頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

2007年07月

備忘として書いておくが、今月の24日床屋に行った。
その日に書くつもりだったが忘れていたのだ。

何で床屋に行ったこと書くのかというと、次に床屋に行く時に役に立つからだ。
ぼくは髪が伸びるのがけっこう早いので、以前はしょっちゅう床屋に行っていた。
しかし、実際は早く伸びているように見えるだけで、床屋で髪をすいていた部分などは、充分に生えきっていないことが多かった。
そのため、早く髪を切ってしまうと、全体にボリウムがなくなったり、地肌が透けて見えたりしていた。

そういうこともあって、最近は2ヶ月に一度しか行かないことにしている。
ところがある時期から、そろそろ髪が伸びたなと思った時、「そういえば、前に床屋に行ったのは、いつだろうか?」と、前回行った日のことを忘れていることが多くなった。
そのせいで切るタイミングを間違えたことが何度かあった。

そこでこの日記を利用することにしたのだ。
前回行った日を記録しておけば、忘れても困ることはない。
日記を見れば、次に床屋に行く日も判断できるわけだ。
つまり、ブログは備忘録としても活用できるということだ。


『ためいき』
さりげないためいきやめて
今日から真面目にやっていくんだ
昨日吐いたあの言葉に
嘘や偽りはないんだから

そしていつか見返してやるんだ
あいつも、あいつも、みんなまとめて
あの日のぼくは正しかったんだと
それがぼくの人生だったと

 もう振り返らない 風は追い風だ
 尽きることはない
 もしもつまずくことがあったとしても
 明日のための布石なんだ

疲れたふりなんかやめて
今日から素直に生きていくんだ
ほら明日が笑っているよ
その日の自分が手招きしている


久しぶりにプレイヤーズ王国に曲を上げた。
前に上げたのが昨年の4月だったから、1年3ヶ月ぶりの新曲(?)ということになる。
その間、会社を辞めたり、ウォーキングを始めたり、変なネコと知り合ったり、いろいろなことがあったが、過ぎてみると早いものである。

さて、この『ためいき』という歌だが、元々同名の曲があった。
しかし、その内容が現実味を帯びてないので、歌詞を書き換え、今の歌になった。
どういう風に現実味を帯びてないのかというと、元歌は、結婚して、二人の子どもを得て、孫まで出てくる。
現在、というか、これからも子どもが出来る予定はない。
したがって孫なんて出てこない。

そういうわけで、その歌詞を却下し、新しい歌詞を作ったのだが、その歌詞を作ったのが、昨年会社を辞めた頃だったので、こういう歌詞になったのだ。
ま、現実味を帯びさせたわけだが、一ヶ所だけ現実ではないところがある。
それは「あいつを見返してやる」部分だ。
実際そういう人はいない。


トンボが飛行機を背負って飛んでいる。
飛行機はあまりに大きすぎて、
その存在はわからない。
だけどトンボは飛んでいる。
飛行機を背負って飛んでいる。

飛行機がトンボに背負われて飛んでいる。
トンボはあまりに小さすぎて、
その存在はわからない。
だけど飛行機は飛んでいる。
トンボに背負われて飛んでいる。


今日は半日オナカ君の手伝いをしたのだが、車での移動中、怖ろしいことが起きた。
国道を運転中、二つ前を走っている車が右折するために停車した。
一車線しかないところなので、よけることが出来ない。
そのため、すぐ前を走っていた車も停まった。

当然オナカ君も停まるものと思っていた。
ところが、オナカ君はいつまで経ってもスピードを緩めない。
ぼくは「おい」と言って、オナカ君のほうを見た。
すると、オナカ君は少し焦った声で
「ブレーキが利かん」と言うではないか。
前の車は数メートル先に迫っている。
オナカ君はとっさにハンドルを切った。
車は歩道に向かった。
その先には電柱があった。
「当たる!」とぼくは思った。
と、オナカ君はまたもやハンドルを切った。
車は車道に戻った。
だが、前の車はまだそのままの位置にいる。
「もうだめだ!」と思ったその瞬間、ようやく前の車が動いた。
そう、ぶつからずにすんだのだ。

そのあとオナカ君はしつこくブレーキを踏んでいた。
その甲斐あって車は停止した。
ぼくたちは何とか危機を脱したのだった。

別に飛ばしてはいなかったが、それでも制限速度は出ていたから、もし当たっていたら、物損だけではすまなかったに違いない。
確かにオナカ君のハンドルさばきはうまかった。
だが、それも前の車が動いてくれたから生きたのだ。
これは運以外の何ものでもない。
今月に入って、ぼくはずっと運の良さを感じているのだが、これもその運の良さが作用したものなのか?
それともオナカ君の運が強かったのか?
そういえば、ぼくもオナカ君も、星座はさそり座だ。
ということは、二人の運が作用したのだろうか?


一昨日の夜、食事がすんでから急にアイスクリームが食べたくなり、となりのセブンイレブンに買いに行った。
当初はそれだけ買って帰るはずだった。
ところが、コミックの売場に『バガボンド』の新刊(26巻)が置いてあった。
これは買わなきゃと思ったのだが、考えてみると、アイスクリーム代しか持って行ってなかった。
そこで嫁ブーに電話をかけ、お金を持ってきてもらった。
店が近いと、こういう時便利である。

家に帰ったぼくは、まず食べたくてたまらなかったアイスクリームを食べた。
そのあとで『バガボンド』の封を開けた。
ちょうどその時だった。
テレビで『山おんな壁おんな』が始まった。
そこで『バガボンド』を読むのはやめて、テレビを見ることにした。
『バガボンド』のことを覚えているのはここまでだ。
テレビを見終わった後、日記に取りかかったのだが、その頃には『バガボンド』のことはすっかり忘れていた。

さて、「そういえば『バガボンド』を買っていたな」と思い出したのは、翌日の夜、つまり昨日の夜のことだった。
それまでは何かを忘れているのだが、それが何かが思い出せないでいたのだ。
思い出したのは、風呂に入っている時だ。
そこで風呂から上がって捜した。
ところが見あたらないではないか。
嫁ブーに聞くと、「知らん」と言う。

それから家捜しである。
居間、自分の部屋、脱衣場、あげくにトイレまで捜した。
でも見つからない。
そのうち、本当に買ったのか、ということに疑問を持った。
そこで嫁ブーに、
「昨日、おれコミック買ったよのう?」と聞いてみた。
「うん、買ったよ」と言う。
やはりどこかに置き忘れているのだ。

その時、陽水の『夢の中に』の歌詞を思い出した。
“探すのをやめたとき、みつかることもよくある話で…♪”
「そうやの。どこかにあるんやけ、そのうち出てくるやろう」
と思ったところで、ドラマ『山田太郎ものがたり』が始まった。
それを見ているうちに、またしても『バガボンド』の存在を忘れてしまった。

今日もこの日記を書くまで、『バガボンド』のことはすっかり忘れていた。
というか、昨日の夜から、一度も「何か忘れている」とは思わなかった。
そういうわけで、まだ『バガボンド』は見つかってない。


昨日シャディの前を通ると、「初盆」と書いたのぼりがいくつも立っていた。
今日イオンに行くと、たくさんの盆提灯が並べてあった。
梅雨が明けたばかりだし、お盆なんかまだ先だと思っていたが、もうお盆まで3週間もないのだ。

お盆で思い出したが、今年は親戚の初盆がある。
あまり気乗りがしないが、行かないわけにはいかないだろう。
何せ親戚付き合い好きの母の出番になるわけだから、必ず「連れて行け」というに決まっている。

別に親戚の家に行くのはいい。
叔父や従兄弟たちに会うのもかまわない。
気乗りがしない理由は、そこにあるのではない。
では何が問題なのかというと、それは駐車場である。
親戚の家は、車を停める場所がないのだ。
だから困るわけだ。

バスで行けないこともないのだが、あまりに本数が少ない。
しかも隣の市だから、バスの時間がわからない。
だからいつも行く時は、ぼくの車を使うわけだ。

1月の通夜や葬儀の時は斎場でやったので、斎場の駐車場が使えた。
また四十九日の時は、親戚が町内会の駐車場を準備してくれていた。
しかし、お盆はそういうわけにはいくまい。

ということで、母だけ親戚の家の前で降ろして、ぼくはどこか別の場所に駐めてから行くとするか。
だけど、あそこは大型商業施設はあるものの、親戚の家まで歩くとなると20分はかかってしまう。
歩いて20分ということは、2㎞くらいか。
2㎞じゃタクシーは行ってくれんだろうなあ。

やはり歩いて行くことになるわけか。
歩くと言ったって、Tシャツ・短パンで歩くならともかく、夏物とはいえ礼服を着ていかなければならないから、ちょっと辛い。
かといって、他に方法はないから、その手で行くしかないか。


うちの風呂場には大きな鏡がある。
その鏡に自分を映しながら、ぼくはいつもヘラヘラ笑っている。
こうやると幸せがやってくるそうだ。
出来たら声を上げて笑った方がいいらしい。
だが、風呂場の音は外に漏れるのでそれは躊躇する。

さて、今日もいつものように鏡の前でヘラヘラ笑っていたのだが、何か顔がテカっているように見える。
その時は照明の具合だろうと思っていたが、そうではなかった。

風呂を上がってから実家に行ったのだが、その時に母から、
「何ね、あんたの顔」と言われた。
「なんか付いとる?」
「いや、焼けとるんよ」
「前から焼けとるやん」
「今日は格別に黒い」

そういえば、今日の日差しは、熱中症になるのではないかと思うほどすごかった。
今日も例のごとく昼間に歩いたのだが、その時はなるべく日陰を歩くなどして、頭をかばっていた。
おかげで熱中症になるようなことはなかった。
が、そのエネルギーは顔に作用したわけだ。

まあ、別にぼくは日に焼けてもかまわないのだが、世間ではそうではないらしい。
昔は日に焼けることが健康的だと言っていたのに、今ではシミ、ソバカスや皮膚ガンなどの原因だなどと、とかくマイナス要因のように言われている。
この調子でいくと、そういう声に過敏に反応し、外に出ただけで気分が悪くなるような神経質な人も、遠からず出てくるだろう。

花粉症がそうだった。
昔はそんなことで騒ぎもしなかったのに、一度その名前や症状が紹介されたとたん、「私も、私も…」というふうになり、あっという間に広がったのだ。
これも言葉による過敏症だと、ぼくは思っている。

出来たらぼくは、そういう人になりたくないのだが、ここ数年は若干花粉症気味だ。
しかし、日焼けだけには反応せずに、それが健康だと思っていきたい。
そうしないと、夏が楽しめない。


いつもぼくがここで「嫁ブー」と言っているせいなのか、ついに嫁ブーは隠れ肥満の域に達したらしい。
なるほど横から見ると、嫁ブーの体は台形である。

台形、久しく使ってない言葉だ。
ひし形はかろうじて使ったことはあるが、台形だとか平行四辺形だとかは、数学を習わなくなってから使った覚えがない。
そのために忘れている用語が多い。

前に誰かとの会話で、「分度器」が出てこなかったことがある。
喉元までは出かかっているのだが、なぜか頭の中に「コンパス」という言葉が出てきて邪魔をするのだ。
最後には恥を忍んで、「あの、角度測るのに使う、半円の定規みたいの何という名前やったかねえ?」と相手に聞いた。
「分度器ですか?」
相手は、そんなことも知らんのか、といった顔をしていた。

しかし台形は懐かしい言葉だ。
そういえば、台形の面積の求め方はどうだったろうか?
確か「(上底+下底)×高さ÷2」だったと思う。
理屈は合っているし、これでいいとは思うのだが、今ひとつ自信がない。
そこで嫁ブーに聞いてみた。
が、話にならない。
「底辺×高さ÷2、やろ」
それは三角形の面積だ。

結局ネットで調べたのだが、先の公式で合っていた。
こういう調べものがある時、ネットというのは本当に役に立つ。
もしネットがなかったら、わざわざ台形の公式を調べるだけのために、本屋まで走らなければならないところだった。


朝方はさほど暑くなかったが、昼から暑くなった。
今日は銀行回りをする予定にしていた。
今回の銀行回りは2行だけだ。
地銀や信用金庫なら、別に街に出なくてもすむのだが、1行が都市銀なので、どうしても街に出なければならない。

というわけで、昼間は暑いので、少し涼しくなってから行こうと思い、夕方家を出た。
ところが、駅まで歩いている途中に、お金を持ってくるのを忘れたことに気づいた。
そこでお金を取りに戻ったのだが、家に帰ると汗がドッと吹き出た。

夕方とはいえ、まだまだ暑かったのだ。
こうなると、シャワーを浴びないとつらい。
しかし、そんなことをやっていると、時間がなくなる。
「どうしようか?」と迷ったが、やはり汗が気になる。
で、シャワーを浴びたわけだが、考えてみると、着替える服がない。
部屋干し臭をなくそうと、今日着ていく一着を除き、すべて嫁ブーが洗ってしまっていたのだ。

「そうだった。じゃあ今日はやめた」となり、嫁ブーと二人で、「暑い、暑い」と言いながら、居間でゴロ寝してテレビを見ていたのだった。
銀行へは、後日行くことにした。
もちろん、こうならないように、朝方に行くことにする。


よく記憶違いをすることがある。
例えば、中学の時に体験したことを、高校の時に体験したと思い、そのことを高校時代の友だちに話すと、「そういうことあったかのう?」ということになる。
その時は、「こいつ記憶力悪いのう」などと思っているのだが、その後よくよく考えてみると、それは中学の時の体験だったと気づき、自分の記憶力の悪さを嘆くことになる。

また、こういう事もよくある。
自分の知っていることは、当然相手も知っていることだと思い、そのつもりで話していると、どうも相手の反応が悪い。
おかしいなと思っていると、相手はそのことを知らなかった、ということだ。

これらは、標準語だと思ってしゃべっていたら、実は方言だった、というのと同じことだ。
だから、こういう類の記憶違いや勘違いを、ぼくは「ローカル記憶」と呼んでいる。

そのローカル記憶だが、以前こういうことがあった。
何年かぶりに中学時代の友人に会った時のことだが、昔話に花が咲いたころ、突然彼が「S子も立ち直ってね。この間会った時に『私は昔の私じゃない』と言ってくれたんよ」と言いだした。
S子…、誰?
昔の私…、何?
全然わからん。

そこでぼくは、S子とは誰のことで、昔の私とはどういうことかというのを聞いてみた。
それでわかったのだが、S子とは中学の同級生だった。
突然S子などと言われてピンと来なかったのは、いっしょのクラスになったことがなかったからだ。

で、そのS子の昔はどういう「私」だったのかというと、高校時代にかなりグレていたらしい。
先ほど書いたように、ぼくは中学時代のS子も満足に知らないのだ。
高校は違う高校で、しかも違う区にあった。
だから、まったく噂なんて入ってこない。
それなのに友人は、自分が知っていることだから、当然ぼくも知っていると思って話したのだ。
だから、ぼくは戸惑ってしまったわけだ。

今後は同窓会なども増えていくことだろうし、ローカル記憶でひんしゅくを買わないように、記憶の整理をしておかなければならないな。


ずっと部屋干しだったから、Tシャツがちょっと臭い。
汗をかいたら、さらにニオイがきつく感じる。
7月に入ってから、夕方から晴れたという記憶はあるが、一日中晴れた日があっただろうか?
ああ、そういえば先週一度あった。
でも煙霧とやらで日は一日中霞んでいたのだった。

今日も昼頃まで小雨が降っていた。
「今日もこんな天気か。うんざりするのう」と思っていたら、夕方からきれいに晴れ上がった。
先週の日曜日と同じ展開だ。
ただ、一つだけ先週と違うことがある。
それは、先週の時点では、梅雨明けがいつになるか読めない状態だったのが、今週ようやく見えてきたのだ。
明日か明後日だということだ。
ということで、今日の青空は、本物の夏空なのだろう。

「ひまわり、夕立、セミの声…」というか、「真夏日、熱帯夜、不快指数…」、いよいよ始まりますね。


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