頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

2007年05月

東京にいた頃、下宿の近くに戸塚第二小学校というのがあった。
所在地は新宿区高田馬場なのに、何で戸塚などという横浜の地名が付いているのだろうかと、そこに住んでいる時は不思議に思っていたものだ。

その理由を知ったのは、東京を離れてからのことだった。
古い小説を読んでいて、その地名を目にしたのだ。
それを読んでいくうちに、ぼくが住んでいたあたりは、かつて戸塚と呼ばれていた地区だったというのがわかったわけである。

そういえば、これも後で知ったことだが、そのへんを管轄している警察署は戸塚警察署という名前だったらしい。
そこに住んでいる頃は、高田馬場署とか早稲田署という名の警察署、もしくは新宿警察署が管轄している思っていたので、それを知った時はちょっと意外な気がしたものだ。
まあ、管轄の警察署を知らないということは、悪いことではない。
そういうところにお世話にならなかった証拠になるからだ。


ウォーキング中に道を聞かれた。
「すいませんが、○○町3丁目はどの辺りになりますか?」
「○○町3丁目?」
「ええ」
「○○町3丁目じゃわからんなあ…」
「あ、地元の方じゃないんですか?」
「いや、地元は地元なんやけど。○○町3丁目と言われるとちょっとわからんのですよ。通称名とかわかりませんか?」
「ああ、それはわかりませんねえ」
ということで、教えることが出来なかった。
もし、その人が通称名で言ってくれたら、きっとわかっていただろう。
というより、逆にぼくが地元の者でなかったほうがわかっていたかもしれない。

ぼくが通った小学校は、大字○○という地区がそのまま校区になっていた。
だから、地区懇談会や地区対抗リレーでの地区分けは、すべて通称名ごとにやっていた。
それで、このへんの地理を憶えたわけだ。
その後区画整理が行われた際に、大字表記がなくなり、いくつかの町に分けられた。
ところが、普段の生活では通称名ですむので、なかなか○○町×丁目を使う機会がない。
そのため、いつまでたっても○○町×丁目の場所を憶えられないのだ。
今日、その通称名の知識というのが、まったく役に立たない知識だというのを知った。


30年前の冬に、ぼくはデパートでアルバイトをしていた。
商品センターでお歳暮を地区別に振り分ける仕事だった。
生まれ育った場所なので、特に地名や地理を覚える必要もなく、比較的楽な仕事ではあった。
とはいえ、時にはわからない地名を書いた伝票が回ってきて、困ったこともある。
しかし、大概は区画整理前の地名であったり、バス停などにある地名だったので、古い地図を調べたり、誰か知っている人がいたりして解決していた。

ところが、一回だけ、誰に聞いてもわからない地名に遭遇したことがある。
『八幡西区大字蒲原』
こんな地名は聞いたことがない。
古い地図にも載ってないし、『蒲原』というバス停もない。
年配のチーフに聞いても、「そういう地名は聞いたことがない」と言う。
しかも、悪いことに届け先の電話番号を書いてない。
おそらく住所を間違えているのだろうと思い、送り主に尋ねることにした。

「この届け先は、大字蒲原でいいんですか?」
「ええ、いいですよ」
「八幡西区ですか?」
「はい、そうですよ」
「すいませんが、地図調べてるんですけど、こういう地名が見あたらないんですよねえ」
「でも、郵便物はそれで届くよ」
「どの辺になるんですか?」
「いや、死んだ親の知り合いなもんで、自分も知らんのよね」
「電話番号はわかりませんか?」
「わからん」
「そうですか…」
「郵便局に聞いてみてよ」
「わかりました。そうします」

郵便局にはチーフが電話してくれた。
「おい、わかったぞ」
「どこでした?」
「今の青山」
「青山ですか」
「それ、かなり昔の住所らしいぞ」
「昔ちゃいつ頃ですか?」
「郵便局の人の話では、戦前とか言いよったけど」
「戦前ですか。じゃあわかるわけないですよね」
「わしゃ知らんかったぞ」

青山は高級住宅地で、ぼくもいつかは家を建てたいと思っていたところだが、その旧地名から察するに、昔は湿地で蒲がたくさん生えていたのだろう。

上の話は、今朝急に思い出した話である。
何で今頃、こんな昔話を思い出したのかと考えていたのだが、どうやら坂井泉水の死と関係がありそうだ。
坂井泉水の本名は、蒲池幸子というらしい。
「蒲池、蒲池、そういえば…」となったのだと思う。


昨日小学校は、いくつかの演目をした後に中止を決めたそうだ。
実際には1時間もやったのだろうか?
詳しいことはわからないが、そのいくつかの演目のおかげで今日は代休、どこに行っても小学生だらけだった。
運動会は明日以降に行われるようだ。
とはいえ延期したといっても、運動会は、雨の降らない日、つまり光化学スモッグが起きやすい日にしかやれないのだ。
これから気温が高くなり、これまで以上に起きやすいと言うし、このへんはどう考えているのだろう?

さらに言えることは、この光化学スモッグは、環境に対して無関心な国が引き起こしているから、ここ数年なくならないだろうということだ。
ということは、来年以降は光化学スモッグの少ない時期にやるとか、この時期にやらなければならないのであれば、屋内グラウンドを使用するとかしないと、また今回のように晴れているのに中止とかいうことになりかねないだろう。


今日はぼくがウォーキングをしているコース内にある5つの小学校、すべて運動会である。
朝7時、一番近くにある小学校から「ドン、ドン」という花火の音が聞こえた。
予定通りに運動会が行われるという合図だ。
このやり方は、ぼくが小学生の頃から変わっていない。

運動会が行われるということは、ウォーキングの途中に見ることが出来る。
卒業以来、母校の運動会は一度も見に行ったことがない。
これまで日曜日が休みだったことがないし、特に興味がなかったからだ。
しかし、久しぶりに運動会の音楽を聴くというのも悪くない。
あの手の音楽がけっこう好きだったんですよ。

さて、昼前になった。
いつものようにウォーキングに出かけた。
ところがである。
小学校が見えるところまで来たのだが、まったく音楽が聞こえないのだ。
最初はもう昼休みに入ったのかと思っていた。
だが、そうではなかった。
運動場に人がいない。

テントは張っているし、客席にブルーシートも敷いてある。
だけど人がいない。
そういえば、今日は光化学スモッグ注意報が出ていた。
ということは、全員昼食を学校の中でとっているのか。
そう思って、帰りにまた寄ることにした。

ところが、1時過ぎに行った時も、運動場には誰もいなかった。
「花火も鳴っていたし、まさか中止ということはないよなあ」
中止なら、小学校の車が「今日の運動会は中止になりました」と言って回るはずだ。
ぼくが小学生の頃、一度だけそういうことがあった。
その時は小雨で、運動会が出来るか出来ないか微妙な天候だったのだ。
結局その日は中止になり、翌々日に延期になった。
しかし、今日は雨は降ってなかったし、まさか光化学スモッグとか黄砂の影響で中止になるとは考えられない。
なぜなら、公害がひどかったぼくたちの時代でも、そういうことはなかったことだからだ。

だが、原因はそれだった。
今日市内で運動会を予定していた小学校の数は85校、すべて中止になったそうだ。


腹痛できつい。
明日は運動会を見に行こうと思っているので、今日は早めに寝ることにする。
そういえば、明日は海軍記念日か。
わが連合艦隊がバルチック艦隊を撃破した日だ。
「天候晴朗」であってほしい。


最近よく見る夢の一つに、閉店セール初日の夢がある。
「泣いても笑っても、このセールで最後だ」
などと言いながらも、なぜかウキウキしている夢なのだ。
出てくるメンバーはいつも同じで、昨年3月までいっしょに働いていた人たちだ。
特に未練は残ってないはずなのに、その夢を見ると、今でも現実にその状況が続いているような気がして、何か心が癒される気がする。

もう一つよく見る夢に、走れない夢がある。
誰かに追いかけられている夢で、途中までは走っているのだが、走っていると意識すると突然足が動かなくなるのだ。
ジタバタするが走れない。
追っ手はすぐそこまできている。
無理して足を動かす。
そこで目が覚めるのだ。
布団上でもジタバタしていたのか、えらくシーツが乱れている。
息も荒く、動悸もしている。

夢は心理状態を表すと言うが、上の二つの夢は、いったいぼくのどんな心理状態を表しているのだろうか?
特に知りたいとは思わないが、よく見る夢なので、気になるところではある。


以前、『恋人坂』の話を聞いたことがある。
隣の区にある高校に二つの坂があるらしく、その一つが距離は短いけど急勾配の坂で、もう一つが勾配はゆるやかだけど距離の長い坂らしい。
少しでも長く一緒に歩きたいカップルが、距離の長い坂を選ぶので、いつしかそこを『恋人坂』と呼ぶようになったという。
ちなみに急勾配のほうは『地獄坂』と呼ぶらしい。

ま、よくある話である。
ぼくが高校生の時には、そういう話は聞いたことがなかったから、きっと後年つけられた名前だろうが、その話を聞いた時、その高校もえらく開けてきたなあと思ったものだった。
あの頃は、どちらかというとお堅い学校という印象だったのだ。

ところで、こと恋愛に関しては、ぼくの通った高校のほうが有名だった。
何せ他校の学生から、『恋愛高校』と名付けられていたくらいの学校である。
それなのに、なぜかそういう『恋人坂』などという洒落た名前の場所はなかった。
おそらくは、通学路すべてが恋人だらけで、別に場所を特定する必要がなかったのではないだろうか。

そのせいで、よく近隣の住民からクレームが入っていた。
「手を繋いで歩いていた」だとか、「イチャイチャしながら歩いていた」だとかは日常茶飯事だった。
高校2年の頃だったが、学年集会の時に、
「おまえたちの中に、バス停でキスしよった奴がおる」
と、学年主任が興奮して言っていたことがある。
近くの住民から通報があったらしい。
しかし、さすが恋愛高校、そんなことを言っても、誰も反省しない。
みな「そんなこと、どうでもいいやないか」という反応で、似たようなことは次から次に起きていた。

さて、ぼくが高校の時には『恋人坂』のような、粋な場所はなかったわけだが、後年意外なことを知った。
就職先に高校の先輩がいたのだが、その人が、
「図書館の裏側に庭があったやろ。あそこ『秘密の花園』と呼ばれてたんよね」と教えてくれた。
何でも、そこでカップルが寝ころんで愛を語っていたという。
図書館の裏は、少し生温い感じの庭になっていたが、実は艶めかしい場所だったわけか。

しかし、あちらは『恋人坂』で、こちらは『秘密の花園』か。
誇らしいというべきか、恥ずかしいというべきか、複雑な心境である。


はしかが流行っているという。
ニュースでは、そのせいで早稲田大学が休校になったと言っていた。
そのニュースを見てさっそく嫁ブーは、早大に通っている姪に電話をかけた。
が、出ない。
なかなか出ないので、いったん切った。
「まさか感染したんかもねー」となどと言っていると、向こうから電話がかかってきた。
学校が休みになったので、街をうろうろしていたらしい。
で、予防接種を受けたのかと聞くと、受けてないという。
話を聞くと、姪やその周りの学生たちは、どうも学校が予防接種してくれるのを待っているようだ。

テレビでは今日もはしかのことをやっていた。
はしかの検査で病院に行った、ある早大の学生へのインタビューを流していたのだが、その学生は検査とか予防接種とかで三千円かかったと言っていた。
そしてこのセリフだ。
「三千円あると、三日生活出来るんですよね」

いくらはしかが流行っているとはいえ、自分が伝染したり、身近に感染した人がいるわけではないから、彼にはピンと来なかったのだろう。
そんなことよりも、彼には今日の生活のほうが大切なのだ。
おそらく姪やその周りの人たちも同じ気持ちなのだと思う。


夕方、嫁ブーと近くのコンビニに歩いて行っている時だった。
後ろを歩いていた嫁ブーが突然、
「しんちゃん!」
と大きな声を上げた。
振り向くと、嫁ブーはぼくの横で信号待ちしていた車を指さした。
車を見てみると、その中で、ぼくに手を振っている人がいた。
白髪頭でメガネをかけた人だった。
必死に手を振るので、ぼくもそれに釣られて手を振って、笑顔で返した。
それからすぐに信号がかわり、車は発進した。

店に入ってから、ぼくは嫁ブーに聞いた。
「おい、あれ誰か?」
「誰って?」
「さっきの車の人」
「えっ、知らんの?」
「知らん」
「一瞬やったけ、顔がよくわからんかったんやないと?」
「いや、どう考えても知っとる顔やない」
「じゃあ、知らん人に手を振ったわけ?」
「おう。反射的にそうした。じっくり見る暇なかったしの」
「あの車に見覚えないと?」
「ない」

さて、誰だったのだろう?


今朝、嫁ブーを会社に送っている途中、嫁ブーが突然変なことを言いだした。
「本屋で本買って帰り」
「あ?」
「これから銀行に行くんやろ?」
「おう」
「だから、その帰りに本屋に寄って本買ったらいいよ」
「何で本買わないけんとか?」
「朝刊に載っとる占いなんやけど、11月生まれは『外出のついでに書店回り。開運につながる書物を発見』になっとるんよ」
「なんか、西日本新聞の占いか。あれ当たらんけのう」
そう言ってぼくは、関心のない風をよそおった。

しかし、本音のところは違った。
それを聞いたとたん、気持ちは本屋に向いていたのだ。
「それが開運につながるなら、多少高くても買おう」と思っていた。

さて、銀行での用事を終え、さっそく本屋に行った。
開運につながるくらいの本なのだから、無理に探さなくても、その前に立ったら、きっと動けなくなるはずだ。
と、店内をウロウロしたのだが、なかなか「これはっ!」と唸るような本が見つからない。
とりあえず何冊かピックアップしてみた。
ところが、再度目を通してみると、そこまで興味が持てない。

結局買った本は『日・中・韓 新三国志』の文庫版だった。
2年前に文庫化された本だが、こういうのが本当に開運につながるのだろうか?
とりあえず今日は、神棚に上げている。


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