頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

カテゴリ: 生活

とうとう11月か。
あと一週間だ。
前にも言ったが、このブログを終えたあとは、気の向いた時にしかブログを更新しないつもりにしている。
それは、今の『もう目は閉じない』の更新状況を見てもらったらわかると思うが、そのペースでやるつもりだ。

とりあえず休みたいのだ。
免許証の更新をしなければならないのですが、寝不足が蓄積してしまい、ちょっと視力が落ちているような気がする。
そこで睡眠を充分にとって、視力を回復させようと思っている。
最近の免許証更新は誕生日を超えてもいいから、それができるのだ。

で、視力は何とかなるものの、問題は講習だ。
昨年一度スピードオーバーで捕まっているから、1時間講習を受けなければならない。
これがきつくてならない。
事故現場の悲惨な写真を見せられたり、事故死亡者の遺族の声を聞かされたりして、マイナスのイメージを植え付けられる。
それを見るたびに、「ここの人たちは、本当はみんなを運転させたくないんじゃないのか?」と思ってしまう。

とにかく、こういうのは早く終わらせたい。
そのためにも、早く視力を回復させなければ。


ある本で読んだのたが、占いはあまり見ない方がいいらしい。
その日が良ければ問題ないのだが、悪ければマイナス思考に陥りやすいのだそうだ。
それよりも神社でお参りして、「神様に頼んだから大丈夫」という気分でいたほうが、幸運が舞い込んできやすいらしい。

そういうわけでもないが、ぼくは『めざましテレビ』の星占いコーナーは見ないようにしている。
ぼくが見る時は、さそり座が良かったためしがないのだ。
さそり座はかに座や魚座と同じグループだから、特に悪い方にかに座とか魚座という名前が出ると、目を閉じ耳を塞いで、見聞きしないようにしている。
そういう時は決まって、さそり座が最下位なことが多い。

そういう努力をしていても、どうしても聞いてしまうことがある。
そういう時も最下位だ。
そうなったら、ぼくはすぐに新聞の誕生月占いを見る。
そこにいいことが書いてあったら、プラスマイナス0で問題なくなるからだ。

問題は、どちらも悪かった時だ。
この時の脳内は、すごくマイナスになっている。
気にするまいと思っても、すぐに意識がそちらに行ってしまうのだ。
そうならないために、念仏を唱えたり、「大丈夫」だとか「ありがとう」だとか、とにかくプラスの言葉を繰り返し口にしている。
気持ちと闘うというのは、けっこう重労働だ。
ようやくそのことを気にしなくなった時は、かなり疲れている。
そういう理由から、ぼくは朝の星占いを極力見ないことにしているのだ。


昨日から躍起になって部屋の掃除をしている。
一昨日買った本に、部屋を掃除すると運が良くなると書いてあったのだ。
そういうことを書かれると、単純なぼくは、すぐにそれを実行してしまう。
だが、掃除のほうは、そう単純にいかなかった。

何せ、5年以上も放っておいたのだから、その汚れたるや半端なものではない。
とにかく綿ぼこりがすごい。
それだけでクリーナーの紙パックが一杯になってしまったくらいだ。

特に酷かったのが開けっぱなしにしている扉の裏だった。
そこの綿ぼこりはこびりついて、クリーナーでいくら吸っても取れなかった。
しかたなく下敷きで削り取った。
その時のヨリヨリという感触が小気味よかった。

本を片付け、CDを片付け、機械をクローゼットや物置に押し込んだ。
残ったものはすべてゴミとして処理した。
市が販売しているゴミ袋(大)三つ分のゴミとなった。
一般ゴミは月曜日だが、生ゴミではないので、それまでバルコニーに置いておけばいい。

ということで、何とか掃除は終わった。
この部屋はこんなに広かったのかと思ったことだった。
今までは何か痒かったが、それも解消されたので、これからはこの部屋で寝ることも出来る。
あとは運が良くなることを待つだけである。


明日は床屋に行くので、早く寝ないと。
前にも書いたが、その床屋は先生と姉ちゃんの二人でやっているのだが、最近は先生があまり出てこない。
そういうことなので、ほとんど姉ちゃんが一人でやっている状態なのだ。
それゆえに一番に駆け込まないと、終わるのが昼になってしまうのだ。

その床屋は、歩いておよそ10分の場所にある。
そこまで歩かなくても、もっと近い場所に床屋はある。
だが、どうしても10分歩いてしまう。
その理由は、中学の頃からの行きつけだからだ。
だから「ああしてくれ、こうしてくれ」と注文しなくても、座っていればちゃんと希望通りの髪型になっているのだ。

他の床屋ではこうはいかない。
何ヶ所か癖のある髪を、いちいち説明して、さらにちゃんと言った通りになっているかどうかを確認しなければならない。
これでは、のんびり眠ることが出来ない。
眠ることの出来ない床屋なんて、ぼくは行きたくない。
だから床屋を変えない。

明日は6時に起きて神社に行き、しばらく歩いたあと家に戻り、シャワーを浴びてから朝食をとる。
その後、8時半に家を出て床屋に行くことになるだろう。
8時40分着か。
床屋はまだ開いてないが、1番乗りをしたがるお客はぼくだけではないから、もしかしたら他のお客と合致会うかもしれないなぁ…。
もう少し早く出るか。


ペンを持って仕事をしていると
中指にタコが出来ている。
これは中指とペンとの
絡み合いから生じたものだ。
靴ダコ、麻雀・パチンコダコも、
みんな理屈は同じこと。
異物との絡み合いから生じている。

心だって同じことで、
絡み合いの末にタコが生じる。
例えば妻の呼び名がそうだ。
付き合い始めた頃はいつも
呼び名に躊躇していたが、
今では「おい」ですませている。
絡み合いの末にこうなったわけで、
つまりは「おい」がタコなのだ。

倦怠期の予防のためにもこのタコは、
削ってやる必要があるのだが、
いったい「おい」という言葉の、
どこをどう削ったらいいのだろう。
今さら名前なんかで呼べないし。


昼頃、いつものように歩いていると急に雨が降り出した。
最初は小粒だったのだが、家に近づくにつれ、徐々に大粒のものに変わっていった。
そして家に帰り着いたとたん、稲光がして、数メートル先も見えないほどの大雨になった。

いつもは西側の窓だけを濡らすのだが、今日の雨は西側だけではなく、南側のベランダや北側の窓も叩きつけていた。
うちの東側は隣に面しているためにわからなかったが、この調子だとそちらも叩きつけていたはずだ。
ということは、今日の雨は全方向から叩きつけていたことになる。
つまり四方八方から風が吹いて、このマンションを攻めていたということだ。
さすがに台風の風は違う。


ぼくが中学生の頃に尊敬していたのは、東郷平八郎だった。
部屋の壁に日の丸を貼りつけ、その横に東郷元帥の写真を額に入れて、いつも拝んでいたものだ。
しかし、それも中学時代までで、高校に入り音楽を始めてからは、日の丸も東郷元帥も外してしまい、代わりに吉田拓郎やボブ・ディランのポスターを貼っていた。

社会に出てからは、さすがにポスターは貼らなくなり、また額に戻った。
だが、その時額に入れていたのは、東郷元帥の写真ではない。
竹久夢二の美人画であり、水墨画であり、般若心経であった。
仕事が殺伐としていたので、心を落ち着けるものを飾っていたわけだ。

その後しばらく何も貼ってなかったが、新聞屋さんからホークスのカレンダーをもらうようになってからは、それを貼るようになった。
けっこう大きなカレンダーだったので、見栄えもよかった。

ところが最近その新聞屋さんは、ホークスのカレンダーをくれなくなった。
というか、ソフトバンクに変わってから、手に入らなくなったのだろう。
いちおう年末にはカレンダーを持ってくるのだが、それは便所の壁に貼るような小さな風景カレンダーだ。

しかたなく現在は、防災情報マップなんかを貼っている。
地図は白黒もので色気がなく、さらに壁と同色ときているので全然見栄えがしない。
やはり色気のあるポスターを貼ったほうがいいか。
とはいえ、今さら拓郎のポスターなんかは貼りたくないし、もう売ってもないだろう。
そういえば、前にキャンディーズのCDセットを買った時に、プレミアムでポスターがついていたような気がする。
あれを探し出して、貼っておこうかな。


夕方、友だちから電話があり、飲みごとがあるので小倉まで送ってくれと言う。
土曜日なので、渋滞はないだろうと思いOKした。
予想通り渋滞はなく、小倉に入るまではスイスイ流れた。
ところが、小倉に入り、繁華街の手前まで行った時、渋滞に捕まってしまった。
今日は小倉で祭りをやっていて、メイン道路が通行止めになっていたのだ。

とはいえ、まったく動かないわけではなかった。
ノロノロだがちょっとずつ流れている。
その流れに乗って、繁華街を約30分かかって脱出した。
帰りは行き同様、スイスイ走れた。

さて、前々から言っているが、ぼくの車はエアコンが効かない。
ということで、出発から帰るまで、ずっと窓を開けていた。
スイスイ走っている時は、いい感じに風が入ってくる。
が、渋滞に捕まると、風は入らずに、熱気が入ってくる。
とはいえ窓を閉めるわけにはいかない。
窓を閉めると、さらに暑くなる。

そういうわけで、今日は小倉の繁華街の熱い空気を目一杯吸わせてもらった。
しかし、どうして繁華街というのは焼き肉のニオイがするのだろう?
帰りに戸畑駅前を通った時も、焼き肉のニオイがプンプンしていた。
そんなに焼き肉屋がたくさんあるわけではない。
ということは、きっとそれだけ焼き肉のニオイが強いということだろう。

焼き肉がダメな人には酷なニオイである。
中にはこのニオイを嗅いだだけで、吐き気をもよおす人もいるのだ。
昨今の商店街離れなんかは、こういったニオイも関係あると思う。
街にも消臭剤が必要になってくるなぁ。


備忘として書いておくが、今月の24日床屋に行った。
その日に書くつもりだったが忘れていたのだ。

何で床屋に行ったこと書くのかというと、次に床屋に行く時に役に立つからだ。
ぼくは髪が伸びるのがけっこう早いので、以前はしょっちゅう床屋に行っていた。
しかし、実際は早く伸びているように見えるだけで、床屋で髪をすいていた部分などは、充分に生えきっていないことが多かった。
そのため、早く髪を切ってしまうと、全体にボリウムがなくなったり、地肌が透けて見えたりしていた。

そういうこともあって、最近は2ヶ月に一度しか行かないことにしている。
ところがある時期から、そろそろ髪が伸びたなと思った時、「そういえば、前に床屋に行ったのは、いつだろうか?」と、前回行った日のことを忘れていることが多くなった。
そのせいで切るタイミングを間違えたことが何度かあった。

そこでこの日記を利用することにしたのだ。
前回行った日を記録しておけば、忘れても困ることはない。
日記を見れば、次に床屋に行く日も判断できるわけだ。
つまり、ブログは備忘録としても活用できるということだ。


一昨日の夜、食事がすんでから急にアイスクリームが食べたくなり、となりのセブンイレブンに買いに行った。
当初はそれだけ買って帰るはずだった。
ところが、コミックの売場に『バガボンド』の新刊(26巻)が置いてあった。
これは買わなきゃと思ったのだが、考えてみると、アイスクリーム代しか持って行ってなかった。
そこで嫁ブーに電話をかけ、お金を持ってきてもらった。
店が近いと、こういう時便利である。

家に帰ったぼくは、まず食べたくてたまらなかったアイスクリームを食べた。
そのあとで『バガボンド』の封を開けた。
ちょうどその時だった。
テレビで『山おんな壁おんな』が始まった。
そこで『バガボンド』を読むのはやめて、テレビを見ることにした。
『バガボンド』のことを覚えているのはここまでだ。
テレビを見終わった後、日記に取りかかったのだが、その頃には『バガボンド』のことはすっかり忘れていた。

さて、「そういえば『バガボンド』を買っていたな」と思い出したのは、翌日の夜、つまり昨日の夜のことだった。
それまでは何かを忘れているのだが、それが何かが思い出せないでいたのだ。
思い出したのは、風呂に入っている時だ。
そこで風呂から上がって捜した。
ところが見あたらないではないか。
嫁ブーに聞くと、「知らん」と言う。

それから家捜しである。
居間、自分の部屋、脱衣場、あげくにトイレまで捜した。
でも見つからない。
そのうち、本当に買ったのか、ということに疑問を持った。
そこで嫁ブーに、
「昨日、おれコミック買ったよのう?」と聞いてみた。
「うん、買ったよ」と言う。
やはりどこかに置き忘れているのだ。

その時、陽水の『夢の中に』の歌詞を思い出した。
“探すのをやめたとき、みつかることもよくある話で…♪”
「そうやの。どこかにあるんやけ、そのうち出てくるやろう」
と思ったところで、ドラマ『山田太郎ものがたり』が始まった。
それを見ているうちに、またしても『バガボンド』の存在を忘れてしまった。

今日もこの日記を書くまで、『バガボンド』のことはすっかり忘れていた。
というか、昨日の夜から、一度も「何か忘れている」とは思わなかった。
そういうわけで、まだ『バガボンド』は見つかってない。


最近はいつ雨が降り出すかわからない。
いくら天気予報で降水確率0%と言っていても、外れることがある。
そういうわけなので、なかなか窓を開けて外出する勇気がない。
ぼくの部屋は風の通らないし、パソコンが常時入っているので、窓を開けておかないと、帰ってきた時に酷い暑さになっている。
しかし、やたら窓を開けることも出来ない。
なぜなら、窓際に机があり、そこに精密機械だとか、山積みの書類だとかを置いているからだ。
雨が降ると、そういう物が濡れてしまう。
前に一度、それで書類をダメにしたことがある。
それ以来神経質になっているわけだ。

今のレイアウトにして、もう7年が経つ。
上記のようなこともあるし、何よりもこの配置に飽きてきている。
風水を参考にして、変えてみるかな。


このページのトップヘ