頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

カテゴリ: 長い浪人時代

ちなみに、Y運送のバイト仲間のうち、二人はもうこの世にいない。
一人はKさんだが、もう一人はWさんという方である。
WさんはKさんの友人だった。
この方はKさんよりも早く亡くなっている。
死因は白血病だった。
一方の女性陣だが、Uさんは結婚してから数年後に、ご主人と死別した。
Oさんは、Kさんの死後、年下の男とつきあい始め、そのまま結婚に至ったのだが、ご主人の実家との折り合いが悪く、ノイローゼになったと聞いた。
どちらもその後は消息不明である。
かく言うぼくも、それから数年後につき合いだした嫁さんとは、すんなり結婚に至ったわけではない。
いろいろと紆余曲折があり、結局籍を入れるまでに15年の時間がかかっている。
つまり、その後は誰一人、あの頃自分の描いた幸せな人生を送ってないわけだ。

さて、成人の日の祝成人会も終わり、ぼくは再びY運送以前の生活、そう恋と歌の旅に戻ったのだった。
恋のほうはといえば、X子やOさんのことは、すでにぼくの中では終わったことになっており、恋の主題は、また高校時代の憧れの人に戻っていた。
やはり忘れられないのである。
というより、運命が忘れさせてくれなかったのだろう。
結局その状態が、今の嫁さんとつき合うまで続くのだから、運命はその後5年間も彼女のことを忘れさせてくれなかったわけだ。

まあ、恋のことはさておき、問題は一方の歌のほうだ。
アルバイトの間、ぼくは歌うことは歌っていた。
だが、それは歌と言うにはほど遠かった。
いつも大声を張り上げていただけだったのだ。
おかげで、声はかすれるわ、のどは痛いわでさんざんな目にあった。
つまり、歌と言いながら、声を潰すようなことを繰り返していただけだったわけだ。
また、Y運送でアルバイトしている間は、その疲れと度重なる飲み会で、歌作りなど出来る状態ではなかった。
当然、その間に作った歌は一曲もない。
ということで、しばらくの間家に籠もって、そのブランクを取り戻そうということになった。

ところが、気がつくと、ぼくは家でじっとしている生活が耐えられない性格になっていたのだ。
最初の二、三日は何ということはなかったのだが、それを過ぎる頃から落ち着かなくなった。
「外に出たい」という気持ちが強くなったのだ。
そう、ぼくは前年の5月から続いた『ひきこもり症候群』から、完全に脱出することができたわけだ。
もちろん、その2ヶ月後からアルバイトをやっているから、すでにその時点で『ひきこもり症候群』は終わったはずだったのだが、そうではなかった。
それはあくまでも、母や友人から尻を叩かれて、嫌々外に出ていただけのことで、精神的には『ひきこもり症候群』はまだ続いていたのだ。
ここに来て、ようやく自分から「外に出よう」という気持ちになったわけだ。

そして、この「外に出たい」という気持ちが次のアルバイトを探させ、さらにその気持ちは東京に目を向けさせることになる。
結局、歌のほうは、次のアルバイトが終わるまで、お預けとなった。


その年の9月のことだった。
ぼくは8月中旬に一端長崎屋を辞め、その時期は博多の出版社で働いていた。
仕事から戻ると、母が「さっきUさんという人から電話があったよ」と言う。
「何の用やった?」
「さあ?何も言わんかったけど、急いどるみたいやったよ。電話してみたら?」
「うん。わかった」

ぼくはさっそくUさんに電話をかけた。
「もしもし、しんたですけど」
「ああ…、しんた君」
Uさんの声は沈んでいた。
「どうしたんですか?」
「あのう…、Kさんが…」
「えっ?」
「Kさんが死んだんよ」
「えーっ!?うそやろ?」
「さっき、Oさんから電話があってね…」
「何でまた…。事故か何かで?」
「いや、ガンらしいよ」
「えっ、ガン?どこの?」
「胃ガンらしいんよ」
「ああ…」

ぼくには思い当たる節があった。
Kさんはめっぽう酒の強い人だった。
バイトしていた時に、「昨日はボトル2本空けた」などとケロッとした顔をして言っていた。
普通ボトル2本も空ければ、そんなケロッとした顔をして会社になんか来られないはずである。
聞くところによると、飲み比べをして、一度も負けたことがないらしい。
それもそのはずだった。
Kさんは酔えない体質の人だったのだ。
そのため、限度がわからずに、時間が許す限り飲んでしまう。
社会に出て、いろいろとストレスを溜めては酒を飲む、といった生活をしていたのだろう。
それで胃を痛めたのだろう。
Uさんの話によると、最後の一ヶ月は食事も受け付けない状態で、死ぬ前はかなりやせ細っていたと言う。

Uさんは続けた。
「今日通夜で、明日葬儀なんやけど。今日はもう遅いけだめやけど、しんた君、明日は行ける?」
ぼくは、翌日から熊本に出張しなければならなかった。
「行きたいけど、明日から出張なんよ」
「ああ、出張か。じゃあ、行けんねえ…。しかたない、Yさんと二人で行ってくる」
「Oさんは?」
「付きっきりやったみたい」
「そう…」
「かなり落ち込んでいるみたいよ」
「そうやろうねえ」

Kさんの家は、博多に行く途中にあった。
いつも電車でそこを通る時、Kさんの家の屋根が見えていた。
翌日、出勤途中に、電車がKさんの家の前を通過した時に、ぼくはKさんの家の方向を向き手を合わせた。
そして、博多に着くまで、あのY運送でバイトした日のことを思い起こしていた。
Y運送に入った日のこと、井筒屋での仕事のこと、Y大生事件のこと、Kさんの家に泊まった日のこと、X子のこと、Oさんのこと、K選手の壮行会のこと、成人の日のこと…。
そういう出来事も、その時にはすでに遠い過去のことになってしまっていた。
だが、Kさんは違っていた。
兄貴という形で、ぼくの中にはっきりと存在していた。
そして、それは今でもそうである。


さて、アルバイトが終わった後も、成人の日まで、ぼくはKさんと頻繁に会っていた。
それ以降はというと、Kさんも卒業や就職の関係で、あまり動きが取れなくなったのか、会うことがなくなった。
成人の日から数日して、Kさんから「赴任先が広島に決まった」と電話が入った。
Kさんはすでに某運送会社に就職が決まっていたのだが、赴任先がどこになるのかまだ決まっていなかったのだ。
この電話をもらう前に、先方から連絡があったらしかった。
「これから卒業とか引っ越しでいろいろ忙しくなるけ、もう会えんかもしれんけど、まあ、おまえも頑張れや。落ち着いたら連絡するけ」
「うん」
が、連絡はなかった。
ということで、この電話が東京に出る前にぼくがKさんと交わした、最後の会話であった。

その年の8月だった。
東京から帰省していたぼくは、Oさんたちから、Kさんが盆休みで戻ってきているということを聞いた。
「じゃあ、久しぶりでみんなで会いましょうか」ということになって、ぼくが代表してKさんに電話することになった。
「あ、Kさんですか?」
「はい」
「しんたです。お久しぶりです」
「しんた…。しんた…?誰やったかのう」
「しんたですよ。Y運送でいっしょだった」
「おお、あのしんたか!」
「忘れたんですか?」
「忘れるわけないやないか。いや、最近、営業やっとるもんで、いろいろな人に会うやろ。そのせいで急に昔の知り合いの名前を言われてもピンと来んようになったっちゃの。で、何の用か?」
「今、Oさんたちといっしょにいるんですが、会えませんか?」
「今からか?」
「ええ」
「今はちょっと都合が悪いのう。明日の夜ならいいけど」
ということで、翌日にぼくたちは会うことになった。

そこでいろいろと、各人の近況報告など話したのだが、その時再会したことがきっかけとなって、KさんとOさんはつき合うことになった。
もちろん、遠距離恋愛である。
翌年だったか、噂で二人が結婚することを聞き、「Kさんよかったな」と思ったものだった。
しかし、二人は結婚しなかった。

ぼくが東京から北九州に戻ってきた80年のことだった。
その年の春、ぼくはUさんの紹介で日立にアルバイトで採用され、長崎屋に勤務することになった。
そういうことがあって、Uさんと会うことが多くなった。
Uさんは、自分が好きな人の目を引かせるために、ぼくを当て馬に使ったこともあった。
Uさんは、結局その人と、その年の11月に結婚するのだが、その結婚式にはぼくやOさんも呼ばれた。
だが、そこにKさんの姿はなかった。


その理由とは、Kさんのことである。
とりあえずKさんとの関係を整理しておくが、彼は当時Y大学の学生だった。
男気が強く、頼まれたら「任しとけ」という、まさに九州男児タイプの人だった。
そういう人とぼくのようなひねくれた男が、なぜウマがあったのかはわからない。
おそらくそこには、お互い一人っ子というのがあったのかもしれない。
Kさんはいつもぼくの兄貴のように振る舞い、何かあるといつもぼくをかばってくれた。

バイトも終わりに近づいた頃だったと思うが、ぼくはKさんに誘われて、その年プロ野球のドラフトにかかり、H球団に入団が決まったK選手という方の壮行会に行ったことがある。
K選手はIさんの友人だった。
体育会系で、縦の関係を重んじるKさんは、始終律儀な態度を取っていた。
一方のぼくはというと、そこで飲み過ぎてしまい、かなり羽目を外していたのだった。
知りもしないK選手に、「K選手、がんばってくださーい。でもぼくはライオンズファンでーす」などとまめらない口で言って、何度も握手を求めていた。
挙げ句の果てに、ギターを手にガンガン歌い出した。
後で聞いた話だが、その声はあまりに大きかったらしく、そこにいた人たちはかなり迷惑していたという。
その会場はビルの2階にあったのだが、その上はパブで、いつも騒がしいところだった。
ところが、ぼくの声はそのパブを通り越し、4階のスナックにまで聞こえたと言うから、かなりがなっていたのだろう。

声が枯れるまで歌って、その後ぼくは不覚にも寝てしまった。
これがいけなかった。
飲んで騒いでいるうちは気分もいいのだが、動きが止まってしまうと酔いというのは気分の悪い方向に向かってしまうものである。
案の定、ぼくは気分が悪くなった。
ところが、その頃はまだ吐き方というのをわきまえてなかったのだ。
今ならそういう時、人知れずトイレに行き、指を突っ込んではけるだけ吐いてしまう。
そして、何事もなかったような顔をして席に着くのだが、その時はまだそういうテクニックを知らなかった。
というより、吐くのが怖かったのだ。
そこで、我慢をしてしまった。
しかし、こういう時に我慢すると逆効果になってしまうものである。
「吐くまい」という意識が、さらに不快感を強めていく。
その結果、ぼくは衆目の面前で「ゴボッ」と吐いてしまった。
それも、Kさんの新調のスーツの上に。

それでもKさんは怒らなかった。
みんながKさんに、「ああ、新調のスーツが台無しやん。大丈夫ね?」と声をかけても、「スーツなんかどうでもいいです。それよりもしんたが心配で」と言っていた。
そういう中でも、ぼくはK選手に、「K選手、がんばってくださーい。でもぼくはライオンズファンでーす」と言って、汚れた手で握手を求めていたのだった。

X子のことや、Oさんのことでぼくがなぜ反発しなかったのかというと、以上のようないきさつがあったため、頭が上がらなかったのだ。


打ち上げが終わり、その数日後にバイトは解散になった。
ぼくはこのバイトで、仕事の難しさよりも、人付き合いの難しさを知った。
たったひと月半だったが、その短い期間にいろいろな事件があった。
何気ない言葉で袋だたきに遭わされそうになったり、はっきりした態度を取らなかったためにだめになったX子のこともあった。
もちろん、Oさんとのことも。
そのつど反省することも多かった。
とくに、Kさんのようなタイプの人とつき合うのは初めてだった。
そのため、この人とはどういう自分で接すればいいのか、などと考えることもあった。
また、Kさんを見ていると、自分が普通の人ではないように思えてきて、「この先、本当にまともに生きていけるんだろうか」などと思うこともあった。

とはいえ、楽しいひと月半だった。
その後も、しばらくバイト仲間とのつき合いは続いた。
特に覚えているのは、みんなと会うのが最後になった、成人の日のことだ。
そのバイト仲間の中で、その年成人になったのは、ぼくとAという男の二人だった。
正月にKさんに会った時に、「成人の日に、おまえたちのお祝いをしてやる」と言われていたのだ。

その成人の日、成人式に参加しなかったぼくは、午前中に慣れないスーツを着て親戚周りをした。
もちろん、ご祝儀目当てである。
それが終わってから、ぼくはKさんたちが用意してくれたお祝い会場に行った。
お祝い会場と言っても、別に店を借りたわけではない。
Oさんたち女性陣の一人であるYさんという方が、家を開放してくれたのだ。
そのおかげで時間を気にせずに、夜遅くまで飲み食べ語ることが出来たのだった。

宴もたけなわになった頃だった。
KさんがIさんに、「ちょっといいですか?」と声をかけ、別の部屋に連れて行った。
その部屋にはOさんがいたのだ。
KさんはIさんを部屋に入れると、自分は外に出た。

ぼくはKさんに聞いた。
「何がありようと?」
「例の件よ」
「例の件…?」
「告白タイム」
「ああ」

しばらくして戻ってきたOさんは、席に着くなり一気に酒を飲みほした。
それを見たぼくたちは、すべてを悟った。
酔いが回るに連れ、Oさんは「Iさん好きです」を繰り返し口にした。
しかし、どうしようもなかった。
Iさんにはすでに彼女がいたのだった。
どうなるものかと思ったが、さすがにIさんは大人だった。
なるべくOさんが傷つかないような方向に話を持っていった。
それを見ていたKさんは、「ホントこの人はいいカッコしいなんやけ」と言って、Iさんを批難した。
が、当のOさんはIさんの話で吹っ切れたようだった。

その後、祝成人会はお開きとなった。
最後に「またこういう会を開こう」ということになったが、その後、現在に至るまで、その会は開かれていない。
というより、この先も開かれないだろう。
それには理由がある。


○日、仕事が終わってから、ぼくたちは打ち上げ会場に集合した。
Kさんはぼくをダシに、Oさんと話している。
「こいつから『Oさんとつき合いたい。Kさん、どうにかならんかねえ』と相談受けたんよ。おれは『年上やけやめとけ』と言うたんやけどね。ちょうどその頃、X子という井筒屋のアルバイトの女子高生が、おれのところに『しんたさんとつき合いたい』と言ってきたんよ。そのことを伝えると、しんたは『おれにはOさんしかおらんけ、X子にそう言うとって』と言う。しかたなく女子高生には断りを入れたんやけど、おれはその子のほうが、しんたにはお似合いだと思った…」
ぼくはそれを聞いて、『何が、しんたにはお似合いだ、だ。全然話が違うやないか』と思っていた。
X子のことは、ぼくが断ったのではない。
Kさんが勝手に断ったのだ。
それも、そのことをぼくに伝える前に。

一方のOさん。
「あの夜ねえ、Yさんと帰っていたら、突然後ろからバシッと肩を叩かれてね。びっくりして顔を見てみたら、しんた君やったんよ。『何か用?』と聞くと、『ねえ、つき合って』やけね。そんな口説き方はないやろ。女の子は、デリケートなんやけ」
それを聞いてKさんは言った。
「えっ、肩をバシッと叩かれたと?」
「うん、痛かったよ」
「そうね、そんなことしたんね。しんたは変っとるけねえ」
そんな二人のやりとりを聞いていて、だんだん面白くなくなってきたぼくは、持ってきたギターを引っ張り出して、歌を歌っていることにした。

ところで、二人のやりとりを見ていて思ったのだが、OさんのKさんに対する態度は、ぼくのそれとはまるで違うものだった。
ぼくと話す時は、やはり年上という意識からなのか、「ああしなさい、こうしなさい」というように命令口調になることが多い。
ところが、Kさんには甘えるような口調で話している。
そういう会話を聞きながら、ぼくは『Oさんは年上のほうが好きなんだろうな』と思った。
そして、『この人たちは、このままつき合っていくんだろうな』と思ったものだった。

ところが、どうもそうではなさそうなのだ。
お酒が回るうちに、Oさんは「Iさん」という名前を口にするようになった。
どうやらOさんは、バイト仲間の一人であるIさんのことが好きらしい。
Kさんも、会話の途中にそのことに気づいたようだった。

IさんはF大の4年生だった。
浪人して大学に入ったのだろうか、歳はKさんより一つ上だった。
背が高く、甘いマスクをしたIさんに、Oさんは前から憧れを持っていたようだった。
Iさんはギターを弾くとかで、ギターをいじっているぼくに、何度も話しかけてきた。
Oさんは、その都度Iさんを目で追っていた。

Kさんといえども、Iさんが相手だとかなわないと思ったのか、急に「おれが仲を取り持ってやろうか」などと言いだした。
そして、宴会の最後には、「おれに任せとき!」と胸を叩いていた。


この時、ぼくはあることに気がついた。
ぼくに「好きな人はおるか?」と聞いて以来、それまでまったく出なかったOさんの名前が出るようになったのだ。
もちろん、Kさんは勝手にぼくがOさんのことを好きと思っていたのだから、それも有りだと思っていた。
それなら、ぼくがふられたらそれで終わりになるはずだ。
ところが、その後もなぜか頻繁にOさんの名前が出てくるのだ。
こういう場合、KさんはOさんのことが好きだと思うのが自然だろう。

もしかしたら、Kさんは、ぼくがOさんのことを何とも思ってないのを知っていたのかもしれない。
それでもぼくを焚きつけたのは、Oさんに近づく手段として、ぼくを利用したかったからではないのだろうか。
だから、しつこかったのだ。
Kさんから「まだか、まだか」とせっつかれるたびに、ぼくは何か変だと思ったものである。
が、「しつこいのう」という思いのほうが強かったために、そういうことを突っ込んで考えることが出来なかったのだ。
なるほど、このバイトが終わってしまえば、当然Oさんとのつながりはなくなってしまう。
しかし、自分からは言い出しにくい。
そこでぼくを利用したというわけだ。
Kさんがぼくを利用したという推理が当たっていたのかどうかは知らないが、KさんがOさんを好いていたという推理は正しかったようだ。
数ヶ月後、KさんはOさんとつき合うことになる。

さて、またもやぼくは走らされることになった。
前回と同じく、ぼくはOさんの後を息を切らして追いかけていった。
だが、さすがにこの時は、肩を叩くことはなかった。
Oさんはぼくの顔を見ると、「またか」というような顔をした。
が、ぼくは気にせずに言った。
「もうすぐこのバイト終わるやろ」
「うん」
「それでKさんが、打ち上げを企画しとるんよ」
「ふーん」
「で、Oさんたちも誘おうということになって…」
「いつ?」
「○日」
「○日かあ。私は行けると思うけど、他の人がわからんけ、明日聞いてみるね」
「お願いします」

翌日、Oさんがぼくに「昨日の件、いいよ」と言ってきた。
「こっちはUさんとYさんと私の3人。そうKさんに言っといて」
「わかりました。Kさんに伝えときます」
そしてぼくはKさんにその通り伝えた。
「そうか来るんか…。よくやった。さすが友だちが頼むと違うもんやのう」
「・・・」


告白の翌日、予想通りKさんはぼくに「昨日、どうやったか?」と聞いてきた。
ぼくは平然とした顔をして、「ふられたよ」と言った。
「ふられたか…。何と言ってふられたんか?」
「友だちならいいよと」
「そうか、友だちならいいよか。ハハハ」
「笑い事じゃないっちゃ」
「そうやのう。おまえはふられたんやけ、それどころじゃないよのう。でも心配するな。おれが次の人を探してやるけ」
紹介されたら、またぼくはKさんから『告白しろ攻撃』を受け、あげくに一本道を息を切らしながら走らなければならなくなる。
そこでぼくは、「もういいです」と言って断った。
「そうか。もう女はいらんか?」
「そう言う意味じゃなくて…」
「わかった。じゃあ、もう世話するまい」
「そうして下さい」
「じゃあ今夜は飲みに行こうかのう。残念会をしてやる」

その夜、朝の言葉通りに、Kさんはぼくを飲みに連れて行ってくれた。
そこそこ酔いが回った頃だった。
Kさんは、ぼくにまた難題をふっかけてきた。
「そろそろクリスマスやのう」
「うん」
「それにしても、おまえは惨めやのう。クリスマス前にふられるとか」
「もうその話はせんで」
「ああ、悪い悪い。ところで、クリスマスということは、もうすぐこのバイトも終わると言うことやのう」
「そうやねえ」
「そこで、おまえに相談があるんやけど」
「えっ?」
「日にちはまだ決めてないんやけど、今度バイト仲間で打ち上げしようと思っとるんよ」
「ふーん」
「で、メンバーはいつもの6人なんやけど、何ならOさんたちも呼んだらどうかと思っての」
「えっ?」
「いやか?」
「いや、別に」
「そうか。おまえが嫌なら呼ぶまいと思ったけど、おまえはOKなんやの。じゃあ、話は早い。おまえ、Oさんたちを誘ってくれんか?」
「えーっ、Kさんが誘えばいいやん」
「おれはOさんとは別に親しい間柄ではない。その点おまえは友だちやないか」
「・・・。友だちと言ったって、あれはふる時の常套句やないね」
「常套句でも何でも、Oさんは『友だちならいい』と言ったんやろ?」
「そうやけど…」
「じゃあ、友だちやないか」
「・・・」
「いつにしようかのう…」
Kさんは手帳を開いて、自分のスケジュールをチェックしだした。

しばらく考え込んでいたが、ようやく決めたようで、「よし、○日にしよう」と言った。
「えっ、○日?あと3日しかないやん」
「おう。しかたなかろうが。その日しか空いてないんやけ」
「おれは他の人を誘うけ、おまえはちゃんとOさんたちを誘うんぞ」
「・・・」
「何、心配するな。友だちの頼みなんやけ、ちゃんと聞いてくれるっちゃ」


こうなれば善は急げだ。
さそっく行動に移した。
ぼくたちの距離は300メートルほど離れていた。
そこでダッシュで追いかけた。
その間、何と言おうかと考えていた。
が、何も思いつかなかい。
「こうなりゃ出たとこ勝負だ」と思った。
そして、Oさんに追いつくと、その肩を叩いた。
Oさんはぼくのほうを向いた。
何がなんだかわからない様子だった。
が、ぼくの顔を確認して、少しホッとしたような表情をした。
それを見てぼくは、「つき合って下さい」と言った。
Oさんは、別段驚いているふうでもなく、「突然そんなことを言われてもねえ…」と答えた。
ぼくは、そこから何と言っていいのかわからなくなった。

数秒の沈黙の後、Oさんが口を開いた。
「あなたいくつ?」
「今20歳やけど」
「何ね、年下やないね」
Oさんは、まったくぼくには興味がなかったようで、隣にいた女性Uさんと、顔を見合わせて笑っていた。
どうやら、これで断ってくれると確信したぼくは、「だめ…よね?」と念を押してみた。
するとOさんは、「友だちということではいけんの?」と言った。
「友だちか…」
「だめ?」
「いやいいけど」
「じゃあ、友だちやね。じゃあね」
そう言うと、Oさんはさっさと歩き出した。

その後ろをぼくは、ゆっくりと歩きながら、内心ホッとしていた。
予定通り断られたのだ。
元々好きでもなかった人だから、ふられても落ち込む必要がない。
これでKさんの執拗な攻撃を受けることはなくなるだろう。

しかし、どうして女は男をふる時に、『友だち』という言葉を使うのだろうか。
ぼくは、これまで何度かこの言葉に泣かされている。
彼女たちのいう『友だち』とは、いったい何なのだろう?
どこまでが許されるのだろうか?
電話をかけてもいいのだろうか?
映画に誘ってもいいのだろうか?
食事に誘ってもいいのだろうか?
そのへんがよくわからないのだ。
いや、もしかしたら、『友だち』と言っている本人にもわからないのではないか?
ま、体のいい断り文句だと言えば、それまでだが。

では、もし彼女たちがOKする時、いったいどういう言葉を使って、男を受け入れるのだろうか?
「はい」のひと言だろうか?
涙の一つでも見せるのだろうか?
それとももったいつけて、「考えさせて」などと言うのだろうか?
ぼくにはうまくいった経験がないので、そのへんがよくわからない。

そう言うと、「嫁さんはどうだったんだ?」と聞く人も出てくるだろう。
嫁さんとは、帰る方向がいっしょだったため、いつも帰りがいっしょになった。
それがいつの間にか、つき合いに発展したものである。
だから、別に「つき合って」などということはなかったのだ。


もうすぐクリスマスというある日。
バイトが終わり、家に帰ろうとした時だった。
Kさんから呼び止められた。
「おい、いいかげんにOさんとカタを付けれ。このままでいいんか?」
「…うん」と、ぼくは気のない返事をした。
実は、ぼくはまだX子のことを悔やんでいたのだ。

そういう事情を知らないKさんには、ぼくに告白する勇気がないように見えたのだろう。
怒ったような、呆れたような口調でこう言った。
「本当におまえはだめやのう。おまえを見とるとイライラする。だめで元々やないか。男ならさっさと『つき合ってくれ』と言ってこい!」
「・・・」
「何ならおれが言うちゃろか?」
「そんなことせんでいい」
「それなら自分で言うてこい」
「…うん」
「いいか、男は押しぞ。押して落ちん女なんかおらん」
「そういうもんかねえ」
「おう。おれはいつもそうしてきた」
「ふーん」
「じゃあ、今日ちゃんと言えよ」
「・・・」
「明日、報告を待っとるけの」
「・・・」
「わかったか!」
「…うん」

後年、人にこの時の話をしたことがある。
それを聞いた人は、みな一様に「Kさんは後輩思いのいい人やったんやね」と言ったものだ。
確かに、Kさんは後輩思いのいい人だった。
しかし、それだけでぼくを焚きつけたのではなかった。
他に理由があったのだ。
しかし、その理由は、その時のぼくにはわからなかった。
おそらく、Kさんにもその理由はわからなかっただろう。
本人がわからないというのも変な話であるが、きっとわかっていなかったに違いない。
それは、Kさんの運命に関わりのあることだったからである。
そのことは、後で触れることになるだろう。

さて、困ったことになった。
Kさんに「うん」と言った手前、その日に言わなければならなくなった。
Oさんは、ぼくがKさんに捕まっている時に、会社を出ていた。
ぼくが会社を出ると、Oさんは遙か向こうを歩いていた。
人影がもう一つ見える。
おそらく、事務で働いている他の女性と帰っているのだろう。
ぼくは、どうしようかと迷った。
いっそ、「見失った」とKさんに報告しようかとも思った。
しかし、道は一本道である。
見失うはずがないのは、Kさんもよく知っている。
「どうしようか…」

しかし、言わないと、またKさんのしつこい攻撃が始まる。
いろいろ考えたあげく、一つの結論に達した。
それは、「ふられよう」ということだった。
元々、それほど好きでもなく、ましてやつき合いたいとも思ってなかったのだから、ふられたとしても、痛くも痒くもない。
相手には、ただの変な人と思わせておけばいいのだ。
その結論に達して、ぼくは気が楽になった。


前にも書いたが、ぼくはOさんのことを好きだったわけではない。
ただ、Kさんから「この会社の中では誰がいいか?」と聞かれたので、Oさんの名前をあげただけの話である。
実は、その頃ぼくには、気になっている女性がいたのだ。
それは井筒屋に実習にきている女子高生だった。
彼女は3年生だった。
当時ぼくは20歳にだったから、2つ年下ということになる。
つき合うとすれば、ちょうどいい年の差だ。

KさんからOさんとつきあえ、と言われた後のことだった。
そのKさんから意外な話を聞いた。
「おい、しんたは、女子高生が実習に来よるのを知っとるか」
「うん。時々ここに来るやん」
「おう。その中にX子という子がおるやろ」
「いや、名前までは知らんけど…。どの子かねえ?」
「一番背の高い子よ」
「ああ、あの子ね」
「それがの、あの子がおまえのことを好いとるみたいなんよ」
「えっ?」
一番背の高い子というのは、ぼくが気になっている女性だった。

「それでの、そのX子がおれに、『Kさん、しんたさんっているでしょう。あの人彼女とかいるんですか?』と聞いてきたんよ」
「えっ…。で、何と答えたと?」
「『あいつはだめ。他に好きな人がおるけ』と、ちゃんと言うといてやったぞ」
「えーっ!(『ちゃんと』って、そういうことは答えないでほしい)。それでどうなったと?」
「諦めたみたいぞ」
「・・・」
「おまえにはOさんがおるんやけ、女子高生なんかどうでもいいやろうが」
「・・・(どうでもよくない)」
「それよりも、Oさんのことはどうなったんか?もう言うたんか?」
「いいや、まだ」
「おまえ何しよるんか。早くせんと、このバイト終わってしまうぞ」
「…ああ」

ぼくはOさんのことは、もうどうでもよかったのだ。
それよりも、X子のことが悔やまれてならなかった。
しかし、「バイトが終わるまで、まだ時間はある。そこで訂正すればいい」と思い、気を取り直すことにした。
ところが、翌日、大勢いた女子高生が、井筒屋から一斉に姿を消したのだった。
実は、X子がKさんにぼくのことを聞いた日が、実習最後の日だったわけだ。
X子は、その後ぼくの前に姿を見せなかった。
ということで、ぼくはX子に訂正できないままになってしまった。


このページのトップヘ