2005年07月
得体の知れない何者かの声
昨夜寝たのは、午前1時過ぎだった。
普段は2時に寝ているから、1時間早く寝たことになる。
どうしてそうなったかというと、日記はほぼ出来上がっていたのだが、眠気が差してどうもまとまらない。
そこで、とりあええず寝て、朝少し早く起きてから日記をまとめようと思ったのだ。
そう決めてから、さっそくぼくはパソコンをスタンバイ状態にし、さっさと横になった。
さて、どれくらい時間が経っただろうか。
それまで見ていた夢が、突然滝の場面に変わった。
体中に水しぶきを浴びて、大騒ぎをしている。
その感触が実にリアルである。
ぼくは、夢の中で嫁ブーに「おい、これは夢か」と聞いた。
嫁ブーは「夢じゃないよ」と言った。
「そうか、夢じゃないんか」と思いながら、水しぶきのかかった顔を触ってみると、なるほど濡れている。
そこで目が覚めた。
が、まだ水しぶきがかかってくるのだ。
「おかしいな」と思い窓を見ると、何と外は大雨で、その雨が窓から降り込んできているではないか。
ぼくはあわてて飛び起きて、窓を閉めた。
その窓はちょっとした出窓になっていて、そこに七福神なんか置いているのだが、それがびしょ濡れになっていた。
さて、窓を閉めた後、枕元の時計を見ると4時である。
「まだ早い、もう一眠りだ」と再び横になっただった。
ゴロゴロという音とともに、稲光が走った。
その時だった。
窓の外から、「ワー」とか「キャー」といった、女子供の声が聞こえてきた。
一人二人の声ではない。
結構大勢の声なのだ。
しかし、「こんな時間に、しかもこんな大雨の中に人がいるはずはない。きっと聞き違いだ」と思い、眠りに就こうとした。
その時、またしても稲光が走った。
と同時に、先ほどの「ワー」とか「キャー」が聞こえてきたのだ。
やっぱり人がいる。
そこで、再び起き出して、窓の外を見てみた。
うちはマンションの上の階なので、周りはすべて見渡せる。
ところが、窓からは人影が見えないのだ。
人が集まるコンビニや、その前にある飲み屋や、その奥にある公園にも、人はいない。
しばらくそこで見ていたが、その後は稲光がすることもなく、声も聞こえなかった。
よくこんなことがある。
先日、夜中の3時半頃に、外から男と女が喧嘩する声が聞こえてきた。
「いつおれがそんなこと言ったか‥‥」
「あんたはいつもそうやんね‥‥」
などと、大声を張り上げて、結構派手にやり合っていた。
最初は気にしてなかったのだが、えらく長い時間それが続いている。
そこで、外を見てみた。
ところが、今回と同じく誰もいなかった。
昨年だったか、やはり女子供が大騒ぎしている声が聞こえたことがある。
それが笑い声であったり、泣き声であったり、時には嘔吐する声であったりした。
しかし、同じく人はいないのだ。
いったい、彼ら(彼女ら?)は何者なんだろう?
さて、その後「変なことで時間を食ってしまったわい」と思いながら、布団に戻ったのだが、今度は眠れない。
というより、窓を閉め切ってしまったために寝苦しくなったのだ。
エアコンを入れれば何のことはないのだろうが、ぼくも嫁ブーもエアコンがだめなので、これに耐えるしかなかった。
小一時間、寝相を変えたり呼吸を整えたりして、のたうち回っていただろうか。
そのうち、朝が来てしまった。
当然寝不足である。
さらに、昼間はエアコンで体が冷え切ってしまい、腹をこわしてしまった。
きっと、得体の知れない何者かの声が障ったのだと思う。
【今日の『つま恋行き貯金缶』】
先ほど200円入れたので、合計400円になった。
つま恋行きまで、あと72,600円である。
普段は2時に寝ているから、1時間早く寝たことになる。
どうしてそうなったかというと、日記はほぼ出来上がっていたのだが、眠気が差してどうもまとまらない。
そこで、とりあええず寝て、朝少し早く起きてから日記をまとめようと思ったのだ。
そう決めてから、さっそくぼくはパソコンをスタンバイ状態にし、さっさと横になった。
さて、どれくらい時間が経っただろうか。
それまで見ていた夢が、突然滝の場面に変わった。
体中に水しぶきを浴びて、大騒ぎをしている。
その感触が実にリアルである。
ぼくは、夢の中で嫁ブーに「おい、これは夢か」と聞いた。
嫁ブーは「夢じゃないよ」と言った。
「そうか、夢じゃないんか」と思いながら、水しぶきのかかった顔を触ってみると、なるほど濡れている。
そこで目が覚めた。
が、まだ水しぶきがかかってくるのだ。
「おかしいな」と思い窓を見ると、何と外は大雨で、その雨が窓から降り込んできているではないか。
ぼくはあわてて飛び起きて、窓を閉めた。
その窓はちょっとした出窓になっていて、そこに七福神なんか置いているのだが、それがびしょ濡れになっていた。
さて、窓を閉めた後、枕元の時計を見ると4時である。
「まだ早い、もう一眠りだ」と再び横になっただった。
ゴロゴロという音とともに、稲光が走った。
その時だった。
窓の外から、「ワー」とか「キャー」といった、女子供の声が聞こえてきた。
一人二人の声ではない。
結構大勢の声なのだ。
しかし、「こんな時間に、しかもこんな大雨の中に人がいるはずはない。きっと聞き違いだ」と思い、眠りに就こうとした。
その時、またしても稲光が走った。
と同時に、先ほどの「ワー」とか「キャー」が聞こえてきたのだ。
やっぱり人がいる。
そこで、再び起き出して、窓の外を見てみた。
うちはマンションの上の階なので、周りはすべて見渡せる。
ところが、窓からは人影が見えないのだ。
人が集まるコンビニや、その前にある飲み屋や、その奥にある公園にも、人はいない。
しばらくそこで見ていたが、その後は稲光がすることもなく、声も聞こえなかった。
よくこんなことがある。
先日、夜中の3時半頃に、外から男と女が喧嘩する声が聞こえてきた。
「いつおれがそんなこと言ったか‥‥」
「あんたはいつもそうやんね‥‥」
などと、大声を張り上げて、結構派手にやり合っていた。
最初は気にしてなかったのだが、えらく長い時間それが続いている。
そこで、外を見てみた。
ところが、今回と同じく誰もいなかった。
昨年だったか、やはり女子供が大騒ぎしている声が聞こえたことがある。
それが笑い声であったり、泣き声であったり、時には嘔吐する声であったりした。
しかし、同じく人はいないのだ。
いったい、彼ら(彼女ら?)は何者なんだろう?
さて、その後「変なことで時間を食ってしまったわい」と思いながら、布団に戻ったのだが、今度は眠れない。
というより、窓を閉め切ってしまったために寝苦しくなったのだ。
エアコンを入れれば何のことはないのだろうが、ぼくも嫁ブーもエアコンがだめなので、これに耐えるしかなかった。
小一時間、寝相を変えたり呼吸を整えたりして、のたうち回っていただろうか。
そのうち、朝が来てしまった。
当然寝不足である。
さらに、昼間はエアコンで体が冷え切ってしまい、腹をこわしてしまった。
きっと、得体の知れない何者かの声が障ったのだと思う。
【今日の『つま恋行き貯金缶』】
先ほど200円入れたので、合計400円になった。
つま恋行きまで、あと72,600円である。
つま恋行き貯金缶
来年の『つま恋コンサート』に行くかどうかの結論はまだ出してないが、行くとなった時に確実に必要になるものがある。
それはお金である。
昨日、そのつま恋のある掛川までの費用を調べてみた。
小倉から新幹線ひかりで行った場合は18,250円で、のぞみで行った場合は18,750円だった。
単純に往復すると、それぞれ36,500円と37,500円である。
嫁ブーと二人で行くわけだから、それぞれ倍にすると、73,000円と75,000円になる。
これに掛川駅からつま恋までのバス賃と、2日間の食費がかかるわけである。
あとおみやげを買うとなると、最低100,000円くらいは見積もっておかなければならない。
10万円か…。大金である。
もちろん夏のボーナスをもらってすぐことだから、それだけの費用を用意出来なくはないだろう。
だが、万が一ということもある。
例えば夏のボーナスが出ないことだって、リストラにあったりすることだって、さらには会社が倒産することだって、ありうるのだ。
そのため、ボーナスに頼ってばかりに頼ってはいられない。
そこで何かいい方法はないものかと考えた。
ボーナスに頼らないとなると、残っている手段は給料しかない。
しかし、給料で一括に10万円という金は使えない。
ということは貯金が必要になってくる。
ここでぼくは面白いことに気がついた。
例えば新幹線ひかりを利用した時の金額は、36,500円である。
36,500円といえば、100円の365倍じゃないか。
ということは、一年間毎日100円貯めていけば、自ずとつま恋行きの交通費になる。
あ、二人分だから200円か。
仮にのぞみを利用するにしても、これに一人あたり1000円付け足せばいいのだ。
これは楽である。
食費他は、他の貯金をかき集めたら何とかなるだろう。
ということで、今日、百円均一の店に貯金箱を見に行った。
いろいろ便利な貯金箱があったが、その中に「これは!」というものを見つけた。
百円玉だと80,000円入るという貯金箱、というより貯金缶である。
目標額に近い設定になっている上、缶切りで開けない限りお金を出せないという便利な設計になっている。
そこで、さっそくそれを買った。
これで大丈夫である
あとはこれに毎日200円を入れるというちょっとした努力をしさえすれば、一年で目標額に到達するだろう。
でもお金を出せば終わりじゃないか、と思う方もいらっしゃるだろうが、それは大丈夫である。
なぜなら、うちには缶切りがないからだ。
さて、これで旅費は何とかなった。
あとは休みの調整と、チケットの入手が問題になってくるが、それは後々考えればいいことだ。
当面、「いろんなことに悩む暇があったら、さっさと200円入れてしまおう」というモットーで、突っ走ることにする。
※7月30日現在の『つま恋行き貯金缶』の中身:200円
それはお金である。
昨日、そのつま恋のある掛川までの費用を調べてみた。
小倉から新幹線ひかりで行った場合は18,250円で、のぞみで行った場合は18,750円だった。
単純に往復すると、それぞれ36,500円と37,500円である。
嫁ブーと二人で行くわけだから、それぞれ倍にすると、73,000円と75,000円になる。
これに掛川駅からつま恋までのバス賃と、2日間の食費がかかるわけである。
あとおみやげを買うとなると、最低100,000円くらいは見積もっておかなければならない。
10万円か…。大金である。
もちろん夏のボーナスをもらってすぐことだから、それだけの費用を用意出来なくはないだろう。
だが、万が一ということもある。
例えば夏のボーナスが出ないことだって、リストラにあったりすることだって、さらには会社が倒産することだって、ありうるのだ。
そのため、ボーナスに頼ってばかりに頼ってはいられない。
そこで何かいい方法はないものかと考えた。
ボーナスに頼らないとなると、残っている手段は給料しかない。
しかし、給料で一括に10万円という金は使えない。
ということは貯金が必要になってくる。
ここでぼくは面白いことに気がついた。
例えば新幹線ひかりを利用した時の金額は、36,500円である。
36,500円といえば、100円の365倍じゃないか。
ということは、一年間毎日100円貯めていけば、自ずとつま恋行きの交通費になる。
あ、二人分だから200円か。
仮にのぞみを利用するにしても、これに一人あたり1000円付け足せばいいのだ。
これは楽である。
食費他は、他の貯金をかき集めたら何とかなるだろう。
ということで、今日、百円均一の店に貯金箱を見に行った。
いろいろ便利な貯金箱があったが、その中に「これは!」というものを見つけた。
百円玉だと80,000円入るという貯金箱、というより貯金缶である。
目標額に近い設定になっている上、缶切りで開けない限りお金を出せないという便利な設計になっている。
そこで、さっそくそれを買った。
これで大丈夫である
あとはこれに毎日200円を入れるというちょっとした努力をしさえすれば、一年で目標額に到達するだろう。
でもお金を出せば終わりじゃないか、と思う方もいらっしゃるだろうが、それは大丈夫である。
なぜなら、うちには缶切りがないからだ。
さて、これで旅費は何とかなった。
あとは休みの調整と、チケットの入手が問題になってくるが、それは後々考えればいいことだ。
当面、「いろんなことに悩む暇があったら、さっさと200円入れてしまおう」というモットーで、突っ走ることにする。
※7月30日現在の『つま恋行き貯金缶』の中身:200円
雨の日のドライブ
【雨の日のドライブ】
昨日の天気予報では、「まとまった雨が降り、ところによっては雷雨もあるでしょう」と言っていた。
気温もあまり高くなさそうだ、とも言っていた。
案の定、朝起きると今にも降り出しそうな空の色だった。
さらに、夜中は体が冷えて、何度も目が覚めたのだった。
天気予報どおりの展開で、一時は延期することも考えた。
が、決行できるのは今日しかない。
次の休みからは、また歯医者の日々が続くだろう。
そういうことで、予定通り、今日決行したのだった。
何のことを言っているのかというと、前々からこの日記で言っている角島行きのことである。
昨日の天気予報では、今日の午後から特にそういう展開になるということだった。
当初は昼ぐらいに家を出て、海を眺めながらのんびり行こう思っていた。
が、その天気予報を聞いて、なるべく早く家を出て、なるべく早く家に帰ろうという気になり、予定を変更して高速道路を利用することにした。
家を出たのは午前10時だった。
出発した頃は雨は降ってなかったのだが、小倉にさしかかったあたりから雨がパラつきだし、門司をすぎる頃に本降りになってしまった。
そのため、いつも本州に渡る時に楽しみにしている関門橋からの景色も、今日は雨に遮られたのだった。
高速を利用したおかげで、角島へは1時間ほどで着いた。
その頃から、徐々に雨は小振りになっていき、休憩所で買い物をしているうちに雨はやんでしまった。
しばらく雲行きを見ていたが、だんだん空は明るくなっていく。
そこで、また予定を変更し、足を伸ばして青海島(長門市)に行ったり、帰りに門司港レトロに寄ったりした。
その後は雨に祟られるようなことは、まったくなかったのだった。
青海島から戻ってくる途中、川棚温泉でゆっくり温泉に入ったりした関係で、帰りが少し遅くなった。
だが、それでも午後8時には家に着いていた。
これは珍しいことである。
普通ぼくがドライブする時は、性格がダラダラしているせいで、早くても午後10時を回ることが多い。
きっと、前日に雨が降ると潜在意識にインプットしていたために、潜在意識が一時的にそのダラダラ性格を凍結させたのだろう。
ま、とにかく、これでぼくの今年の夏のイベントは終わった。
【ひとりテレフォン人生相談】
ところで、その道中、少しでも夏の雰囲気を味わいたいのと、ばあさんたちの話について行けないだろうという理由から、サザンなど夏向けのCDをあらかじめ用意していた。
だが、雨の日のサザンは、どうも様にならない。
仕方がないので、ラジオで『テレフォン人生相談』なんかを聞くことにした。
ところが、その『テレフォン人生相談』も、ばあさんたちの声で聞こえない。
そこで、頭の中で『テレフォン人生相談ごっこ』をやることにした。
-今日のご相談内容は?
「兄と父親の遺産相続のことでもめているんです」
-遺産相続ねえ。で、あなたはどうしたいの?
「私が家業を継いだんで、すべての遺産を相続したいんです」
-あなた、お母さんはいないの?
「いや、いることはいるんですが、離婚しまして…」
-なるほど。それで兄弟で争っているわけですか。
「はい」
-で、それについてお兄さんは、どう言ってるわけ?
「はい、相続を放棄したいと…」
-えっ、相続放棄ぃ?
「ええ」
-じゃあ、もう話は終わってるじゃないの。
「そんなことはない」
-だって、もうお兄さんは相続放棄したんでしょ?
「まあそうですけど」
-じゃあ、終わってるでしょうが。これ以上、どうあって欲しいわけ?
「‥‥」
-あなたいったい、何の相談で電話してきたの?
「ええ、兄と父親の遺産の件で…」
-忙しいのに、手間取らせないでくださいよ。
「あのー、もう一つあるんですが…」
-えっ、まだ何かあるんですか!?
「いや、母がですね、私のことを不器用と言うんですよ」
-不器用?
「はい」
-なるほど、その通りじゃないですか。
「えっ?私のいったいどこが不器用なんでしょうか?」
-頭です!!
と、まあ、こんな具合である。
昨日の天気予報では、「まとまった雨が降り、ところによっては雷雨もあるでしょう」と言っていた。
気温もあまり高くなさそうだ、とも言っていた。
案の定、朝起きると今にも降り出しそうな空の色だった。
さらに、夜中は体が冷えて、何度も目が覚めたのだった。
天気予報どおりの展開で、一時は延期することも考えた。
が、決行できるのは今日しかない。
次の休みからは、また歯医者の日々が続くだろう。
そういうことで、予定通り、今日決行したのだった。
何のことを言っているのかというと、前々からこの日記で言っている角島行きのことである。
昨日の天気予報では、今日の午後から特にそういう展開になるということだった。
当初は昼ぐらいに家を出て、海を眺めながらのんびり行こう思っていた。
が、その天気予報を聞いて、なるべく早く家を出て、なるべく早く家に帰ろうという気になり、予定を変更して高速道路を利用することにした。
家を出たのは午前10時だった。
出発した頃は雨は降ってなかったのだが、小倉にさしかかったあたりから雨がパラつきだし、門司をすぎる頃に本降りになってしまった。
そのため、いつも本州に渡る時に楽しみにしている関門橋からの景色も、今日は雨に遮られたのだった。
高速を利用したおかげで、角島へは1時間ほどで着いた。
その頃から、徐々に雨は小振りになっていき、休憩所で買い物をしているうちに雨はやんでしまった。
しばらく雲行きを見ていたが、だんだん空は明るくなっていく。
そこで、また予定を変更し、足を伸ばして青海島(長門市)に行ったり、帰りに門司港レトロに寄ったりした。
その後は雨に祟られるようなことは、まったくなかったのだった。
青海島から戻ってくる途中、川棚温泉でゆっくり温泉に入ったりした関係で、帰りが少し遅くなった。
だが、それでも午後8時には家に着いていた。
これは珍しいことである。
普通ぼくがドライブする時は、性格がダラダラしているせいで、早くても午後10時を回ることが多い。
きっと、前日に雨が降ると潜在意識にインプットしていたために、潜在意識が一時的にそのダラダラ性格を凍結させたのだろう。
ま、とにかく、これでぼくの今年の夏のイベントは終わった。
【ひとりテレフォン人生相談】
ところで、その道中、少しでも夏の雰囲気を味わいたいのと、ばあさんたちの話について行けないだろうという理由から、サザンなど夏向けのCDをあらかじめ用意していた。
だが、雨の日のサザンは、どうも様にならない。
仕方がないので、ラジオで『テレフォン人生相談』なんかを聞くことにした。
ところが、その『テレフォン人生相談』も、ばあさんたちの声で聞こえない。
そこで、頭の中で『テレフォン人生相談ごっこ』をやることにした。
-今日のご相談内容は?
「兄と父親の遺産相続のことでもめているんです」
-遺産相続ねえ。で、あなたはどうしたいの?
「私が家業を継いだんで、すべての遺産を相続したいんです」
-あなた、お母さんはいないの?
「いや、いることはいるんですが、離婚しまして…」
-なるほど。それで兄弟で争っているわけですか。
「はい」
-で、それについてお兄さんは、どう言ってるわけ?
「はい、相続を放棄したいと…」
-えっ、相続放棄ぃ?
「ええ」
-じゃあ、もう話は終わってるじゃないの。
「そんなことはない」
-だって、もうお兄さんは相続放棄したんでしょ?
「まあそうですけど」
-じゃあ、終わってるでしょうが。これ以上、どうあって欲しいわけ?
「‥‥」
-あなたいったい、何の相談で電話してきたの?
「ええ、兄と父親の遺産の件で…」
-忙しいのに、手間取らせないでくださいよ。
「あのー、もう一つあるんですが…」
-えっ、まだ何かあるんですか!?
「いや、母がですね、私のことを不器用と言うんですよ」
-不器用?
「はい」
-なるほど、その通りじゃないですか。
「えっ?私のいったいどこが不器用なんでしょうか?」
-頭です!!
と、まあ、こんな具合である。
人間なんて
朝のニュースで、吉田拓郎とかぐや姫が、来年の夏につま恋でコンサートをやると言っていた。
話によると、30年前につま恋で初の野外ライブをやった時に集まったファンたちは今頃どうしているだろうか、などと話しているうちに、再演やろうかという話になったそうなのである。
そうか、あれはもう30年前になるのか。
当時ぼくは高校3年生だった。
その頃のぼくは、自他共に認める熱狂的な拓郎ファンだった。
だが、そのコンサートには行ってない。
もちろん、そういうコンサートがあることは、音楽誌やラジオなどで大々的に宣伝していたから知っていたし、行きたいとも思っていた。
しかし、場所を聞いて萎えてしまった。
『静岡県掛川市つま恋』
つま恋なんて、初めて聞く言葉だった。
友人たちに「つま恋ちゃ、どこか?」と聞いても、誰も知る者はいなかった。
それに、ぼくの周りには拓郎ファンはいなかった。
そのため、もしそこに行くとすれば、一人で行かないとならない。
となれば、おっくうである。
次に資金の問題がある。
コンサートは8月2日だったから、それまでしっかりアルバイトをすれば何とかなったかもしれない。
ところが、7月の後半にクラブ(柔道)の試合が入っていた。
それまでは毎日練習に行かなければならないのだ。
試合が終わってからコンサートまで1週間くらいしかない。
これではつま恋に行くだけの金にはならない。
また親に頼んで金を出してもらう手もあったが、うちは裕福な家庭ではなかったから、その方法は採れない。
「こりゃもうだめばい」と思っていたところに、だめ押しが来た。
夏休みを前にしたある日、生徒指導の先生が全校生徒を前にして、「8月に静岡県で行われる吉田拓郎のコンサートは、教育委員会の指導により、行ってはいけないことになった。ということで、君たちも行かないように」と言ったのだ。
これでようやく諦めがついた。
さて、そのコンサートの翌日、ぼくは寝ないでずっとオールナイトニッポンを聞いていた。
その夜のオールナイトニッポンのパーソナリティは吉田拓郎だったからだ。
そのコンサートの模様や、興奮冷めやらぬ拓郎の声を聞こうと思ったのだ。
ところが、コンサートの翌日ということで、拓郎の声が出ない。
そこで、ゲスト出来ていた泉谷しげるが、一人でペラペラしゃべりまくっていた。
その泉谷のしゃべりの中で、印象に残った言葉があった。
「何かありそうで、終わってみれば何もなかったコンサートだった」という言葉だった。
泉谷が何を期待していたのかというと、おそらく71年の中津川フォークジャンボリーの再現だったと思われる。
71年の中津川フォークジャンボリーとは、拓郎が飲みながら歌った『人間なんて』で会場が異常に盛り上がり、一騒動起きた伝説のコンサートだった。
ところで、来年のつま恋であるが、どうしよう。
やはりファンとしては行きたいに決まっている。
嫁ブーと二人で行くことになるだろうから、一人で行くというおっくうさもないし、資金についても問題はない。
もちろん、50前の人間に対して、教育委員会は何も文句は言ってこないだろう。
しかし、新たな問題がある。
それは、その日に休みが取れるかどうかである。
コンサートは、当時と同じく、夕方から翌朝にかけて行われるだろうから、当然連休が必要になる。
一日の休みなら何とかなるが、連休となるとちょっと問題である。
公休ローテーションで回っている関係上、連休を取るのが難しいのだ。
仮にぼくが休みを取れたとしても、嫁ブーがどうなるかわからない。
せっかくチケットを取っても、休めなければどうしようもない。
行けなかったチケットを想い出として持っておくのも、むなしいものである。
さて、どうしたものか。
話によると、30年前につま恋で初の野外ライブをやった時に集まったファンたちは今頃どうしているだろうか、などと話しているうちに、再演やろうかという話になったそうなのである。
そうか、あれはもう30年前になるのか。
当時ぼくは高校3年生だった。
その頃のぼくは、自他共に認める熱狂的な拓郎ファンだった。
だが、そのコンサートには行ってない。
もちろん、そういうコンサートがあることは、音楽誌やラジオなどで大々的に宣伝していたから知っていたし、行きたいとも思っていた。
しかし、場所を聞いて萎えてしまった。
『静岡県掛川市つま恋』
つま恋なんて、初めて聞く言葉だった。
友人たちに「つま恋ちゃ、どこか?」と聞いても、誰も知る者はいなかった。
それに、ぼくの周りには拓郎ファンはいなかった。
そのため、もしそこに行くとすれば、一人で行かないとならない。
となれば、おっくうである。
次に資金の問題がある。
コンサートは8月2日だったから、それまでしっかりアルバイトをすれば何とかなったかもしれない。
ところが、7月の後半にクラブ(柔道)の試合が入っていた。
それまでは毎日練習に行かなければならないのだ。
試合が終わってからコンサートまで1週間くらいしかない。
これではつま恋に行くだけの金にはならない。
また親に頼んで金を出してもらう手もあったが、うちは裕福な家庭ではなかったから、その方法は採れない。
「こりゃもうだめばい」と思っていたところに、だめ押しが来た。
夏休みを前にしたある日、生徒指導の先生が全校生徒を前にして、「8月に静岡県で行われる吉田拓郎のコンサートは、教育委員会の指導により、行ってはいけないことになった。ということで、君たちも行かないように」と言ったのだ。
これでようやく諦めがついた。
さて、そのコンサートの翌日、ぼくは寝ないでずっとオールナイトニッポンを聞いていた。
その夜のオールナイトニッポンのパーソナリティは吉田拓郎だったからだ。
そのコンサートの模様や、興奮冷めやらぬ拓郎の声を聞こうと思ったのだ。
ところが、コンサートの翌日ということで、拓郎の声が出ない。
そこで、ゲスト出来ていた泉谷しげるが、一人でペラペラしゃべりまくっていた。
その泉谷のしゃべりの中で、印象に残った言葉があった。
「何かありそうで、終わってみれば何もなかったコンサートだった」という言葉だった。
泉谷が何を期待していたのかというと、おそらく71年の中津川フォークジャンボリーの再現だったと思われる。
71年の中津川フォークジャンボリーとは、拓郎が飲みながら歌った『人間なんて』で会場が異常に盛り上がり、一騒動起きた伝説のコンサートだった。
ところで、来年のつま恋であるが、どうしよう。
やはりファンとしては行きたいに決まっている。
嫁ブーと二人で行くことになるだろうから、一人で行くというおっくうさもないし、資金についても問題はない。
もちろん、50前の人間に対して、教育委員会は何も文句は言ってこないだろう。
しかし、新たな問題がある。
それは、その日に休みが取れるかどうかである。
コンサートは、当時と同じく、夕方から翌朝にかけて行われるだろうから、当然連休が必要になる。
一日の休みなら何とかなるが、連休となるとちょっと問題である。
公休ローテーションで回っている関係上、連休を取るのが難しいのだ。
仮にぼくが休みを取れたとしても、嫁ブーがどうなるかわからない。
せっかくチケットを取っても、休めなければどうしようもない。
行けなかったチケットを想い出として持っておくのも、むなしいものである。
さて、どうしたものか。
24年越しの恋が実る

7月24日の日記に、「火曜日は午前中床屋に行き、午後から博多に行く予定にしている」と書いた。
ということで、昨日は予定通り午前中床屋に行き、午後から博多に行った。
まあ、床屋はわかるだろう。
では、博多には何をしに行ったのか。
それは、ギターを見に行ったのである。
前にギターとノートパソコンが欲しいと書いたことがあるが、ノートパソコンは進化するものだから、何も焦って今買う必要はない。
しかし、ギターのほうは今どうにかしておかないと、資材やコストの関係で質が落ちるばかりだ。
そこで、もしぼくが探している機種があったら買う、という条件で博多に行ったわけだ。
しかし、それなら地元北九州にもたくさん楽器店はあるのだから、別に高い交通費を使ってまで博多に行かなくてもよさそうなものである。
もちろん最初はそうしようと思っていた。
だが、そこでぼくの勘が働いた。
市内の楽器店には、ぼくの探している機種がないように思えたのだ。
また、これから機種を選ぶのなら、楽器店回りもいいかもしれないが、すでに機種は決まっているのだから、その機種が置いてある可能性の高い、品揃え豊富な店に行ったほうがいいに決まっている。
市内には、そこまで品揃え豊富な店はないのだ。
ということで、嫁ブーと二人、JRに乗って博多に行った。
電車を降りてから、ぼくたちは脇目もふらず、品揃えNo.1と言われている楽器店に直行した。
店に入ったとたん、「おお、すごい!」とぼくは感嘆の声を上げた。
ぼくが今まで行った楽器店の中では最高の品揃えである。
さっそく、ぼくたちはアコースティックギターを展示している場所に行った。
「あるある。ここなら確実にある」
そう思った時だった。
ぼくの上の方で、「ジャン」とギターの鳴るような音が聞こえたような気がした。
見てみると、何とそこにぼくの欲しかったギターが展示してあったのだ。
ぼくは嫁ブーを呼んだ。
「おい、あったぞ。これよこれ。これが欲しかったんよ!」
嫁ブーはそのギターを見たとたん、「えーっ、こんなんすると?」と言った。
嫁ブーは楽器などに興味がないので、楽器店は初めてである。
そのため、ギターの相場を知らないのだ。
「これでも安い方ぞ。他のを見てみ」
「えっ、50万?あっ、100万のもある」
「それに比べたら安かろうが」
「うん…」
「よし、店の人呼んでこい」
そのギターを試弾させてもらうと、イメージしていた通りの音がする。
しかもバランスもいい。
弾き込めば、もっともっといい音になるだろう。
店の人が「どこでこの機種を知ったんですか?」と聞くので、ぼくは「ネットで調べた」と答えた。
「そうでしょうね。うちの他に、この機種を置いてる店はありませんからね」
「やっぱり」
ぼくの勘は当たっていた。
というより、ぼくがギターから呼ばれたのだろう。
つまり、ぼくはギターから「私を買いなさい」と命じられたのだ。
さて、ぼくのギター遍歴からすれば、このギターは11本目のギターになる。
わけのわからない安物のギターから始まり、その後はマーチンやオベーションといった洋物に走り、エレアコに走り、そしてようやく今回国産の高級品に行き着いたわけである。
いや、行き着いたという言い方はおかしい。
なぜなら、ぼくは24年前からこのギターが欲しかったからだ。
正しくは、「24年越しの恋が実った」と言ったほういいだろう。
ということで、恋愛成就した昨日は、興奮して眠れなかった。
コンビニ強盗
メインのブログにちょっと書いたが、昨日隣のコンビニで起きた強盗事件のことを書いておく。
昨日の朝7時半頃のことだった。
新聞を取りに行った嫁ブーが、興奮して戻ってきた。
「ねえねえ、さっき隣のセブンで強盗があったらしいよ」
「えっ?」
「新聞を取りに行ったら、人が集まっとったけ何事かと思って聞いてみたんよ。そしたら、1時間ぐらい前に、隣のセブンに強盗が入ったと言うやん。さっそく走って見に行ったんよね。そしたら店の前にパトカーが停まっとって、中に入れてくれんかった」
「そりゃそうやろ。検分しよったやろ」
「でもね、中にお客さんはおるんよ」
「え?」
「外におった人に聞いてみたらね、そのお客さんたち警察が来た時に店の中におったお客さんなんち。みんな出勤途中みたいやったけど、事情聴取が終わるまで出られんらしいんよ」
「そりゃ大変やのう。確実に遅刻するやん」
その会話が終わった後も、嫁ブーの興奮は治まらなかった。
「あ、動いた」
「え?」
「今、パトカーが動いたんよ」
「おまえずっと見よったんか」
嫁ブーは会話が終わったあと、窓からずっとセブンを見ていたのだ。
「もう入れるやろうけ、ちょっと店内覗いてくるね」
そう言って、嫁ブーは家を出て行った。
15分ほどして、嫁ブーは帰ってきた。
「顔見知りの店員に聞いたんよ。そしたらね、『私たち作業していて気づかなかったんです。後で聞いてびっくりしたんですよ』と言うんよ。で、『誰がレジにおったんね?』と聞いてみたら、あの人と言って教えてくれた」
「誰やったんか?」
「ほら、何ヶ月か前に入ったおばちゃんがおるやん」
「ああ、あの髪染めた人か?」
「うん。あの人が包丁突きつけられたらしいよ」
「そうか」
「なんかこういうことがあると、ワクワクするねえ」
「おい」
「え?」
「それはいいけど、食べるもんないんか?」
「あっ、パン買ってくるの忘れた」
「もういっぺん行ってこうか?」
「…もういい」
さて、昼頃の話。
地元のテレビで、そのコンビニ強盗のニュースが流れていた。
いつも見ている店の入口が、そこには映っていた。

テレビの声を上げて聞いてみたところ、『今日午前5時半頃、八幡西区のコンビニに強盗が押し入り…』『…犯人はレジにいた男子従業員に刃物を突きつけ、現金8万円を奪って逃走…』と言っていた。
嫁ブーの話と微妙に違っている。
嫁ブーは、「1時間ぐらい前」と言っていたから、あの時間だと6時半になる。
また、包丁を突きつけられたのは、髪を染めたおばちゃんと言っていたが、ここでは男子従業員になっている。
いったい、どちらが正しいのだろう。
まあ、これまでの経験からして、嫁ブーの早とちりだとは思うが。
昨日の朝7時半頃のことだった。
新聞を取りに行った嫁ブーが、興奮して戻ってきた。
「ねえねえ、さっき隣のセブンで強盗があったらしいよ」
「えっ?」
「新聞を取りに行ったら、人が集まっとったけ何事かと思って聞いてみたんよ。そしたら、1時間ぐらい前に、隣のセブンに強盗が入ったと言うやん。さっそく走って見に行ったんよね。そしたら店の前にパトカーが停まっとって、中に入れてくれんかった」
「そりゃそうやろ。検分しよったやろ」
「でもね、中にお客さんはおるんよ」
「え?」
「外におった人に聞いてみたらね、そのお客さんたち警察が来た時に店の中におったお客さんなんち。みんな出勤途中みたいやったけど、事情聴取が終わるまで出られんらしいんよ」
「そりゃ大変やのう。確実に遅刻するやん」
その会話が終わった後も、嫁ブーの興奮は治まらなかった。
「あ、動いた」
「え?」
「今、パトカーが動いたんよ」
「おまえずっと見よったんか」
嫁ブーは会話が終わったあと、窓からずっとセブンを見ていたのだ。
「もう入れるやろうけ、ちょっと店内覗いてくるね」
そう言って、嫁ブーは家を出て行った。
15分ほどして、嫁ブーは帰ってきた。
「顔見知りの店員に聞いたんよ。そしたらね、『私たち作業していて気づかなかったんです。後で聞いてびっくりしたんですよ』と言うんよ。で、『誰がレジにおったんね?』と聞いてみたら、あの人と言って教えてくれた」
「誰やったんか?」
「ほら、何ヶ月か前に入ったおばちゃんがおるやん」
「ああ、あの髪染めた人か?」
「うん。あの人が包丁突きつけられたらしいよ」
「そうか」
「なんかこういうことがあると、ワクワクするねえ」
「おい」
「え?」
「それはいいけど、食べるもんないんか?」
「あっ、パン買ってくるの忘れた」
「もういっぺん行ってこうか?」
「…もういい」
さて、昼頃の話。
地元のテレビで、そのコンビニ強盗のニュースが流れていた。
いつも見ている店の入口が、そこには映っていた。

テレビの声を上げて聞いてみたところ、『今日午前5時半頃、八幡西区のコンビニに強盗が押し入り…』『…犯人はレジにいた男子従業員に刃物を突きつけ、現金8万円を奪って逃走…』と言っていた。
嫁ブーの話と微妙に違っている。
嫁ブーは、「1時間ぐらい前」と言っていたから、あの時間だと6時半になる。
また、包丁を突きつけられたのは、髪を染めたおばちゃんと言っていたが、ここでは男子従業員になっている。
いったい、どちらが正しいのだろう。
まあ、これまでの経験からして、嫁ブーの早とちりだとは思うが。
狂わせたいの
朝から頭の中で、同じ曲が繰り返し繰り返し流れている。
最初は何の曲なのかわからなかった。
が、聴いたことのある曲だということはわかっていた。
「さて、何という歌だっただろうか?」と考えていると、だんだんその歌詞が浮かんできた。
「ああ、この歌か!」
何と山本リンダの歌だったのだ。
ところが、困ったことにタイトルが出てこない。
山本リンダといえば、『困っちゃうな』『どうにもとまらない』『狙いうち』が有名だが、この歌詞はそのどれでもない。
「他にどんな歌があっただろう?」
午前中は、そのことばかり考えていた。
30分ほど考えて、ようやく一つのタイトルを思い出した。
それは『ジンジンさせて』である。
「あの歌、『ジンジンさせて』やったかのう?」
どうも違うような気がする。
結局、会社にいる間は、その答えが出てこなかった。
家に帰ってから、さっそく『ジンジンさせて』の歌詞を調べてみると、
となっている。
やはり違っていたのだ。
ということで、改めて調べ直してみた。
が、何というキーワードで検索していいのかがわからない。
『山本リンダ』で検索してみると、曲名は出てくるものの、歌詞までは出てこない。
そこで、『山本リンダ ぼやぼやしてたら』で検索してみた。
「あ、これかあ」
それは、『狂わせたいの』だった。
しかし、こんな歌が、どうして今頃頭の中で鳴り出したのだろう。
30年ほど前のリンダブームが終わってから昨日まで、完全に忘れていた歌である。
何か起因するものがあるんじゃないかと考えてみたが、何も思いつかない。
最近、会社の行き帰りにはいつもゴールデンカップスを聴いているが、それが山本リンダとつながるとは思えない。
強いてつながりがあるとすれば、どちらもハーフということだけだが、ぼくの音楽認識の中では、ハーフつながりというのはありえない。
もしあるとしたら、ゴールデンハーフなんかも流れてくるはずだ。
それにしてもこの歌詞すごいなあ。
こういう女には関わりたくない。
最初は何の曲なのかわからなかった。
が、聴いたことのある曲だということはわかっていた。
「さて、何という歌だっただろうか?」と考えていると、だんだんその歌詞が浮かんできた。
ぼやぼやしてたら わたしは誰かの いい子になっちゃうよ…♪
「ああ、この歌か!」
何と山本リンダの歌だったのだ。
ところが、困ったことにタイトルが出てこない。
山本リンダといえば、『困っちゃうな』『どうにもとまらない』『狙いうち』が有名だが、この歌詞はそのどれでもない。
「他にどんな歌があっただろう?」
午前中は、そのことばかり考えていた。
30分ほど考えて、ようやく一つのタイトルを思い出した。
それは『ジンジンさせて』である。
「あの歌、『ジンジンさせて』やったかのう?」
どうも違うような気がする。
結局、会社にいる間は、その答えが出てこなかった。
家に帰ってから、さっそく『ジンジンさせて』の歌詞を調べてみると、
一人二人恋の相手は星の数…♪
となっている。
やはり違っていたのだ。
ということで、改めて調べ直してみた。
が、何というキーワードで検索していいのかがわからない。
『山本リンダ』で検索してみると、曲名は出てくるものの、歌詞までは出てこない。
そこで、『山本リンダ ぼやぼやしてたら』で検索してみた。
「あ、これかあ」
それは、『狂わせたいの』だった。
しかし、こんな歌が、どうして今頃頭の中で鳴り出したのだろう。
30年ほど前のリンダブームが終わってから昨日まで、完全に忘れていた歌である。
何か起因するものがあるんじゃないかと考えてみたが、何も思いつかない。
最近、会社の行き帰りにはいつもゴールデンカップスを聴いているが、それが山本リンダとつながるとは思えない。
強いてつながりがあるとすれば、どちらもハーフということだけだが、ぼくの音楽認識の中では、ハーフつながりというのはありえない。
もしあるとしたら、ゴールデンハーフなんかも流れてくるはずだ。
それにしてもこの歌詞すごいなあ。
私は恋の女 いつでも恋の奴隷
好き好き好きで燃えて 狂わせたいの
こういう女には関わりたくない。
心ここにあらず
【歯医者通い、10ヶ月目突入が決定的になる】
あと何回で歯医者が終わるのかはわからないが、歯医者通いが10ヶ月目に突入することだけははっきりした。
あと1回で終わるとしても、10ヶ月目突入は揺るがない。
なぜなら、今週ぼくは歯医者に行けないからだ。
今週も例のごとく火曜日と金曜日が休みなのだが、火曜日は午前中床屋に行き、午後から博多に行く予定にしている。
また金曜日は、この日記でお知らせしたとおり、角島に行き、その帰りにばあさんたちに瓦そばをご馳走しなければならない。
そういった理由から、今週は歯医者の予定を入れなかったのだ。
【床屋のこと】
さて、床屋のことである。
ついこの間行ったと思っていたのだが、調べてみると前回行ったのは5月だった。
つまり、2ヶ月行ってないことになる。
さすがに髪が伸びている。
ぼくはある程度髪が伸びてくると、髪の毛が浮いてしまい、頭が大きく見えてしまう。
6月の終わり頃に、そういう頭になっているのに気がつき、「もう切り時だ」と思っていた。
しかしご存じの通り、6月末から7月頭にかけてフォークリフトの講習や試験のために休みを返上していたから、床屋に行くことが出来なかったのだ。
そこで、フォークリフトがらみが終わった後に、床屋に行こうと思っていた。
床屋は、歯医者から戻ってきてから行くようにしていた。
ところが、7月に入ってから梅雨が明けるまで、ほとんど毎日雷を伴う大雨が降っていた。
そのため、歯医者からいったん家に戻ると、もう外に出たくない。
ということで、床屋は梅雨が明けるまで我慢することにした。
さて、梅雨が明けた。
ところが、連日熱中症になりそうな気温である。
そのため歯医者に行くのが精一杯だ。
ということで、ここまで床屋行きが延び延びになっていたのだ。
すでに髪は浮きっぱなしで、頭はかなり大きくなっている。
しかも、所々で適当に飛び跳ねている。
つまり、自分では手のつけられないところまで来ているのだ。
あと2日の辛抱である。
【再び意識が飛ぶ】
最近また意識が飛ぶようになった。
今日は仕事中に何度も飛んでいた。
それが携帯で、もらったコメントに返事を書いていたときだからたまらない。
いったん意識が飛んでしまうと、それまで何を書いていたのか忘れてしまっているのだ。
それだけならいい。
意識が飛んでいる時に、なぜか削除ボタンを押していたりする。
そのせいで、今日は二度も消してしまった。
携帯で書き直すとなると、結構大変である。
しかも、それまで書いていたことを忘れているから始末に負えない。
やはり、最近遠ざかっているドリンクを飲むべきなのだろうか。
あと何回で歯医者が終わるのかはわからないが、歯医者通いが10ヶ月目に突入することだけははっきりした。
あと1回で終わるとしても、10ヶ月目突入は揺るがない。
なぜなら、今週ぼくは歯医者に行けないからだ。
今週も例のごとく火曜日と金曜日が休みなのだが、火曜日は午前中床屋に行き、午後から博多に行く予定にしている。
また金曜日は、この日記でお知らせしたとおり、角島に行き、その帰りにばあさんたちに瓦そばをご馳走しなければならない。
そういった理由から、今週は歯医者の予定を入れなかったのだ。
【床屋のこと】
さて、床屋のことである。
ついこの間行ったと思っていたのだが、調べてみると前回行ったのは5月だった。
つまり、2ヶ月行ってないことになる。
さすがに髪が伸びている。
ぼくはある程度髪が伸びてくると、髪の毛が浮いてしまい、頭が大きく見えてしまう。
6月の終わり頃に、そういう頭になっているのに気がつき、「もう切り時だ」と思っていた。
しかしご存じの通り、6月末から7月頭にかけてフォークリフトの講習や試験のために休みを返上していたから、床屋に行くことが出来なかったのだ。
そこで、フォークリフトがらみが終わった後に、床屋に行こうと思っていた。
床屋は、歯医者から戻ってきてから行くようにしていた。
ところが、7月に入ってから梅雨が明けるまで、ほとんど毎日雷を伴う大雨が降っていた。
そのため、歯医者からいったん家に戻ると、もう外に出たくない。
ということで、床屋は梅雨が明けるまで我慢することにした。
さて、梅雨が明けた。
ところが、連日熱中症になりそうな気温である。
そのため歯医者に行くのが精一杯だ。
ということで、ここまで床屋行きが延び延びになっていたのだ。
すでに髪は浮きっぱなしで、頭はかなり大きくなっている。
しかも、所々で適当に飛び跳ねている。
つまり、自分では手のつけられないところまで来ているのだ。
あと2日の辛抱である。
【再び意識が飛ぶ】
最近また意識が飛ぶようになった。
今日は仕事中に何度も飛んでいた。
それが携帯で、もらったコメントに返事を書いていたときだからたまらない。
いったん意識が飛んでしまうと、それまで何を書いていたのか忘れてしまっているのだ。
それだけならいい。
意識が飛んでいる時に、なぜか削除ボタンを押していたりする。
そのせいで、今日は二度も消してしまった。
携帯で書き直すとなると、結構大変である。
しかも、それまで書いていたことを忘れているから始末に負えない。
やはり、最近遠ざかっているドリンクを飲むべきなのだろうか。
黒崎祇園
ご体裁日記
7月に入ってから、『その日の着地点』というのを気にするようになった。
どういうことかというと、その日の着地点である就寝時に、寝つきがいいか悪いかということが気になるようになったということである。
寝つきがいい時というのは、寝るまでにその日のことを、すべて片付けているものだ。
その日のことというのは、例えば仕事だとか日記だとかである。
逆に、寝つきが悪い時というのは、その日のことが手付かずになっていることが多い。
つまり、仕事も順調でなく、日記もまったく書いてないということだ。
なぜそうなるのかというと、寝るまでに仕事や日記を終わらせていたら、ある種の達成感とか満足感を抱いて寝ることになる。
それゆえに寝つきがよくなるのだ。
その日に出来なかった場合は、その屈辱感と、翌朝書かなければならないという焦燥感を抱いて布団に入ることになる。
それゆえに寝つきが悪くなるのだ。
そこで、「今日はどういう状態で寝るんだろうか」と考えるようになったわけだ。
こういう場合、朝からずっといい着地点をイメージしていたら、その通りになることが多いものだ。
例えば、翌朝6時に目を覚まさないといけない場合、寝る前に6時に目を覚ますことをイメージしたり、単純に時計が6時を指していることをイメージしたりすれば、その時間に起きれることが多いが、それと同じである。
そうやって毎日『いい着地点』のイメージをやってさえいれば、仕事も順調、日記も順調である。
もう何も悩むことはないのだ。
ところが、である。
今月に入って、日記を書き上げてから寝た回数は、4,5回ほどしかなかった。
それ以外は、翌朝になったり、休みの日は翌昼になったり、ひどい日には翌夜になったりしているのだ。
せっかく『いい着地点』の法則を見つけたのに、何でこうなったかというと、それはぼくの性格のせいである。
朝からずっと同じイメージを持ち続けるなんて、ぼくにはとうてい出来ない。
例えば、仕事上でうまくいかないことがあると、もうだめである。
例えば、トイレに行くタイミングを逸すれば、もうだめである。
例えば、昼食の時間が遅れたりすると、もうだめである。
例えば、日記のことを考えた時点で日記のテーマが浮かばなければ、もうだめである。
いや、決して潔癖主義なのではない。
そうなった時に、長年培った心の癖で、そういう嫌なことを忘れようとして、次の休みは何をしようかとか、前日見たドラマの今後の展開を考えるとか、それまでとはまったく違った思考を取るようになるのだ。
そうなると、『いい着地点』のイメージを持ち続けるのも馬鹿らしく思えてくる。
そのために、後で泣くことになる。
ああじゃない、こうじゃないと考えたあげく、結局つじつま合わせの、字数を揃えただけのご体裁日記になり果てるわけである。
今日もそんな日記である。
どういうことかというと、その日の着地点である就寝時に、寝つきがいいか悪いかということが気になるようになったということである。
寝つきがいい時というのは、寝るまでにその日のことを、すべて片付けているものだ。
その日のことというのは、例えば仕事だとか日記だとかである。
逆に、寝つきが悪い時というのは、その日のことが手付かずになっていることが多い。
つまり、仕事も順調でなく、日記もまったく書いてないということだ。
なぜそうなるのかというと、寝るまでに仕事や日記を終わらせていたら、ある種の達成感とか満足感を抱いて寝ることになる。
それゆえに寝つきがよくなるのだ。
その日に出来なかった場合は、その屈辱感と、翌朝書かなければならないという焦燥感を抱いて布団に入ることになる。
それゆえに寝つきが悪くなるのだ。
そこで、「今日はどういう状態で寝るんだろうか」と考えるようになったわけだ。
こういう場合、朝からずっといい着地点をイメージしていたら、その通りになることが多いものだ。
例えば、翌朝6時に目を覚まさないといけない場合、寝る前に6時に目を覚ますことをイメージしたり、単純に時計が6時を指していることをイメージしたりすれば、その時間に起きれることが多いが、それと同じである。
そうやって毎日『いい着地点』のイメージをやってさえいれば、仕事も順調、日記も順調である。
もう何も悩むことはないのだ。
ところが、である。
今月に入って、日記を書き上げてから寝た回数は、4,5回ほどしかなかった。
それ以外は、翌朝になったり、休みの日は翌昼になったり、ひどい日には翌夜になったりしているのだ。
せっかく『いい着地点』の法則を見つけたのに、何でこうなったかというと、それはぼくの性格のせいである。
朝からずっと同じイメージを持ち続けるなんて、ぼくにはとうてい出来ない。
例えば、仕事上でうまくいかないことがあると、もうだめである。
例えば、トイレに行くタイミングを逸すれば、もうだめである。
例えば、昼食の時間が遅れたりすると、もうだめである。
例えば、日記のことを考えた時点で日記のテーマが浮かばなければ、もうだめである。
いや、決して潔癖主義なのではない。
そうなった時に、長年培った心の癖で、そういう嫌なことを忘れようとして、次の休みは何をしようかとか、前日見たドラマの今後の展開を考えるとか、それまでとはまったく違った思考を取るようになるのだ。
そうなると、『いい着地点』のイメージを持ち続けるのも馬鹿らしく思えてくる。
そのために、後で泣くことになる。
ああじゃない、こうじゃないと考えたあげく、結局つじつま合わせの、字数を揃えただけのご体裁日記になり果てるわけである。
今日もそんな日記である。