頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

2003年12月

30日の日記を書き終えたのは、31日の午前2時だった。
それからすぐに寝たのだが、なかなか寝つかれない。
一時間くらい、布団の中で悪戦苦闘していた。
そのせいか、かなり寝坊をしてしまった。
予定では6時半に起きて、それから風呂に入るつもりでいたのだが、起きたのは何と7時40分。

時計を見てびっくりして飛び起きた。
そのタイミングが悪かったのかもしれない。
どうも体調が優れない。
頭がボーっとしている。
その中に、頭痛の種のようなものが蠢いている。
こういう場合は少し休んでいれば治るのだが、8時30分には家を出なければならな・
ったので、そんなことをしている暇はなかった。
起きあがって、すぐに風呂に向かった。
ところが、服を脱いでいる時に、急に腹が痛くなったのだ。
髪を洗わなければならないので、腹の痛みは我慢して、先に風呂に入ってからトイレに行こうとも思った。
しかし、腹の痛みが尋常ではない。
しかたなく、先にトイレに駆け込んだ。

案の定、下痢である。
15分くらいトイレの中に座っていた。
えらく時間を超過してしまった。
あと35分、これから風呂に入り、ひげを剃り…
ああ、しかも31日は髪を洗う日だ。

トイレを出て、さっそく風呂に入り、髪を洗った。
普段ぼくは髪だけは念入りに洗うのだが、時間の都合で簡略化した。
そのおかげで、何とか時間内に風呂を上がることは出来た。
が、髪を乾かす暇がなかった
外はさほど寒くはなかったが、それでも冬である。
おまけに雨も降っている。
これで、体が冷えてしまった。
車のヒーターを全開にして暖めようとしたが、道が空いていたせいで、いつもよりも早く、車内が充分に暖まりきらないうちに会社に着いてしまった。

会社に着いて、しばらくしてから、頭痛が始まった。
目は充血して、最悪の状態となった。
「ついに風邪を引いたか」
今年最後かつ最大に忙しい日なのに、頭は割れるように痛く、仕事に身が…、いや、仕事はいいにしろ、このままだとせっかくの正月二連休が台無しになる。
そこで、二度ほど葛根湯を飲んでみた。
が、効いた気がしない。


今年の1月と5月に大風邪を引いた。
そのせいか、風邪に対してかなり神経質になっている。
ちょっと体が冷えたり、鼻水が出たりすると、「風邪引いたんやないやろか?」と不安になっていくのだ。
何となく熱っぽくもあるし、のどもいがらっぽく感じる。
そうなると、仕事にも遊びにも身が入らなくなる。
12月に入ってから、こういう状態に何度もなった。

そこで、今年の反省をふまえて、そういう時にはすぐさま葛根湯を飲むことにしている。
葛根湯を飲んでしばらくすると、体の芯が暖まっていき、そのうち風邪に対しての不安がなくなっていく。
気がつけば、体調は良くなっている。
今のところ、この用心を重ねて行っているから、冬に入ってから風邪を引かなくてすんでいる。

世間で言われているように、風邪の引き始めの葛根湯は確かによく効く。
何よりもいいのは、漢方だから胃を荒らすこともないし、副作用もないことだ。
完全に風邪を引いた時に飲むパブロンは、必ずと言っていいほどぼくの胃を荒らす。
さらに、肌が荒れ、ひどい時には吹き出物まで出来る有様である。
こういう思いをしたくないからこそ、この冬に入ってから、極めて早く葛根湯を飲んでいるわけだ。

よく葛根湯が「苦い」だとか、「変な味」だとか言う人がいるが、ぼくはこの手の味が好きである。
それは、どことなく養命酒の味に似ているせいなのかもしれない。
全体の味は、確かに複雑怪奇ではある。
が、嫌味はない。
苦みの中に潜むほの甘さも、味わいがあっていい。

しかし、この引き始めには万能と思える葛根湯にも、欠点がないわけではない。
それは、値段が高いということだ。
高いと言っても定価で1800円(カネボウ12包入り)だから、普通の薬と変らないところなのだが、なぜかこの薬に関しては高く感じるのだ。
昼食代を削って買っているから、そう思うのかもしれない。
また、「薬と言っても、元々は草やないか」という気持ちが働いているからなのかもしれない。

とにかく、12月に入ってもう3箱も買っているので、すでに馬鹿にならない額を払っているのだ。
この投資が無駄にならないように、せっせと養生に努めていかなければならない。


年末は31日まで仕事、年明けは3日から仕事。
つまり、休みは元日と2日だけ。
ただの2連休である。
まあ、20数年間こういう生活をしてきているので、今ではそれがあたりまえのことになっている。

ぼくがもし22歳の時、こういう小売業の世界を選ばずに、年末年始にたくさんの休みを取れる企業に就職していたとしたら、今頃いったいどういう生活をしていただろうか。
考えられることは、「寝てばかりいないで、家のことをやって下さい」などと、嫁さんや母親から小言を言われる年末生活を送っているということだ。
「せっかくの休みなんだから、どこかに連れて行け」なんて言われているかもしれない。
どう考えても、ゆっくり休日を楽しむような暇はなさそうだ。

休みが少ないからこそ、惰眠をむさぼっていても、好き勝手なことをやっても、何も文句を言われないのだ。
もしかしたら、人から干渉されることが嫌いなぼくにとって、小売業というのは天職なのかもしれない。

ところで、以前デパートでコンピュータの手相占いをやったことがあるのだが、その時のぼくの天職は「小説家」となっていた。
小説家ねえ。
こういう日記なら、なんとか書けるのだが、想像力と持久力を要するような小説など、ぼくにはとうてい書けそうもない。
ほら吹きだから、話を作るのは好きだが、それを文章にするなんて、とても出来ない。
ぼくの手相の、いったいどの線が、「小説家」などというほらを吹いているのだろうか。

ミュージシャンを目指していた頃、「おれの天職はミュージシャンだ!」と無理矢理思っていた。
しかし、それが天職ではなかったことは、後の人生が証明することとなる。
天職であれば、嫌でもミュージシャンになっていただろう。

やっぱり、ぼくの天職は小売業なのかなあ。
ちょっと物足りないような気がする。


年末だからと言って、「忙しくて、忙しくて」と言うほどは忙しくない。
ほとんど普段と変わらない人出である。
ところが、なぜか気忙しい。
この気忙しさは、年末というムードから来るのかもしれない。
確かに人出は変わらないものの、お客さんの顔ぶれが若干違うのだ。
いつも来ている常連さんに混じって、どう見ても地元の人でないような人がいる。
おそらく、仕事納めと同時に、早々と帰省してきた人たちだろう。

そういえば、「今年は例年と違って、正月用品の売上げが伸びず、お掃除用品の売上げが伸びている」と、日用品の係の人が言っていた。
これも、『あるある大事典』の影響だろう。
ぼくの売場はというと、特に変わったことはない。
いつもと同じ商品が売れている。
日用品コーナーでお掃除用品が売れているからと言って、ぼくの部門で特にクリーナーが売れているわけではない。
まあ、「年末だから」と言うので、電球や蛍光灯の売上げだけは伸びているが。

ところで、毎年この時期になると、まるでこの世の終わりが来るかのように、「あれも、これも」とたくさんの物を買っている人たちを見かける。
そういう人を見るたびに、ぼくは「いったい何を焦っているのだろう?」と思ってしまう。

新しい年が来ると言っても、日が一日明けるだけの話である。
そこに、何か新しいものが待っているわけではない。
そこで待っているのは、昨日までと何ら変らない、いつもの生活なのだ。
朝が来れば、夜に向かって動き始める、ただそれだけの生活を迎えるだけのことなのに、なぜ人は焦るのだろう。
たくさん物を買えば、何か新しいことが始まるとでもいうのだろうか?
きっとそういう人たちは、自分たちが勝手に作り上げた「年末ムード」というものに踊らされている人なのだろう。

さて、今年も残すところ、あと3日である。
例年通り、ぼくは大晦日まで休まない。
なぜか?
それは、年末ムードを盛り上げ、来たお客さんに「あれも、これも」と商品を買わせるためである。


「A-2L(商品の型式)を28日までに5ケース入れて下さい」
ぼくが取引先に電話を入れたのは、今月の19日のことだった。
「はいわかりました。A-2を5ケースですね。さっそく手配しておきます」

それから5日後の24日。
その商品がまだ入ってないのに気がついたぼくは、その取引先に確認の電話を入れた。
「はい、A-2Lのほうはメーカーに直送手配を取っていますので、遅くとも26日までには着くと思います」
「26日、金曜日ですね」
「はい」

25日に入らなかったので、「やっぱり27日入荷か」と思い、もうそのことには触れなかった。
26日、つまり昨日、ぼくは休みだった。
会社から電話がかかってくることもなかったので、のんびりとことし最後の休日を過ごした。
もちろん、例の『A-2L』のことは忘れていた。

さて、今日のこと。
朝、会社に着くと、倉庫の真ん前にA-3Lが積まれていた。
「ああ、昨日着いたんだな」
ぼくはそう思って、制服に着替えに行った。
再び倉庫の前に行って、記憶をたどった。
「確か5ケース頼んだよなあ…」
そこには3ケースしか積まれてなかったのだ。
荷札を見ても、ちゃんと『5個口』と書いてある。
ぼくは『誰かが気を利かして、倉庫の中に入れてくれたのかも』と思い、倉庫の中を探してみた。
ところが、どこにもその商品が見あたらないのだ。
ぼくは売場に行き、もう一度ぼくが発注した数量を確認した。
確かに5ケースとなっている。

もしかしたら昨日欠品が出ていたのかもしれないと思い、昨日商品を受け取った人に状況を聞くことにした。
あいにく、その人は休みだった。
そこで、携帯あてに電話をかけた。
「もしもし、昨日O社の商品が入ったやろ」
「ええ」
「実は3ケースしか来てないんよ」
「ああ、運送会社の人が積み忘れたとかで、後で持ってくることになっていたんですよ」
「ああ、積み忘れか」
「はい。まだ来てないですか?」
「うん、まだ来てない」
一応安心した。

事情がわかったので、とりあえず運送会社のほうに、ちゃんと今日持ってきてもらえるかどうかの確認を取っておこうと思った。
ところが、送り状が見あたらないのだ。
倉庫、事務所、売場、すべて探してみたが見あたらない。
「ああ、きっと数が揃ってなかったけ、持って帰ったんやろう」
しかし、送り状がなければ、運送会社に問い合わせることが出来ない。
そこで、今度は取引先に確認を取った。
「先日の商品ですけど、5ケース注文してましたよねえ」
「ああ、A-3Lですね。はい、5ケースでしたよ」
「欠品とかで、3ケースしか届いてないんですよ」
「えっ? 運送会社には問い合わせてみましたか?」
「いや、送り状が見あたらないんですよ。おそらく持って帰ったんじゃないかと思うんです。メーカーのほうに控えがあるでしょ」
「ああ、じゃあ、メーカーに連絡して、送り状の控えをFAXさせましょう」
「お願いします」

しばらくして、メーカーから送り状の控えが届いた。
確かに5個口で出ている。
さっそく運送会社に連絡を取った。
ところが、何度電話しても話し中である。
やっと繋がったのが、1時間後だった。
「もしもし、×社ですけど」
「お世話になります」
「O社の荷物、ああ問い合わせ番号『○○-×××』の件なんですけど、昨日積み忘れがあったとかで2ケース足りないんです。夜持ってきてくれるようになっていたらしいんですが、まだ届いてないんです」
「それは申し訳ありません。さっそくお調べしてご連絡いたします」

1時間ほどして、ぼく宛に電話が入った。
「昨日、4ケースそちらに持って行ってますねえ」
「え? 3ケースしかありませんよ」
「いや、ドライバーに聞いたら、4ケース置いてきたということでしたが」
「誰が受けたんでしょうか?」
「○さんのサインが入ってますが」
「ああ、そうですか。じゃあ、○さんに聞いてみます」
「で、欠品分なんですが、間もなくそちらに着くと思いますので、お待ち下さい」
「はい、よろしくお願いします」

電話を切った後、ぼくはすぐに○さんの所に行った。
「昨日、何ケース入ってきましたか?」
「確か4ケースやったと思うけど」
「え? じゃあ、1ケース足りん」
「3個しかないと?」
「はい」
今度は、○さんと倉庫の中を探し回った。
やはり見つからない。
そうこうしているうちに、運送会社の人が欠品分を持ってきた。
「しんた君、商品が入ったよ」
持ってきたのは1個だけだった。

○さんが言った。
「もしかしたら、昨日売れたかもしれんよ」
「まさか…」
「一応調べてみよう。JANコードわかる?」
「31日の売り出し分ですから、登録されていると思いますよ」
「ああ、これか」
JANコードを打ち込んでみると、37台売れていることになっている。
「1ケースにいくつ入っとるんかねえ?」
「6個ですけど」
「売れたんやないんね?」
「いや、うちの女の子は触ってないと行ってましたよ」
「おかしいねえ。他に誰か触る人はおるかねえ?」
「そういえば、バイヤーが来たと言ってました」
「バイヤーが売ったんかねえ」
「そんなことはないでしょう。あ、もしかしたら、どこかの店に持って行ったんかもしれん。ちょっと振替伝票見てみます」
しかし、振り替えた形跡はない。

その時だった。
ぼくはあることに気がついた。
「確か、さっき打ち込んだJANコードは、A-2Lのものだったよなあ」
ぼくはチラシを確認した。
チラシにはちゃんと『A-2L』となっている。
注文書を見ても、『A-2L』である。
で、届いているのはA-3L…。
受注ミスである。
さっそく取引先に電話をかけた。
が、取引先は今日が仕事納めのため、もう誰も残っていなかった。

さて、どうしよう。
31日はこのA-3Lを売るしかない。
それは、今となってはどうしようもないことである。
通常の価格もA-3Lのほうが上なので、それを安く買えるのだから、それに対しての苦情は来ないだろう。
問題は、その数量が足りないということだ。
いくらいい物が安く買えても、肝心の物がなければ話にならない。
盗られたとは考えにくいことである。
明日、もう一度時間をかけて探してみることにしよう。


こういう時、FOMAは便利である。
ムーバの場合だと、前の機種を持ってドコモショップに行かなくてはならない。
そこでいくらかの手数料を払い、設定してもらわないと使用出来ない。
FOMAの場合は、携帯の中に入っているカードを取り出し、前の機種の中に挿入するだけでいい。
簡単な作業で使用出来るようになるのだ。
ということで、2月まで、ぼくは古い機種を使うことにした。

さて、2日後のことだった。
何気なく、だめになったほうの携帯電話を見ていて、ふと思った。
「もしかしたら、だめになったのは電池のほうかも」
そこで、試しに取り替えたほうの電池を、だめになった携帯に装着してみた。
すると、ちゃんと電源が入ったのだ。
データもそのまま残っているし、使用に支障はなさそうだ。
一応テストをしてみたのだが、通話も大丈夫だったし、メールも大丈夫だった。
ただ液晶の中にある水滴さえ我慢すればいいのだ。

しばらくその携帯で遊んでいた。
さすがに機種が新しいだけに、感度もいいし、操作性も優れている。
だが、その携帯を使い続ける気にはならなかった。
なぜか?
それは、心の傷である。
そう、落とした場所が場所だったし、落ちていく場面もしっかり見ていたので、どうも使う気にならないのだ。
その携帯電話をポケットに入れていると、何か汚物がポケットの中にあるような気がする。
また、食事中に電話がかかってきて携帯を取りだした場合、もしかしたら便所事件の光景が目に浮かぶかもしれないのだ。
そうなると、「もう、食べる気がしない」と言うことになってしまうだろう。

たった2ヶ月、感度の悪い機種を使えばすむ話である。
大して電話もかからないし、メールだってパソコンを使えばいいのだ。
何よりもいいのは、この機手は感度が悪いために、トイレの中では電波を拾わないことだ。
そのため、トイレの最中に、電話がかかってくる心配がない。
これで、トイレの中に、再び携帯を落とすこともなくなるだろう。


何日か前の話、ぼくは携帯電話を持つようになってから、初めての失敗をした。
携帯を水に濡らしたのだ。
濡らしたというより、水の中に落としたと言うほうが正しい。
その落とした場所が悪かった。
使用後、水を流したばかりの便器の中。
もちろん、大の方である。

普段、その最中に携帯を手に取ることはなく、おとなしく作業着のポケットの中に収まっている。
もちろん、ポケットのボタンはかけたままだ。
ところがその日、たまたま売場から電話が入ったのだ。
しかたなく携帯をポケットから出した。
「すぐに来てくれ」と言う。
ぼくは急いで、水を流して立ち上がった。
その時、前屈みになったのがいけなかった。
ポケットから、携帯電話がゆっくりと便器の中にこぼれていった。
「カチャッ」
空しい音がトイレの中に響く。
ぼくは慌てて携帯を拾い上げ、洗面所でそれを洗った。
携帯の液晶画面が徐々に薄くなっていく。
そのうち、完全に消えた。
その後、ドライヤーで乾かしたものの、一向に復旧する兆しは見えなかった。
よく見ると、液晶画面の下の方に水滴のようなものがある。
「もしかして、これが原因か」と思ったぼくは、さらにドライヤーの熱風を吹きかけた。
しかし、水滴はそのままだった。

「時間をかければ、水滴は取れるかもしれん」と、ティッシュを敷いて、一時間ほど携帯を寝かすことにした。
その間に、ドコモショップに電話をかてけて、何かいい方法がないか尋ねてみた。
「しんたですが」
「ああ、どうも。どうされましたか?」
「実は、携帯を便器の中に落としてですねぇ」
「あらら。で、乾かしてみましたか?」
「何度もドライーヤーを吹き付けてみたんやけど、電源が入らんとですよ」
「そうですか。じゃあ、どうしようもありませんね。いつ買ったんですかねえ?」
「今年の8月1日」
「ああ、買い換えまで、あと2ヶ月ありますねえ」
もちろん、すぐに買い換えることは出来るのだが、半年経たないと、ドコモはイニセンティブの適用をしてくれない。
つまり、定価で買わなければならないのだ。
「しかたないですね。じゃあ、2月まで以前使っていた機種を使うことにします」
「そうですね」


今日も昨日と同じく、暖かい一日だった。
出勤時、車の窓から日が差して、汗ばんでいたくらいだった。

さて、何日か前に、今年のホワイト・クリスマスイブ予報なるものをやっていた。
ホワイト・クリスマスイブ予想、つまりクリスマスイブに雪が降る予報という意味だ。
会社の出がけに見ていたので、最後までは見なかった。
そのため、どういう予報結果になったのかは知らない。
ちょうどぼくがそれを見た時は、過去のイブに雪が降ったデータを流していた。
「この年は、鹿児島でも降ったんですよ」
「えっ、鹿児島でですかぁ?」
この年というのは、1973年のことだった。

1973年12月24日、確かにこの日は寒かった。
その時ぼくは高校1年生だった。
特に印象深いことがあったわけではないのだが、なぜかその日のことははっきりと覚えている。

ぼくの通った高校は山の麓にあるため、行きはけっこうきつい上り坂になっている。
逆に帰りは急な下り坂となる。
その下り坂で悲劇は起こった。
その日は鹿児島だけでなく、ここ北九州にも朝から雪が降っており、山手にある学校は雪に包まれていた。
昼になっても気温は上がらず、ぼくたちが帰る頃には、かなりの箇所で凍結していた。

その日の下校時、数人の友人と校門を出た瞬間だった。
友人が滑って転んだ。
ぼくは「足腰が弱いのう」とその友人を笑った。
その時だった。
今度はぼくが足を取られ、思いっきり尻餅をついた。
「人のこと笑うけ、そうなるんたい」と、最初に転んだ友人が笑った。
ぼくが立ち上がろうとした時、また足を取られた。
その際、思わずその友人の腕をつかんだ。
すると、その友人も倒れた。
ところが、その友人は倒れる時に、もう一人の友人の腕をつかんでいたのだ。
3人が横一列になって転倒した。
周りを歩いていた多くの人たちから、笑われてしまった。
こうなればぼくたちも、笑うしかない。
後で、ぼくが道連れにした二人の友人から、「人を巻き添えにするな」「こける時は一人でこけれ」などと、散々文句を言われたものだった。

高校時代、ぼくは日記を付ける習慣がなかった。
そのため、今も記憶に残っているような大きな出来事も、日付けまでは覚えていない。
それなのに、どうしてこんなくだらない出来事の日付けを覚えているのだろう。
やはり、ホワイト・クリスマスイブだったからだろうか。
それとも、単に2学期の終業式の日だったからだろうか。


“トゥルルルル、トゥルルルル…”
「はい」
「ああ、ナオね。今日は休みか」
少し訛りのある、ドスの効いたおばさん声である。
「あのう…」
「お前がこの間言いよったことなあ…」
「どちらにおかけですか?」
「え、何言いよるんか?」
「ナオじゃありませんけど」
「何冗談言いよるか」
「こちらは、しんたですけど」
「ええっ!?」
「しんたですけど!」
「ふざけるな。忙しいのに!」
「だから違うと言ってるでしょうが!」
「何が違うんかっ!?」
「間違い電話ですっ!」
「間違い電話だとぉ? …ああ、すいませんねえ。ハハハ…」
“ガチャッ!”

今日は休みだったので、ゆっくり寝ようと思っていたら、こういう電話が入った。
最近の若い者は電話のマナーを知らないとよく言われているが、中年以降の人の中にも常識知らずな電話をかける人が多い。
店にいるとよくクレームの電話がかかってくるが、例えば自分が操作を間違っているのに、それを店のせいにするような理の通らないクレームは、年寄かおばさんからのものが多い。
それも、決まって口汚い。

とにかく、その電話のせいで、ぼくは睡眠を妨げられた上に、その後は腹が立って眠れなかった。
おかげで、今日の休みは台無しになってしまったのだった。
今年は、今日を入れて後二日しか休みが残っていないというのに…。
貴重な一日を返してもらいたいものである。


ミルキーというあだ名の子がいた。
彼女とは保育園時代から中学校まで、ずっといっしょだった。
10年ほど前に、中学時代の同窓会をしたことがある。
その時もぼくは彼女のことを、『ミルキー』と呼んでいた。
ところが、彼女はそのあだ名がずっと嫌いだったらしく、「しんた君、もう『ミルキー』と呼ぶのやめてくれん?」と言った。
しかし、ぼくは彼女のことを『ミルキー』以外に呼ぶことが出来ないのだ。
結婚して変った名字で呼んでも、名前で呼んでもピンと来ない。
やはり、『ミルキー』と呼んだほうがしっくりくる。
そう、彼女はぼくから『ミルキー』と呼ばれる宿命にあったわけだ。

彼女は遠い地に嫁に行っているため、もしかしたら、今後彼女と会うことはないかも知れない。
しかし、会うことがあったとしたら、やはりぼくは『ミルキー』と呼ぶだろう。
たとえその時が、80代であっても、90代であっても。


【おまけ】
あるパートさんが「さっきお年寄りの後ろを歩いていたら、一発かまされたんですよ」と言った。
「かまされた…。もしかしておならか?」
「ええ。私、そういうことがよくあるんですよ。それも決まって臭いやつを」
「ははは」
「笑い事じゃないですよ」
「でも、あんたは今後もずっと、年寄の後ろを歩くと一発かまされるやろうね」
「どうしてですか?」
「それがあんたの宿命やけよ」
「それって、私がそういう星の下に生まれたということですか」
「そう」
かわいそうだが、彼女は一生、年寄の臭い屁から逃れられないだろう。

  (宿命編 おわり)


昨日書いたような、おそらくぼくの前世から連綿と続く負の宿命があると思えば、こういった些細な宿命もある。

小学生の頃、誰よりも成長の早い子がいたとしよう。
成長が早ければ、もちろん下の毛も誰よりも早く生えてくる。
それを運悪く同級生に見つかってしまったとする。
おそらく、彼のあだ名は『チ○ゲ』で決まりだろう。
最悪の場合、女子からも「チ○ゲ君」と呼ばれるだろう。

小学生の頃のあだ名というのは、なかなか消えるものではない。
中学に入ってから、周りのみんなが生え揃える頃になっても、彼は相変わらず『チ○ゲ』と呼ばれている。
高校に入ってからも、そこに同じ中学校出身の人間がいた場合、その人は彼のことを「こいつのあだ名は『チ○ゲ』やった」と紹介するだろう。
そうなると、いくら本人が嫌がっても、『チ○ゲ』の呼び名は変らない。

彼の至福の時は、おそらくそれから後の数年だろう。
さすがに大学や社会では、『チ○ゲ』のあだ名を知る人がいないだろうからである。
しかし、何年か経つと、必ず同窓会というものが始まる。
そこに出席すると、「おう、チ○ゲやないか。元気か?」となるのである。
忘れていた記憶が蘇る。
結局彼は、同窓会のメンバーが全員死ぬまで、『チ○ゲ』と呼ばれることだろう。

彼は他人より少し成長が早かっただけである。
しかし、宿命的に見れば、彼が『チ○ゲ』と呼ばれる宿命を背負って生まれたがために、成長が早まったということになる。
宿命というのは、いたずら好きなのかもしれない。


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