を振り返ってみると、決してそうだとは言い切れない。
かと言って、『恋多き男』とまではいかないようだ。
ま、人並みだと思っている。

恋、これほどやっかいなものはない。
昔から『恋の病』とか『惚れた病』などと言うが、はっきり言って恋とは病気なのである。
何が病気かというと、精神状態が普通ではないのである。
朝起きた時、早くもその人のことを考えている。
通学時,通勤時にも、その人のことを考えている。
授業中,仕事中といった神経をそこに集中させなければならない時にも、その人のことを考えている。
食事中も、トイレの中でも、入浴中も、いつもその人のことを考えている。
寝る前、さらに夢の中でも、その人のことを考えている。
つまり、一日の精神活動の大部分を、その人のために費やしているのである。
その結果、目はうつろになり、息は苦しくなり、胸は痛くなる。

これが今までのぼくの恋の姿だったのだが、もううんざりである。
これからは、もっと恋する自分というものを楽しむようにしていきたいと思っているのだが、どうなることやら。


今日は、朝8時に家を出なくてはならなかった。
そのため、昨夜はいつもより1時間早く寝た。
日記のほうは、6時に起きて書くことにしていたのだが、目覚めが悪く、起きたのは7時前だった。
1時間で日記を仕上げなければならない。
しかも、その限られた時間の中で、出かける準備をしなくてはならない。
洗顔・ひげ剃り・トイレ、その合間合間に日記を書いていった。
ボーっとした状態で、何とか文章を繋いでいったものの、なかなか思うような文章が書けなかった。
無情にも、時間だけがどんどん過ぎていく。
ようやく文章がたまった時、時計は7時50分を回っていた。
しかし、日記が出来たわけではなく、最後の部分で戸惑っていた。
「このままだと遅刻する」
そう思ったぼくは、奥の手を使うことにした。
そう、おなじみの『前編』『後編』の登場である。
おかげで、8時には家を出ることが出来た。

会社に行って後編の部分を考えていたのだが、後少しで終わる文章だったので、もうそれ以上のことは考えられなかった。
「文字数は、せいぜい200字前後か。こんなに短い後編は今まで書いたことがない。どうしよう?」
と、いろいろ悩んだあげく、オムニバスという手を考えた。
それがこの『言い訳』である。


さすがに九州内である。
注文した翌日に、『西の関』1ダースは届いた。
その日から毎日、期間にして2ヶ月でその酒を飲んだ。
途中、他の酒も飲んだりしたが、その『西の関』にかなうものはなかった。

自分を納得させる酒を見つけたせいか、その後ぼくは酒に対する興味が急速に冷めていった。
もうどうでもいい、という心境である。
たまに、コンビニやディスカウンターで『西の関』を見つけると、買って飲んでみる程度である。
今回もその流れで買ったのだが、あいかわらずこの酒は美味しい。
というより、口に合っている。


久しぶりに晩酌をした。
夕方、コンビニにタバコを買いに行ったのだが、そこでお気に入りの日本酒『西の関』の純米酒を見つけた。
さっそく、レジで支払った。

ぼくと『西の関』の付き合いは、それほど長くはない。
30歳の頃に人に勧められて飲んだのが最初だから、まだ15年くらいしか経ってない。
それまでは、あまりブランドにはこだわらずに、『月桂冠』『大関』『白雪』といった一般的なものを飲んでいた。
酒といえば「とにかく酔えればいい」という考えを持っていたので、味などにはいっさいこだわってなかった。

ところが、知り合いから紹介された『西の関』を飲んでから、その考えは一蹴された。
折しもその頃にブームになっていた『夏子の酒』の影響もあって、ぼくの日本酒へのこだわりが始まる。
日本酒の専門店に飲みに行ったり、蔵元に行ったりして、本物の味を探し回った。

そういう中で、いくつかのおいしい酒に巡り会った。
これらは一般に売っているものと違うプレミア付きのもので、例えば『越乃寒梅』は一杯3千円もした。
また、その中で印象に残った酒は、静岡の『磯自慢』である。
実にフルーティで、日本酒というより、ジュースに近いものがあった。
「これ、まるでジュースやん」とぼくが言うと、店主は「そうでしょ。寒梅とはまた違ったものがありますよね。ああ、そういえば、その『磯自慢』の中でも幻の名酒と呼ばれている酒がありますよ」と言った。
「幻の名酒? すごいねぇ。ぜひ飲んでみたい」
「実は、最近手に入ったんですよ」
「へえ、ぜひ飲んでみたい」
「でね、その名前なんですけど」
「うん」
「嘘みたいな話なんですが」
「うん」
「『江戸紫』っていうんですよ」
「えっ!?」
「洒落で付けたとしか思えませんよね」
ということで、ぼくは一杯千円する、その磯自慢の江戸紫を飲んでみた。
最初に飲んだ『磯自慢』よりも、さらにフルーティだった。

さて、ぼくの美味しい酒探しは、その後も続いた。
が、そうそう美味しい酒には巡り会えない。
さらに金が続かない。
そういう時だった。
ぼくの美味しい酒探しのきっかけとなった酒『西の関』を改めて飲む機会があった。
冬季限定の純米酒だった。
おいしい。
それまでに飲んだどの酒よりも、ぼくの口に合っている。
しかも、蔵元に買いに行く必要もなく、直送体制をとってくれている。
さっそく、酒造元である大分国東半島の萱島酒造に電話し、1ダースほど注文した。


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