頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

2007年06月

ああ、今日で6月も終わりか。
いろいろ期待していることがあったのに、今月はまとまらなかった。
ということで、結果的に何もないひと月だった。
ま、来月は1年半ぶりに飲み会があるそうだし、何かいい月になりそうな予感がする。
その予感を楽しみにしておこう。

そういえば、このブログもあと4ヶ月ちょっとで終わる。
4月以降、誕生月の11月まで待たないで、さっさと終わらせようと思ったりしたことも何度かあった。
「満年齢でいかなくても、数えで充分だろう?」という悪魔の声も何度か聞いた。
でもダメである。
意地っ張りな性格なので、とにかく40代最後の日、つまり今年の誕生日の前日まで書かないと気がすまないのだ。

もし今終わったら「頑張らなかった40代」という結果になってしまい、この先ずっと後悔することだろう。
だから意地でもやめられん。


昨日、ヒロミから「明日休みだから遊ぼうね」というメールが届いた。
そこで嫁ブーに連絡を取らせ、会うことになった。
午前中はヒロミも嫁ブーも病院に行っていたので、会ったのは昼以降だった。

エアコンの効かない車で、嫁ブーと二人小倉まで行った。
街の中心部では駐車しづらいので、ちょっと離れたところに駐めることにしたのだが、ぼくたちやヒロミが知っている共通の場所といえば、昔いっしょに働いていた会社しかない。
ということで、ヒロミにそちらに来てもらった。
その会社、ぼくが働いていた頃は5階建てのビルだったが、今は建て替えて3階建てになっていた。
そこには、まだ何人かの同僚が働いているらしい。
が、会社部は3階で駐車場は1階ということで、会うこともなかった。

その後ぼくたちはショッピングセンターに行って、食事をしたり買い物をしたりしたのだが、今日はそれほど時間がなかったし、雨もけっこう降っていたので、遠出はしなかった。
次回はいつになるかわからないが、時間をゆっくり取って、温泉巡りでもしてみようと思っている。

ところで、ヒロミだが、何の病院に行っているのかと聞いてみると、耳鼻科に行っていると言う。
耳鼻科と聞いて、ぼくはてっきり、爪楊枝で耳をかき回しすぎて炎症を起こしたものと思っていた。
ところが、悪いのは鼻だという。
「え、鼻に爪楊枝入れたんか?」
「え、爪楊枝?」
「おう。爪楊枝で鼻の中をかき回して、鼻が悪くなったんやろ?」
「そんなことするわけないやん」
「じゃあ何の病気か?」
「鼻炎よ、アレルギー性の鼻炎」
「なんか鼻炎か」

ヒロミなら、鼻に爪楊枝を入れてかき回すくらい平気でやりそうなので、返事を期待していたのだが、そうか、鼻炎だったのか。
ちょっと残念だ。


最近はいつ雨が降り出すかわからない。
いくら天気予報で降水確率0%と言っていても、外れることがある。
そういうわけなので、なかなか窓を開けて外出する勇気がない。
ぼくの部屋は風の通らないし、パソコンが常時入っているので、窓を開けておかないと、帰ってきた時に酷い暑さになっている。
しかし、やたら窓を開けることも出来ない。
なぜなら、窓際に机があり、そこに精密機械だとか、山積みの書類だとかを置いているからだ。
雨が降ると、そういう物が濡れてしまう。
前に一度、それで書類をダメにしたことがある。
それ以来神経質になっているわけだ。

今のレイアウトにして、もう7年が経つ。
上記のようなこともあるし、何よりもこの配置に飽きてきている。
風水を参考にして、変えてみるかな。


 その神社にお参りしだしてから、もう半年になる。願掛けすることがあって行ったのが最初で、そのうち行かないと落ち着かなくなり、今では行くのが日課になっている。

 一ヶ月前ぐらいだったろうか、お参りを終えて帰ろうとすると、突然後ろの方から、
「明日も来いよ」
 という声が聞こえた。びっくりして振り向くと、木々が揺れてサワサワと鳴っていた。

『ああ、ここの神様は、いつも気にかけてくれたんだ』

 それ以来神様とぼくは友だちになった。ぼくが語りかけると神様は、神殿の奥から幽かな風を吹かせ、応えてくれている。


暑い。
相変わらず、昼間にウォーキングをやっている
ちょっと前までは、ある程度出ると止まっていた汗が、今はずっと出っぱなしだ。
帰ってくる頃には、上も下も汗でびっしょりになっている。
ま、汗をかくだけならいいのだが、そこに別の問題が出てきた。

先週は雨が降ったりやんだりで、なかなか晴れ間が出なかった。
そのせいで外に干すことが出来ない。
そこで寝室に竿をかけて、部屋干しすることにした。
一度乾燥機で半乾きにしてから干すので、かなり早く乾く。

ところが、そこに落とし穴があった。
実は、うちの洗剤は部屋干し用ではなかったのだ。
そのため、汗などで湿気ると、すぐに妙な臭いがしだす。
そう、問題というのは、汗のせいで下着が臭くなることだ。
どんな臭いかというと、納豆の臭いである。
嫁ブーに、今度洗剤を買う時は、部屋干し用の液体洗剤にしろ、と言っておこう。


昼間、また空がモヤッとしていて、数百メートルくらい先の景色が霞んでいた。
「また光化学スモッグか?」
と思っていたら、今日は違っていたようだ。
気圧の谷間にかかっているために濃霧が発生したらしい。

しかし、紛らわしい。
ま、ニュースや天気予報を見れば判断がつくのだろうが、いったん外出してしまうと、なかなかそういうのを見る機会はない。
で、今日、ぼくは勝手に光化学スモッグと判断してしまったのだ。
そして、その条件反射のせいで、目が痛くなり、のどがチカチカし、最後には頭まで痛くなってしまった。


いつもドラマ『プロポーズ大作戦』を見ている時に、東京にいた頃のことを思い出していた。
もちろん東京時代にタイムスリップを経験したわけでもないし、東京で愛の告白をしたという体験を持っているわけでもない。
でも、何か似ているのだ。

いったい何が似ているのだろうと、いろいろ考えていたのだが、最終回の今日、ようやくそれがBGMにあるという結論に達した。
『プロポーズ大作戦』の主題歌は、サザンオールスターズが歌っている。
それがドラマの中で効果的に使われていた。
ぼくが東京に住んでいた頃もうそうだった。
個人的なイベントがあるたびに、いつもサザンの歌がかかっていたのだ。

友人たちと西伊豆に海水浴に行った時もそうだったし、富士山に行った時もそうだった。
帰省の前日に飲み過ぎて、二日酔い状態で飛行機に乗ることになったのだが、その時友だちが羽田空港まで車で送ってくれた。
その時も、車の中ではサザンがかかっていた。
頭の痛みを抑えながら、サザンを聞いていた。
その当時かかっていたのは、当然のことながら今ヒットしている主題歌の『明日晴れるかな』ではなく、『勝手にシンドバット』であり『いとしのエリー』だった。

しかし30年近くも前の古い歌なのに、なぜ今につながるのかというと、それはサザンのサウンドの基本的な部分が変わってないからだと思う。
二十歳前後という多感な時期を、今も変わらぬサザンのサウンドとともに過ごしてきた経験を持つからこそ、ぼくはこのドラマに自分の過去を見る思いがして、愛着を持ったのだと思う。


 うちのシャワーは、うまく閉めないとすぐに水が漏れてしまう。普通に閉めてもだめなのだ。
 まずシャワーから水を出し、次にその水を止めるべくレバーをゆっくりとカランの方向に回す。そしてカランに水が移る寸前で止めて、最後に気持ちシャワーの方向に戻す。すると水はピタリと止まる。

 この一連の作業を怠るとシャワーはスカスカ言いだして、鼻風邪を引いた時のように水がポタポタ垂れてくる。こうなると水は簡単には止まらない。
 何よりも大切なのは気持ち戻す勇気で、この作業の成功はそこにかかっている。


ぼくの住む地区には、24時間営業のスーパーが二つある。
ぼくの町内に一つと、隣の町内に一つだ。
その隣の町内にあるスーパーだが、隣とはいえうちからはけっこう離れた位置にあり、車でないと行く気がしない。
そういうことで、店の前は何度も通ったことがあるものの、店には入ったことがない。

二日前のことだった。
ビールが切れていたので、嫁ブーを迎えに行ったついでに、どこかのスーパーに寄って買うことにした。
最初はイオンに寄るつもりだったが、時間は午後10時少し前、もう閉まる時間だ。
コンビニで買ってもいいのだが高い。
ということで、24時間のスーパーに行こうということになった。
で、どちらのスーパーに行くかだが、せっかく車で行くのだからということで、隣の町内のほうを選んだ。

そのスーパーは、高級住宅地のすぐそばにあるせいか、うちの町内のスーパーよりも店構えはきれいだが、中はさほど変わらなかった。
品揃えもさほど変わらない。
ところが、一つだけ違うことがあった。

それは価格である。
ぼくが普段買っている商品の値段が、やたら高いのだ。
10円20円の差ではない。
2リットル入りのお茶で120円、コーンフレークは80円、せんべいが50円…。
単価100円200円の商品で、この価格差は酷い。
人をバカにしてると言ったほうがいい。

いくら高級住宅地に近いとはいえ、利用するのはそこに住むお金持ちだけではない。
近くには学生アパートも多くあり、日に1000円以下でやりくりしている人も多くいるはずだ。
まあ、近くにはディスカウンター化したドラッグストアなどがあるので、バランスは取れていると思う。
だが、昼間はそういうところでいいだろうが、夜はそこしか開いてないのだ。
苦学生たちは、必要とあらば、そこで他のスーパーの倍近くのお金を出して、買い物をしなければならないことになる。

まあ、そのスーパーはチェーン店なので、その店独自の判断で価格をいじれないのはわかる。
だが、もう少し周りの状況を見て改善してもらいたいものだ。
「開けてやってるんだから、文句を言わず買え」では、お客は寄りつかないだろう。
別に24時間営業をやっているのが、偉いのではないのだから。


 昔はビンタと馬鹿野郎で、ほとんどのことが解決した。だけど今は違う。ビンタは傷害罪に問われ、馬鹿野郎は侮辱罪に問われる。

 そうだ、昔の成敗が今は犯罪になるのだ。だからぼくたちは人とのふれあいを極力避け、差し障りのない言葉で会話しなければならない。感情を露わにすることはもちろん御法度だ。
 やれ自由だ、やれ個性だと煽られてきて、気がつきゃこれである。

 もしかしたらぼくたちは、これまでのどの時代よりも、窮屈な社会に住んでいるのかもしれない。


このところ、毎日一編、このブログ(随処作主)に詩をアップしている。
基本的に古い詩が多いのだが、その中には新しく書いた詩もいくつかある。

この数年、日記やエッセイばかり書いて、詩を書いてこなかった。
要はただ書かなかっただけなのだが、なぜかそれで「詩は終わった」ような気分になり、いつしか詩が書けなくなったと思い込むようになったのだ。

また、4月から禁煙しているが、これも思い込みに一役買っていた。
かつて読んだ遠藤周作のエッセイに、『私の知っている詩人はすべてタバコを吸っている』、というようなことが書いてあった。
そういうのを真に受けていたために、禁煙を始める時「これで詩が書けなくなるなあ…」なんて思ってしまったのだった。

ところがである。
先月、試しに詩を書いてみると、さほど苦もなく書けてしまったのだ。
よくよく考えてみると、詩を書き始めた頃、ぼくは作文や読書感想文を書いていたわけだし、その頃はタバコを吸ってなかった。
ということで、これまで詩が書けなかったのではなく、「詩が書けない」という観念に縛られていただけだったわけだ。

何ごともそうだろうが、
出来ないと思うからやらない。
やらないから出来ない。
この繰り返しだ。
ことを成就させるには、この連鎖を断ち切らないとダメだということになる。


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