頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

カテゴリ: 歳時記

寒くなってきた。
昼間の風が少し冷たく感じた。
そろそろ灯油を買わないと…。
でも、ガソリン代が上がったから、灯油も当然上がっていることだろう。
この間、米屋の前を通ったら、米を10キロ買ったら18リットル1050円にすると書いてあった。
灯油は昨年も高かったが、その米屋で米を買うと800円台だなったような記憶がある。
ま、その米屋はちょっと遠くだし、米を買うこともないので、そこで灯油を買うようなことはしないが。

さて、この冬はどこで灯油を買おうか。
やはりホームセンターにしておくか。
多少高くても近くだし、そこまでの道のりも平坦だから、一番都合がいい。

ということで、今日そのホームセンターを覗いてみたが、まだ灯油コーナーは開店してなかった。
先週の新聞チラシにアルバイトを募集していたから、まだ販売担当者が決まってないのだろう。
いつから開店するんだろうか?
早くしてもらわないとね。
ぼくは昨日からドテラを着ているんだから。


夜中の12時になって、急にかき氷が食べたくなった。
そこでコンビニまで買いに行った。
その時、着ていたのは甚兵衛だった。
例年ならそういう格好で外に出たら、肌寒さを感じるはずだが、今日はその甚兵衛の生地に暑苦しさを覚えた。
明日が休みなので、まだ起きている家も多かったが、どの家もエアコンの室外機の回る音がしていた。
今日も熱帯夜なのかもしれない。

そういえば、一昨日、墓参りに行った時に母が、「天気予報で、23日から涼しくなると言ってたよ」と言っていたが、これは外れたな。
でも、ぼくの聞いた予報は当たっていると思う。
それは、この暑さは10月になっても続くという予報だ。
そうそう、別の予報では、今後日本で雪が見られなくなるというのもあった。

この調子でいくと、数年後、日本は沖縄化してしまうだろう。
その後も温暖化が続けば、何十年か後には、フィリピンくらいの気候になるだろう。
そうなったら、几帳面な日本人が、呑気な日本人に変わるかもしれないな。
それはそれでいいかもしれん。


今日は墓参りに行った。
うちの寺は田舎にあるのだが、寺のまわりの田んぼにはコスモスが咲き、秋を演出していた。
だが、秋の感じさせるのはそれだけだった。
空は相変わらずの夏空で、気温はお盆の頃よりも高かく、納骨堂の中は蒸し風呂状態だった。
もしぼくにお彼岸という認識がなかったとしたら、人から「今日はお盆だ」と言われても疑わなかっただろう。

そういう暑い中を、家族4人で行ったわけだが、もしエアコンの効かない前の車で行っていたら、おそらく全員体調を崩していたに違いない。
それを考えると、今回の中古車買いは正解だったと言える。

しかし今日はよく走った。
走ったのは近郊だけだったが、無駄に往ったり来たりしたせいで、走行距離は100キロを超えた。
ガソリンの高い折に、こんな無駄な走りはしたくないのだが、燃費を調べたいのであえてこんなことをしたのだ。
まだガソリンは半分以上入っている。
で、これがEのところまで来た時、いったい何キロ走っているのだろうか?


五日ぶりに昼間のウォーキングをした。
相変わらず暑かった。
今日も30度を超えていたようだ。
しかし、日差しが8月のものとは確実に違っている。
今日は、ただ「暑い」というだけだったが、8月は「暑い」に加えて日差しの重みを感じたものだ。
酷暑時は、その重みが痛みにもなった。

まあ、若干ではあるが涼しくなり、前ほどは影を探さなくてよくなった。
汗の量も減ったように思う。
おかげで、毎日はきかえていたズボンも、二日はけるようになった。
そういえば先日テレビを見ていたら、すでに殺虫剤のCMはやっておらず、風邪薬のCMなんかをやっていた。

…といったように、最強の夏も終わり、徐々に「いい季節」というのに向かっている。
だが、それがなぜか寂しく感じる。


今日で夏も終わり。
昨日も言ったように、今年の夏にはうんざりした。
ただ暑いだけで、まったく風情というものを感じなかったのだ。
こういうことは生涯二度目である。

一度目は、今から27年前、昭和55年(1980年)の夏だった。
その年は今年と全く逆で、冷夏だった。
梅雨明けしてから一週間だけ夏らしい日があったが、その後は夏空を分厚い雲に奪われてしまい、まったく気温が上がらなかったのだ。
その年社会に出たぼくは、その時期エアコンを売っていた。
エアコンは気候に左右される商品である。
暑くないと売れない。
それゆえに、空を眺めては恨めしく思っていたわけだ。

さて、今年風情を感じなかった原因の一つに、彼の国からはき出される公害がある。
いつも臭かった。
そのニオイを灼熱の太陽が焦がす。
だから、なおさら臭くなる。
その臭さが、夏独特のニオイを隠してしまう。
だから、風情を感じないのだ。
来年はもっといい夏にしたい、というかしてほしいものだ。


この夏、まだ花火を見ていなかった。
7月に行われる洞海湾の花火大会は、黒崎祇園に行っていたので見ることが出来なかった。
「わっしょい百万夏まつり」の最終日に行われる花火大会は、小倉の市役所近辺でやるので、遠すぎて見えない。
門司港でやる海峡花火大会も、遠すぎて見えない。
たまに「ドドーン」と音は聞こえるのだが、肝心の花火が見えなかった。
ということで、嫁ブーと二人で、「今年は花火が見れん」と言って嘆いていた。

ところが今日、その鬱憤を晴らすかのように、家の中から2ヶ所の花火を見ることが出来た。
風呂に入っていると、嫁ブーが、
「ちょっと風呂から出来て」と言う。
何かと思って風呂から出てみると、わりと近くで花火が上がっていた。
位置からすると、若松競艇場の方向だから、おそらくそこで上げていたのだろう。
「ドドーン」と何発も上がっていた。
「おお、ようやく見れたの」
そう言ってぼくたちは、しばし花火に見とれていた。

その後、食事時に、今度は逆の方向に花火が見えた。
花火はけっこう大きいが、音が聞こえないので、おそらく遠方でやっているのだろう。
あとで調べてみたら、遠賀町だった。
こちらの方は、競艇場の余興などではなく、花火がメインになっているので、わりと長い時間上がっていた。
しかし、やはり音を聞きながら、この図を見たかった。

さて、ここに来てようやく花火を見ることが出来たわけだが、おそらくこれが、この夏最初で最後の花火だろう。
来週、芦屋の花火大会があるが、山が邪魔して、ここからは見ることが出来ない。
しかも、その日は飲み会だから、会場に行くことも出来ない。
ま、一晩に二つの花火大会を見ることが出来たのだから、良しということにしておくか。


ぼくが小学生の頃は平和教育なんてなかったから、学校に行くのは8月1日、11日、21日の登校日だけだった。
まあ登校日と言っても、絶対行かなければならないというものではなかった。
いつもクラス全員が揃っていることはなかったように憶えている。
登校日以外に学校に行ったのは、プールのある日くらいだ。
これは授業ではなく、「プールを開放するから、来て遊んでもいいよ」という日だった。

1年生の時だったと思うが、最初の登校日である8月1日に、先生が黒板に山の画を描いた。
そして、山の中腹の所に印を付けて、
「夏休みを山登りに例えると、今日はこの地点になります」と言った。
11日は、山頂に人が立って万歳している画を描いた。
「今日はここですね」
そう、8月11日は、夏休みのほぼ真ん中になる。

8月11日というと、盆前で気分はウキウキして、残り3週間ゆっくり寝ることが出来て、まだまだ宿題が気にならない、という先生の描いた画のように万歳できる日だった。
だが、そこからお盆まではあっという間で、そのお盆もあっという間に終わってしまう。

お盆が過ぎると、もう夏休みのイベントは何も残ってない。
こちらの海水浴は、クラゲが出るせいで、お盆以降は賑わわない。だから行っても面白くない。
なぜかプールも人が少なくなっているし、そのせいか水が冷たく感じる。

台風も盆過ぎに来ることが多かった。
残り少ない夏休みを、暴風雨が奪ってしまうことに、いつも怒りを感じていたものだ。
それが過ぎると、朝晩が寒く感じるようになり、日も急に短くなったように感じる。

21日の登校日を過ぎると、もう夏休みは10日を切ってしまう。
それまで毎日遊んでいた友だちが、急に外に出なくなる。
みんな宿題に追われているのだ。
唯一の楽しみであるテレビも、夏休み向け番組から、徐々に通常の番組に戻っていく。
「あーあ、夏が終わった」
あの頃は、お盆過ぎが一年で一番寂しい季節だった。


台風5号のせいで、昨夜から今朝にかけて、窓が開けられなかった。
雨が叩きつけている窓は当然開けられないし、雨が降り込んでこない窓のほうも、開けるとすごい風が入ってくる。
ということで、我が家は半日閉めきり状態だった。

いかにマンションの6階といえども、この時期は閉めきると暑い。
そのためエアコンを入れることになった。
除湿は洗濯物を乾かすのに何度か使っているが、冷房を使うのは今夏初めてである。
ただ、ぼくたち夫婦は基本的にエアコンがダメなので、あまり温度を下げると体調を崩してしまう。
そこで設定温度を高めにすることにした。

最初は25度にしたが、これが寒い。
1度上げて26度、それでも寒い。
27度でもダメ。
九電が推奨している28度、これでもきつく感じる。
結局29度で収まった。

ところで、昨日の最低温度は25度だったから、窓の外は25度だったわけだ。
一方家の中の設定温度は29度、つまり外気温よりも4度高かったということだ。
閉めきると暑いが、別に熱がこもっているわけではないから、実際内気温は29度よりも低かったのではないだろうか。

こういう場合、29度の設定だとエアコンは作動しないか、送風運転になるかするはずだ。
ところが、エアコンのないトイレから帰ってくると、かなり涼しく感じた。
ということは、温度は下がっていたことになる。

もしかしたら設定温度を内気温より高くしたために、エアコンがふてくされて、わざと温度を下げたのかもしれない。
もしエアコンが口をきけたら、「この暑いのにふざけるな!」と言っていただろう。


昨日シャディの前を通ると、「初盆」と書いたのぼりがいくつも立っていた。
今日イオンに行くと、たくさんの盆提灯が並べてあった。
梅雨が明けたばかりだし、お盆なんかまだ先だと思っていたが、もうお盆まで3週間もないのだ。

お盆で思い出したが、今年は親戚の初盆がある。
あまり気乗りがしないが、行かないわけにはいかないだろう。
何せ親戚付き合い好きの母の出番になるわけだから、必ず「連れて行け」というに決まっている。

別に親戚の家に行くのはいい。
叔父や従兄弟たちに会うのもかまわない。
気乗りがしない理由は、そこにあるのではない。
では何が問題なのかというと、それは駐車場である。
親戚の家は、車を停める場所がないのだ。
だから困るわけだ。

バスで行けないこともないのだが、あまりに本数が少ない。
しかも隣の市だから、バスの時間がわからない。
だからいつも行く時は、ぼくの車を使うわけだ。

1月の通夜や葬儀の時は斎場でやったので、斎場の駐車場が使えた。
また四十九日の時は、親戚が町内会の駐車場を準備してくれていた。
しかし、お盆はそういうわけにはいくまい。

ということで、母だけ親戚の家の前で降ろして、ぼくはどこか別の場所に駐めてから行くとするか。
だけど、あそこは大型商業施設はあるものの、親戚の家まで歩くとなると20分はかかってしまう。
歩いて20分ということは、2㎞くらいか。
2㎞じゃタクシーは行ってくれんだろうなあ。

やはり歩いて行くことになるわけか。
歩くと言ったって、Tシャツ・短パンで歩くならともかく、夏物とはいえ礼服を着ていかなければならないから、ちょっと辛い。
かといって、他に方法はないから、その手で行くしかないか。


ずっと部屋干しだったから、Tシャツがちょっと臭い。
汗をかいたら、さらにニオイがきつく感じる。
7月に入ってから、夕方から晴れたという記憶はあるが、一日中晴れた日があっただろうか?
ああ、そういえば先週一度あった。
でも煙霧とやらで日は一日中霞んでいたのだった。

今日も昼頃まで小雨が降っていた。
「今日もこんな天気か。うんざりするのう」と思っていたら、夕方からきれいに晴れ上がった。
先週の日曜日と同じ展開だ。
ただ、一つだけ先週と違うことがある。
それは、先週の時点では、梅雨明けがいつになるか読めない状態だったのが、今週ようやく見えてきたのだ。
明日か明後日だということだ。
ということで、今日の青空は、本物の夏空なのだろう。

「ひまわり、夕立、セミの声…」というか、「真夏日、熱帯夜、不快指数…」、いよいよ始まりますね。


七夕の夜は、星が見えたためしがない。
小学校低学年の頃、この日の理科の宿題は、いつも星の観測だった。
だけど、見えない星は描けないし、観測日記も書けない。
それでいつも宿題が出せなかった。

だいたい7月7日というのは梅雨真っ盛りの時期なので、星が見える確率はかなり低い。
当時は、何でこんな梅雨時期に七夕を持ってきたのだろうかと、不思議に思っていた。

七夕が旧暦7月7日の行事だったというのを知ったのは、というか旧暦の存在を知ったのはずっと後のことだ。
旧暦7月7日というと、新暦の8月中旬以降にあたるから、秋に近い。
その時期なら台風さえ来なければ、晴れていることが多いので合点がいく。

つまり本来は星を見る行事なのに、新暦重視のせいで笹と短冊だけを楽しむ行事に成り下がっているわけだ。
こんなのやる意味がない。
七夕のような自然を対象にした行事は、旧暦でやってもらいたいものだ。


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