頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

2006年08月

さて、朝起きてみると、さすがにメールは来ていなかった。
いつも目覚まし代わりに使っているウェザーニュースも、時事通信も、西日本新聞も…、何にも届いてはいなかった。
普段当たり前になっていることが、当たり前になっていなかった時というのは、あまり気分のいいものではない。

さっそく受信拒否を解除することにした。
すると、とりあえずの受信拒否が功を奏し相手が諦めたのか、はたまた相手が寝ているのかは知らないが、ぼくが目を覚ましてからは、まったくそういうメールメールは来なかった。
それで「対策はもういいや」ということになり、放っておくことにした。

ところがである。
解除して2時間を過ぎた頃、来たメールを見て愕然とした。
再び「メール下さい」メールが来たのだ。
今度は知らない女性名で「何でメールくれなかったんですか?待ってたのに…」と書かれたものまである。
そしてあれよあれよという間に、その類のメールが10件を超えた。
その時は、さすがにメールアドレスを変えようと思った。
しかし、考え直した。
それをやると、かなりの数の人に変更通知を出さなければならないのだ。
それが面倒である。

そこで、朝やるはずだった対策を練ることにした。
まず考えたのが、いちおうパソコンからのメール受信を拒否して、必要なメールのドメインだけを許可登録する方法だ。
これだと確実である。
そこでやってみようと、必要なメールの数を数えてみたら、何とかなりの量あるではないか。
許可登録の限度は40件までなのだが、確実にそれ以上はある。
しかも、それをやるとなると、まずメールからドメインを拾い出してそれをコピーし、その上で画面を切り替え、そしてそれを貼り付けるという、変更通知よりもさらに面倒な作業を強いられることになる。

で、次の方法を考えてみることにした。
…ところが、長い間考えてはみたものの、何も出てこない。
そういうわけで、「まず考えた」方法を採ることにした。

今ケータイに送られてくるメールは2種類ある。
パソコンからの転送メールと、iメニューなどから拾ったケータイ向けメールである。
どちらのメールが多いのかというと、圧倒的に前者のほうである。
なぜなら、差出人が同じでも、ドメインが違うことがよくあるからだ。
そのため、当初パソコンメールはケータイには転送しないようにするか、もしくはYahooメールに転送して着信通知だけ受けとるようにしようと思っていた。

しかし、転送をやめてしまうと、タイムリーな情報が得られないし、着信通知だと同じ文面しか書いてないので、メールを見落とすことにもなりかねない。
そこで、何かいい方法はないかと調べてみると、あった。

前々から使っているリモートメールに、送られてきたメールをすべてリモートメールのドメインでケータイに転送するという、便利な機能があったのだ。
その機能を使えば、リモートメールのドメインを受信許可するだけで、パソコンからの転送メールはすべてケータイに届くというわけだ。
ということで、パソコンの転送メールはその転送先をリモートメールに変更した。

これで受信登録のための作業の量は遥かに軽減された。
件数も40件を下回わり、楽に作業が出来た。
まあ、転送メールは同じドメインのため、フォルダに振り分け出来ないというデメリットはあるものの、これでもう「メール下さい」とか「お金を借りるならココ」とか、「何でメールくれなかったんですか?待ってたのに…」などというふざけたメールを見なくてすむ。
めでたしめでたしである。


昨日の夜、テレビを見ている時だった。
10時半を過ぎた頃から、部屋に置いていたケータイのメール着信音が頻繁に鳴りだした。
最近は懸賞やポイントメールがたくさんくるので、そういった類のものだろうと思いあまり気にはしなかった。

11時にテレビを見終わる。
部屋に戻りケータイを見てみると、そういう類のメールではなかった。
女性の名前で「メール下さい」だとか、「お金を借りるならココ」だとかいう内容のメールばかりである。

@から後ろ、つまりドメインはすべて同じ。
それも今まで見たことのないドメインだ。
アカウントもいいかげんで、アルファベットを意味なく並べているものばかり。
そう、迷惑メールなのである。
数えてみると、12件来ていた。
30分の間に12件だから、メールは2分半に1通の割で来ていた計算になる。
こんなことは初めてである。
パソコンで迷惑メールを受けたことがあるが、ここまで多くはなかった。

11時を過ぎてもメールは来続けている。
そう、相変わらず2分半に1通のペースでだ。

12時を過ぎると、さすがにメールの数は減ったが、それでも5分間隔で来るのだ。
ここまできて、ようやくぼくは腰を上げた。
何をしたのかというと、ケータイ以外のドメインで来たメールを受けとらないように設定したのだ。
これでメールは来なくなった。

それはそれでよかったのだが、これをやってしまうと大事なメールも受け取れなくなる。
依頼している仕事のメールも、ケータイに来るようにしているので、これではちょっと困る。
やはり受信拒否はすべきではない。

とはいえ、時間が時間だ。
大事なメールというのは、ちゃんとした企業からのものだから、夜中に来るとは考えられない。
また、相手は夜中でもこんなに多くメールを送っているのだから、当然午前中は寝ているはずだ。
ということは、仮にぼくが朝起きてからすぐに拒否解除しても、一時は迷惑メールは来ないということだ。
その間、対策を練ることができる。

また、相手はこれだけ集中して大量メールを出してくるのだ。
ということは、たとえそれが短い時間であったとしても、ことごとく受信を拒否されれば、メールアドレスを変えたと思い、ぼくにメールを出すのはやめるだろう。
もしそうしないなら、相手はよほどのバカだということになる。
ということで、朝拒否解除するということにして、寝ることにした。


小学生の夏休み、昼飯というといつも焼きめしだった。
母が働きに出ていたので、作ってくれるのは叔母だった。
全体の色が変わるぐらいにウィスターソースをぶっかけて、汗を流しながら食べていたものだ。
その際に飲むのは水か麦茶と決めていた。
味が濃いので、熱いお茶を受け付けなかったのだ。

時は流れて20歳の頃、つまり東京時代。
横須賀の親戚に遊びに行った時、叔父からチャーハンを作ってもらったことがある。
味はまろやかで、それでいてコクがある。
添えてあった福神漬けの味とも調和していた。
まず、そのへんの中華料理店には負けてなかっただろう。

さて、この叔父と叔母は実の兄妹なのだが、二人の作ったものはまったく違っていた。
一番大きな違いは、玉子の有無である。
叔父が作ってくれたチャーハンは玉子がベースになっていた。
ところが、叔母が作った焼きめしには、玉子など入っていたことがない。
油でそのまま炒めていたのだ。

もう一つの違いを上げるとしたら、グリーンピースの有無である。
叔父の作ってくれたチャーハンには、ご丁寧にグリーンピースまで入っていたのだ。
一方の叔母の作った焼きめしは、基本的な野菜が入っているだけだった。

だが、その二つ、どちらがおいしかったのかというと、叔母のほうだ。
叔父のチャーハンは実に行き届いていた。
タマネギの切り方ひとつにもこだわりがあったようだし、盛りつけ方もきれいにまとまっていた。
一方、叔母の焼きめしはすべてが大雑把だった。
具を適当に刻んでぶち込んだような感があり、盛りつけ方も決してうまいとは言えなかった。
味はというと、どちらもそれなりの味をしていたように思う。
だが、ぼくはあえて叔母の焼きめしに軍配を上げる。

理由は二つある。
ひとつは、好き嫌いの問題である。
いや、別に叔父と叔母の好き嫌いではない。
何かというと、グリーンピースである。
ぼくはグリーンピースが全くダメなのだ。
あれが乗っているというだけで、おいしさが半減してしまう。
それだけ選って食べるというのも面倒な作業だし。
とにかくこれだけでも、10点は減点になる。

もう一つは、醍醐味である。
チャーハンというと、何かお体裁ぶっているような感じがするのだ。
中華料理屋に行ってチャーハンを注文すると、お焦げなどはあまりなく、さらにきれいに盛って出てくるから見た目もきれいだ。
しかし、ご飯はお焦げがおいしいのだ。
それがもしまずいとすれば、例えばお焦げが出来る炊飯ジャーなどは出来なかっただろうし、焼きおにぎりが売れることはなかっただろう。
また、見た目がきれいだと、ウィスターソースをぶっかけるのも気が引けるではないか。

一方の焼きめしは、実に野性的である。
ソースをぶっかけたり、生卵をや半熟目玉などを乗せてグチャグチャにかき混ぜたりしてもかまわない。
いや、そうすることでおいしさが増すのだから、これはもうやらざるを得ない。

かつて、うちの近くのデパートの食堂街のある店に、「男の焼きめし」というメニューがあった。
その名前を見ただけで野性味を感じ、おいしさを予感したものだ。
さっそく注文し食べてみるとこれが絶品で、仕事さえなければ毎日でも食べに来たいと思ったほどだった。

ところが、この間そこに行ってみると、確かに「焼きめし」はあったが、肝心の「男」が抜けていた。
性別不問にしたせいか、「チャーハン」に近いものが出てきた。
しかし野性味を感じなくなったせいなのか、味は落ちていていた。

今、町の食堂などに行くと、大多数の店のメニューには「チャーハン」とか「炒飯」とか書いてある。
一方、「焼きめし」と書いてあるところは実に少ない。
それが寂しい。


今日、ちょっと調べ物があって、Googleの地図を見ていたのだが、そこに面白いものを見つけた。
そのサイトは普通の地図だけでなく、航空写真も見ることが出来る。
そこでぼくは、自分の家を探してみることにした。
まあ、探すといっても、そこにある検索窓に住所を入れればすむはなしであるが。

ということで、一発でぼくの住むマンションが出てきた。
「なるほど、うちのマンションは空から見るとこう見えるのか」などと思いながら見ていると、そこにすごいものを発見した。
ぼくは思わず嫁ブーを呼んだ。
「おーい、ちょっと来てみ」
「何?」
「おいこれ、ちょっと見てみ」
ぼくは、そう言ってそれを指さした。

「航空写真やん。これがどうかしたと?」
「よく見てみ」
「えっ?」
「わからんか?」
「…、あっ、これうちやないね」
「そう。じゃあこれは?」
「あーっ!これしんちゃんの車やん」
「おう」
「こんなもんまで写るんやね」
「そうっちゃ。見つけたときビックリした」

「ねえ、これいつ写したんかねえ?」
「さあ?ここには2006年と書いとるけど、去年出来たホームセンター○○が写ってないんよ。いちおう整地はすんどるみたいやけどの」
「ということは、去年なんかねえ?」
「さあ、どうなんかのう…」

そこでぼくは、その写真がいつ撮られたものであるか、調べてみることにした。
まず、時期を推理してみた。
先に書いたホームセンター○○のオープンは、昨年の7月頭だった。
大型店舗の建築は3ヶ月位かかる。
ということは、建て始めは4月頭ということになる。
また、整地はすませているわけだから、写真は建てる直前、つまり3月の終わり頃に撮られたと考えられる。

さらに、車が写っているくらいだから、その日はぼくが休みだったということだ。
そこで昨年の3月最後の休みを調べてみると、29日になっている。
たぶんこの日で間違いないだろう。

では時間はどうかというと、それもわかった。
近くのマンションに知り合いが住んでいるのだが、そのマンションの影が、真北にかかっているのだ。
ということは正午頃だということだ。
そういうわけで、この航空写真は、2005年3月29日昼の12時前後に撮影されたことが判明した。

しかし、こんなことを調べて何になるのだろう?
今度は、「こんなことを調べて何になるのか?」ということを推理してみるか。


今日も昼から雨で、降り出してから一気に秋になったように涼しくなった。
雨が降り込んでくるので、家の窓を全部閉めたのだが、まったく暑くなく、息苦しさも感じなかった。

ところで、俳句の歳時記で「夜の秋」というのがあるが、ちょうどこの時期の季語だ。
ぼくが昔作った詩に、『時の雨』というのがある。

 雲深き 夜の秋
 月隠れ 時の雨
 過ぎし人 傘もなし

 旅日記 日々は濡れ
 時はもつれ 時の雨
 懐かしき 想い消え

  風は濡れ 夜に冷たく
  時の雨 火もつかぬ

  虫は鳴き 夜に冷たく
  時の雨 咳はやまぬ

 実も触れず 枝は枯れ
 立ち止まる 時の雨
 遠き夢 闇に枯れ


これを書いたのは19歳になる年のちょうどこの時期で、やはり今日みたいな天気の日だった。
ここでいう「時の雨」というのは、時雨のことではなく、通り雨という意味で使った。
当初「瞬時(とき)の雨」としていたのだが、いちいち「瞬」を書くのが面倒だし、そう読ませるのも苦労するだろうから、「時の雨」に改めたのだ。

これを書いた日も今日と同じく面白くない日で、気分がクシャクシャしていた。
その面白くない気持ちのままに、当時日課にしていた日記を書いたのだが、支離滅裂な内容になってしまった。
そこで、グチャグチャに塗りつぶしたというわけだ。

いったい何が面白くなかったのかというと、それは勉強である。
何度も言っているが、その当時ぼくは予備校に通っていた。
その日、お盆明けの模試の結果が出たのだ。
結果は最悪だった。

そういうわけで、その日は何をやっても面白くなかった。
しかし、翌日になれば気は晴れるだろうと思っていた。
が、そうではなかった。
その翌日も翌々日も「面白くない」は続いたのだ。
そして面白くないまま時が過ぎ、いつの間にか「面白くない」は将来に対する不安に変わっていった。
結局ぼくはその不安から抜け出すことをしなかった。
それどころか、逆に受け入れてしまったのだ。
そのせいで、本格的に長い浪人生活が始まったというわけだ。

ぼくの書いた詩は、将来を暗示したようなものがけっこうあるのだが、そういう視点で読んでみると、この詩もそのような気がしてくる。
もしそうであれば、仮にあの日ハッピーな詩を書いていたら、その通りになったのかもしれない。
それを思うと残念な気がする。

ところで、今日は何で面白くなかったのかというと、ホークスが宿敵ライオンズに負けたからである。
これでまた2ゲーム差だ。
日ハムも0.5差で迫ってきているし、いったいこの先どうなるんだろうか。
…ホント面白くない!


嫁ブーの会社は、ぼくの家からおよそ4キロ離れた場所にある。
だが、これはあくまでも車道の距離である。
直線距離だとその半分の2キロしか離れていない。

今日、そのたった2キロの距離でこんなことがあった。
夕方、ぼくがテレビでホークスvsライオンズの試合を見ている時に、電話が鳴った。
出てみると嫁ブーだ。

「しんちゃん、寝室の窓閉めた?」
「えっ?」
「今日閉め忘れとったんよ」
「いつものことやないか。何でそんなこと気にするんか?」
「今、すごい雨が降りよるやろ?」
「何も降ってないぞ」
「えーっ、こっちは土砂降りよ」
「こっちは晴れとるぞ」

…ということだった。
電話を切ったあとに外を見てみると、なるほど嫁ブーの会社があるあたりの空は真っ黒になっている。
たった2キロの違いで、一方は大雨、一方は晴れなのである。
「夕立は馬の背を分ける」と言われるが、こういうことがあると、ついその馬の背、つまり雨の切れ目を見てみたくなる。
そこでぼくは出かける準備をした。

ところが、こちらの空も徐々に黒くなってきたのだ。
嫁ブーから電話があった時に遠くに聞こえていたカミナリの音も、だんだん近づいてきた。
そしてその音が最も近くなった時、とうとう雨が降り出した。
土砂降りである。
ぼくは慌てて寝室の窓を閉めに行った。
もちろん、こうなってしまったので、外に出る気も失せてしまった。
雨はその後30分ほどでやんだが、その間けっこう大量に降ったのだった。

それから1時間ほどして、ぼくは実家に行った。
母はぼくの顔を見るなり、「さっき雨が降ったやろ?」と聞いてきた。
「うん、降ったよ」
「でも、空が真っ黒になったわりには、あまり降らんかったねえ」
「えーっ?!」
「その時ちょっと自転車置き場に行ったんやけど、パラパラ程度やったよ」
ぼくの家と実家は、直線だと200メートルくらいしか離れてない。
それでこの差だ。
夕立恐るべしである。

ところで、200メートル先がパラパラだったとしたら、300メートル先は、おそらくまったく降ってなかったのではないだろうか。
ということは、雨の切れ目はその間にあったということになる。
…やはり、見に行けばよかった。


19日の記事の続きである。
今月の15日に久しぶりにギターを弾き、豆が出来かかったわけだが、翌日指の様子を見てみると、相変わらず前日のままで、白くプクンと盛り上がっていた。
しかも、指先が脈を打っている状態だった。

特に酷かったのが右手の中指で、脈打つたびに痛みを伴う。
そこで指を揉んでみたのだが、白く膨れているところはさほど痛くない。
痛いのはその周りだった。
どういう痛さかというと、指先をペンチで思いっきりつまんだような痛さである。

そういうわけで、その日ギターを弾くのをやめようかと思った。
しかし、そこでやめてしまうと、いつまで経ってもギターは弾けない。
次に弾いた時に、また同じ状態になるからだ。
ということで、痛みを我慢してギターを弾いてみることにした。
もちろん恐る恐るである。
とりあえず軽く押さえてみたのだが、それだけでかなり痛い。
白く盛り上がっている部分が押されて、周りに刺激を与えるのだ。

それでも我慢して弾いていると、今度は手のひらが痺れてきた。
もちろん中指の痛みからくるものである。
しかしぼくは負けずに弾いた。
そこでやめることを、ギター歴32年のプライドが許さなかったのだ。
結局その日は2時間近くも弾いたのだった。

その翌日、事態はさらに酷くなっていた。
白く膨らんだ部分の奥に赤い点が見えたのだ。
おそらく、白い部分の奥に血豆が出来ていたのだろう。
前日無理してギターを弾いたせいで、それが破れてしまったようだ。
そのおかげで、さらに痛くなったような気がしてきた。

この時、ぼくはあることに気がついた。
それは弦である。
これまでぼくは、弾き始めに痛くなったことは何度もあるのだが、今回のように血豆が破れる、いや血豆が出来るということすらなかった。
今回こういうことになって、「何でこんなことになるのだろう」と考えていたのだが、それはギター弦のせいだという結論ににいたった。

ぼくはこれまで、ギター弦はライトゲージもしくはコンパウンドゲージといった柔らかめのものを張っていた。
そのほうがフィンガーピッキングをしやすいからだ。
ところが、その日までギターに張っていた弦は、堅めのミディアムゲージだったのだ。
ギターを買った時のまま張り続けていたから気がつかなかったが、体は正直である。
32年間まったく使ったことのない弦ゆえに、素直に血豆という形で反応したのだから。

さて、それに気づいたぼくは、さっそく買い置きしていた弦(ライトゲージ)に張り替えることにした。
何で何ヶ月も張り替えなかったのかというと、答は簡単である。
それは面倒くさいからだ。
楽器を売っていた頃、ぼくはうんざりするくらい弦の張り替えをさせられていた。
そのせいで、あまり自分のギターの手入れをしなくなったのだ。
まったく、ギター弾きの風上にも置けない奴である。

そういうわけで、それを境に、あまり痛みを感じることはなくなった。
そして三日前、ギターを再開してから一週間後に、ようやく豆の出来かかりはタコに変わり、完全に痛みから解放されたのだ。
血豆の破れたあとも赤から茶色に変わったし、あとは今後そういうことにならないように継続あるのみである。


今日の睡眠時間は6時間だった。
最近4時間が平均だから、久しぶりに充分睡眠が取れたことになる。
ただ、習慣というのは恐ろしいもので、就寝してから4時間後に一度目が覚めたのだ。
それもボヤッとした目覚めではなく、ピタッと目が覚めたのだ。
その後再び目を閉じて、眠りに就いたわけだから、つまり二度寝したことになる。
そのため、変に疲れて寝起きが悪かった。

まあ、寝起きは別として、普段より2時間多く寝たせいなのか、起き上がった時えらく腰が痛かった。
ほとんど這うような状態でトイレに向かったものだった。

ここ3ヶ月間、立ち仕事をやったことはなく、また重い荷物も持ったこともなかったので、腰痛を感じることはなかった。
そのため、腰痛は治ったとさえ思っていたのだ。
それがたかだか2時間多く寝ただけで、この有様である。
やはり3ヶ月間の安静ぐらいでは、腰痛は治らないということである。

さて、偶然なのかどうなのか、今日届いたメルマガにその腰痛に効き目のありそうな機械の紹介があった。

バックライフ (KT)【美容健康商品・コンタクトレンズ・家電専門店Blue-Lagoon】

これなのだが、この写真の姿勢、これが腰痛に一番良い姿勢だと、整体の先生に聞いたことがある。
それを聞いて以来腰が痛い時、ぼくはこの姿勢でいることが多い。
脚を浮かせることで、腰の部分が床に密着する。
そうなることで腰は楽になり、痛みも緩和していくのだ。

この機械は、その楽な姿勢に円運動を加えるようになっている。
かつて『腰痛、よく黙っていたもんだ』という本を読んだことがあるのだが、それに腰痛には円運動が有効だというようなことが書いていた。
つまりこの機械は、腰痛治療の理に適った治療器だと言える。

今はともかく、いよいよ腰痛が酷くなった時に考えてみようかな。
整体だと、一回につき3千円から5千円の治療費を取られるし、一回で治るわけでもない。
最低10回は通わなくてはならないのだ。
それを考えると、これは壊れるまで使えるわけだから、決して高い買い物ではない。
うん、その時にぜひ購入することにしよう。


ぼくがギターを始めたのは、高校1年の秋だった。
ギターを手に入れた日に簡単な入門書を買ってきて、それで調弦の仕方を覚えた。
当初入門書に頼ったのはそれだけで、あとは吉田拓郎のスコアブックでコードを覚えたのだった。
もちろんそれだけだったので、アルペジオなどというしゃれた弾き方は出来るはずもなく、ただ歌に合わせてピックでジャカジャカ弾くだけだった。
その当時のぼくは、それで充分だったのだ。

ところが、周りにはえらく上手い奴がいて、難しい曲をレコード通りに弾いていた。
それを聞いて、コードだけではダメだと思うようになった。
とはいえ、人に習うのは嫌である。
そこでまたもや入門書を開くことになる。
ところが、その入門書に載っていたのは、いわゆるフォークソングのスタンダードナンバーばかり、それもコピーなどではなく、そういう歌を「簡単なアルペジオで弾こう!」といったものだった。

新たに本を買い込んできたものの、当時市販の教本というのは、レコードやカセットテープなどはついておらず、ただ解説と楽譜で勉強しろというものだった。
そのため、どう弾いていいのかが、まったくわからない。

そういう時に読んだ本に、ギターがうまくなる一番の方法は、レコードをコピーすることだと書いてあった。
そこで、さっそく実行してみたのだが、基本が出来てないぼくには到底無理だった。

半分ギターのことを諦めかけていた時に見つけたのが、エレックレコードの通信教育だった。
パンフレットを見ると、それは半年の講座で、毎月レコードと教本が送られてくるというものだった。
また会員には、将来レコードデビューするチャンスもあるというようなことも書かれていた。
「将来レコードデビューするチャンス」、この殺し文句を見て、ぼくは即座に通信教育の手続きをした。
そして半年後、ぼくは何とか人並みにギターを弾けるようになったのだった。

それから数年後、ぼくは楽器を売るようになっていた。
そこには数々の楽器の他、楽譜や教本などが置いてあったのだが、その教本には教則用のカセットテープが付いていた。
もちろん、価格も通信教育よりずっと安かった。
またそれから数年して、今度はビデオ付きの教則本まで出てきた。
ここまで来れば、マンツーマンで人から教えてもらっているのと変わりはない。
ぼくが通信教育で苦労したコードのポジションも、これだと簡単にわかるのだ。
まさに至れり尽くせりである。
しかも、これまた通信教育よりは、ずっと安い価格だった。

時代は流れて、今はこんなものがあるのだ。
ネットで始める音楽レッスン「ヤマハミュージックレッスンオンライン」
ネットを利用して、ギターなど楽器を教える講座である。
懇切丁寧な内容だし、掲示板を使って情報交換も出来るという。
もしぼくが学生時代に、こういうのに巡り会っていたとしたら、今頃はプロになっていただろう。
ホント、うらやましい話である。


ちょっとショックなことがあった。
先月17日の記事に「50代のキャンディーズを見てみたい」と書いたのだが、あの時ぼくはかなり期待を込めて、その文章を書いた。
ところが2日前、その期待が崩れ去るようなことを聞いたのだ。
何と50代どころか、この先永遠に再結成はありえないらしいというのだ。

毎週日曜日の夜10時30分から、福岡放送で『ナイトシャッフル』というバラエティ番組をやっている。
その番組では毎週ゲストを呼び、地元で評判の店などに連れて行くコーナーがあるのだが、今週のゲストが元キャンディーズの田中好子だった。

そのコ-ナーの中で、スーちゃんはキャンディーズ時代の裏話をしていた。
面白かったのは、地方でホテルに泊まるとき、いつも三人いっしょの部屋だったらしく、そのために、いつも寝る時間が少なかったというのだ。
いや、別におしゃべりするからという理由ではない。
原因は風呂である。
部屋内のバスルームは狭いから、当然三人いっしょには使えない。
そのため、一人一人順番に風呂に入らなければならない。
もちろん女性だから、毎日頭を洗ったりする。
だから一人当たりの使用時間がけっこう長くなる。
というわけで、寝る時間が少なかったらしいのだ。

さて、そういう話があったあと、ぼくが一番聞きたかった部分をキャスターが突っ込んだ。
「キャンディーズの復活はないんですか?」
「ありません!」
即座にスーちゃんは答えた。
そのあとに、あの時代だからキャンディーズでいられた、というようなことを言っていたが、それでぼくの夢は潰えたわけだ。

だがその理由は、一部で囁かれている不仲とかいうのではなさそうだ。
なぜなら、彼女たちは今でも三人で集まっていると言っていたからだ。
その中で、「この間もランちゃんの家に集まった」という話をしていたが、「そこに突然、水谷豊が現れた」というような現実的(?)なことを言っていた。

しかしスーも年を取ったなあ…。
何とそのロケ中に老眼鏡をかけていたのだ。
日曜劇場「誰よりもママを愛す」に出ているランも、以前に比べるとけこう老け顔になってきたし…。
まさか、そういうこともあって、復活を拒んでいるのではないだろうか。

まあ、確かに懐かしの歌謡曲のような番組を見ていると、かつてのアイドル歌手がえらく太っていたり老け込んだりしていて、見るのも忍びなくなる時がある。
それを考えると、残るミキの顔を見るのが恐い。
やはり、あの時代だからキャンディーズ…、なんだろうなあ。


昼頃から鼻水が出だして、それ以降ずっとクシャミを繰り返している。
扇風機は回しているが、エアコンなどは入れてない。
そのため体が冷えることもないので、風邪ではないと思う。

ということは、鼻炎か。
もしそうだとすると、いったい何の鼻炎なのだろうか。
花粉が舞っているようには思えない。
ハウスダストというのもあるが、そんなものは今に始まったことではないし、まさか、扇風機アレルギーなどということも考えられない。

ま、何にせよ、早く治さなければならない。
ぼくは鼻炎に悩まされた時にやっていることがある。
それは、ちょっとあごを上げた状態で仰向けに寝ることである。
そうすることで鼻水はのどに流れるし、うまくいけば鼻炎のもとになっている鼻水の塊みたいなのがストンと落ちて、それで治ることが多いのだ。

で、さっそくやってみたのだが、今日はどうも調子が悪かったようで、鼻水はのどに流れるものの、なかなか鼻炎のもとが取れないのだ。
とはいえ、のどに流れると楽にはなる。
それで起き出すのだが、もとが取れてないために、しばらくするとまた鼻水が出てくる。
そこでまた、仰向けに寝る。
というわけで、今日はこういうことを何度やっただろう。

さて、鼻水が流れる時は、鼻が詰まっていることが多い。
鼻が詰まると苦しいので、どうしても口を開けてしまう。
そうすると、口の中がカラカラに乾いてしまう。
その乾きは尋常ではない。
冬時によくなるのだが、口の中の水分がなくなることで、舌が水分を含んでないスポンジのように少し膨れるのだ。
それを放っておくとのどが痛くなったりするので、すぐに水分を補給するのだが、いったん乾ききった口の中はすぐに元にはもどらない。

その間、口の中が微妙に熱く感じて、実に気持ちが悪い。
何を食べても味はないし、タバコもおいしく感じない。
そいうわけで、今日は氷を口の中に入れておいた。
しかし、氷を口の中に入れていると、タバコが吸えない。
いや、吸って吸えないことはないのだが、ぼくはこの組み合わせがあまり好きではない。
なぜなら、氷にニコチンやタールがこびりつくような気がするからだ。

ということで、今日は鼻水が出る、鼻が詰まる、口が渇く、タバコが吸えないという、実にイライラのつのる、ろくな一日ではなかった。
7月以降、ぼくは毎日「今日のラッキー」を探しているのだが、今日みたいな日に「今日のラッキー」を探すのは至難の業である。

…あ、そうか。これがあった。
タバコが節約できたのだった。
ということで、今日もラッキーである。
ま、ちょっと苦しいラッキーではあるが…。


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