頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

カテゴリ: ローカルな話

昨日イオンに行くと、ホークスの応援歌がかかっていた。
いつものことではある。
だが、昨日は全館のBGMだけではなく、どの売場もラジカセでかけていた。
例の「火曜日はなんかちょと嬉しい…♪」のBGMと同じノリである。
POPはみなホークスのキャラクター付きのものだった。

このところ毎年この時期になるとやっている『感動ありがとうセール』だ。
『優勝』できないから『感動』にしたわけだろうが、たかだか3位で『感動ありがとうセール』とは。
しかも、今シーズンはさほど感動した試合はなかった。
それなのにそんなことをやってしまうのだから、この調子だとBクラスになってもやるだろう。
高校時代に、体育祭が終わると、勝っても負けても打ち上げをやったものだが、何らこれとかわりがないですな。
感動は優勝した時だけでいいんだ。


昨日の記事に、「下敷きで(ゴミを)削り取った」と書いた。
その「削り取った」といういう言葉だが、最初ぼくは「こさいだ」という言葉を選んだ。
しかし何か引っかかる。
「もしかしてこの『こさぐ』は方言か?」
そう思い、ネットで調べてみると、やはりこれは方言だった。
「じゃあ、『こさぐ』の標準語は何?」と、これも調べてみた。
それで「削り取る」という言葉に行き当たったわけだ。
それが標準語であっても、滅多に使わない言葉はすぐに出てこないものだ。

ブログを始めて、こういう方言によくぶち当たる。
人から指摘されたり、自分で調べたりして、「えっ、そうやったんか」と何度も自分の無知を恥じたものだ。
このブログで言えば、『ギリギリ(頭のつむじ)』『ビビンコ(肩車)』という言葉も方言だった。

一番ビックリしたのは、「なおす」だった。
他の地方では、『片付ける』ことを『なおす』と言わないらしい。
『片付ける』『しまう』が標準語だそうだ。

逆にぼくの東京の友だちなんかは、『かったるい』だとか『とっぽい』だとかいう言葉をよく遣う。
彼はそれを標準語だと思っているらしいが、それは方言である。

また方言ではないが、その地方特有の言い回しというものもある。
東京にいた頃、新宿小田急デパートの屋上で、友人たちと食事をとったことがある。
その時にウエイトレスが「ご注文は?」と言うので、「腹の太るもの下さい」と言った。
ウエイトレスは「えっ?」と言った。
周りにいた友人たちも「えっ?」という顔をしていた。
『腹の太るもの』というのは『お腹いっぱいになるもの』という意味で、ぼくの住む地区でよく使われる言い回しである。

博多では、『すごくビックリした』ということを『ちかっぱビックリ』と言うらしい。
『ちかっぱ』とは『力いっぱい』の略で、正式には『力いっぱいビックリ』となるのだが、これも言い回しである。
ちなみに、北九州では『ものすごビックリした』と言う。
『ものすご』は『ものすごく』の略。
さらに、ぼくの住む八幡西区では『でたんビックリした』と言うが、『でたん』は『でたらめ』の略である。
同じ県でも、これだけ言い方が違うのだから、こういう言葉が東京などで通じるわけはない。


ここ数日、町が臭い。
昼間は消毒液のようなニオイ、夜は何かが焦げているようなニオイがするのだ。
これはぼくが住む地区だけではない。
毎日広範囲に歩いているが、どこに行ってもこのニオイがする。
おそらく工場のニオイだと思うのだが、ぼくの記憶では、今までこんなニオイがしたことはなかった。
ということは新たなニオイということになるが、最近このへんに新しく出来た工場なんてない。
いったいどこから臭ってくるのだろう。

しかし、ニオイの発生源がこのへんであれば、住民の訴えとかで何とかなる。
だが、これが中国製だとすると、ちょっと困る。
環境に気を配らない人たちだから、抗議なんかしても、おそらくは知らん顔だろう。
ということは、この先何十年も嗅ぎ続けねばならないということだ。
いくら人間が環境に順応できる生き物だとしても、こんなニオイには馴れたくない。


今日は地元黒崎祇園の前夜祭だ。
本番は明日からだが、商店街を練り歩く本番よりも、メイン通りを通行止めにして、コンテスト形式で演舞する前夜祭の方が、盛り上がっているような気がする。

夜、ぼくは嫁ブーと祭りの会場に出かけた。
小雨は降っていたものの、かなりの人出だ。
近郊に大型店が次々と進出し、さらにそごうが潰れ長崎屋が潰れトポスが潰れ、最近は閑散としている繁華街だが、今日は違った。
まるで昔に戻ったような賑わいだった。

幼い頃に住んでいた場所であり、学生の頃の数々の思い出の詰まったこの街に対するぼくの思い入れはかなり強い。
それゆえに、現状を見るのがつらい。
「十数年前は、毎日この人出やったんよのう」という言葉が、ぼくの口をついて出た。
嫁ブーはうなずいていた。
彼女もこの街には思い入れがあるのだろう。


今日は嫁ブーが早出ということで、朝8時頃会社に送って行った。
その途中、ある団地の前に各地区の幼稚園のマイクロバスが集結していた。
中には区外の幼稚園のバスもある。
何事だろうと見てみると、どうやら園児を迎えに来ている様子なのだ。

嫁ブーによると、今は家から近い幼稚園ではなく、親の気に入った幼稚園に行かせるのが普通らしい。
だから、朝はいつも幼稚園バスが行列しているというのだ。

ぼくたちの頃は、保育園はともかく、幼稚園というのは集団で歩いて行くのが普通だった。
きっとこれも小子化の影響なのだろう。
幼稚園は存続するために、地区を越えたところにも募集をかけ、園児を確保しているのだ。

そういえば、もう何年も前になるが、隣の区のスーパーに買い物に行った時に、そこの掲示板にうちの近くの幼稚園が園児募集の紙が貼ってあるのを見たことがある。
その時は、何でこんな遠くの人を募集しているんだろう、と思ったものだが、きっとこうなることを見越しての張り紙だっただろう。


国鉄時代に一度だけ、大都市近郊区間というのを利用したことがある。
詳しくはこちらを見てもらったらわかるが、簡単に言えば、例えば次の駅に行く場合、途中下車さえしなければ、区間内のどのルートを通ってもいいという暇つぶしのサービスである。

ぼくはそれを使って、鹿児島線黒崎駅から隣の折尾駅(当時)まで、博多駅経由で行ったことがある。
筑豊線と篠栗線経由で博多まで行き、そこから鹿児島線で折尾に行ったのだ。
ストレートに行けば6分で着く駅が、この方法だと2時間以上かかる。
最初は筑豊の風景を見て楽しんでいたのだが、それもだんだん飽きてきて、博多からの戻りは寝ていた。
それにうんざりして、その後は利用したことがない。
ということで、ぼくは「鉄」にはなれない人間だということが証明されたわけだ。

その後国鉄がJRに変わったり、筑豊を中心とした路線が第3セクターに移譲になったり廃線になったりしたので、それに伴ってこのサービスは廃止になったと思っていた。
ところが、今日何気なくホームページを見ていると、何とまだこのサービスをやっているではないか。
以前は首都圏、京阪神、福岡の三ヶ所だったのが、今は新潟が加わって四ヶ所になっている。
ということは、このサービスを利用する人が多いということか。

国鉄時代、ぼくはまだ独身だったが、今は嫁ブーというパートナーがいることだし、今度誘って、これを利用してみようと思う。
列車の中で東筑軒のかしわ飯(駅弁)を食べてみたいし。
実はかしわ飯は、家でしか食べたことがないのだ。
一度電車などの中で食べてみたいと思っていたから、ちょうどいい機会である。
もちろん食べるのは筑豊線でだ。
乗客の多い鹿児島線でそんなことをやったら、白い目で見られてしまうだろう。


朝刊(西日本新聞)の一面に、7月から『ちびまる子ちゃん』の連載が始まると書いてあった。
「また“りぼん”に復活するのか」と思っていたが、考えてみるとおかしい。
たったそれだけのことを、何で新聞の一面に載せる必要があるのだろうか。
そう思って記事を読んでみると、何と西日本新聞に4コマ漫画で連載するというではないか。

ここでまた疑問がわいた。
何でまた福岡の新聞なんかに連載するのだろう。
まさか『サザエさん』がこちらのフクニチ新聞でスタートしているからということで、験を担いだわけでもなかろう。
すでに国民的マンガになっているわけだから、わざわざ地方紙に載せる必要もない。
そういう偉大なマンガを、地方紙が連載するというのもおかしい。
だいたい、エッセイやアニメや子育てで忙しい作者が、購読者数の少ない一地方のために、わざわざ時間を割いて描くとは思えない。

ということで、さっそくネットで調べてみた。
ああ、なるほど。
連載をするのは西日本新聞だけではなかった。
すべてのブロック紙(北海道、河北、東京、中日、中国、西日本)で連載になるのだ。
これなら購読者も全国紙並になる。
全国紙並みなら、やる気も出るだろう。

しかし、あの『ちびまる子ちゃん』の新作が新聞で読めるなんて、思ってもみなかった。
2年契約が終わったら、他紙に替えようと思っていたが、これでやめられなくなった。
とはいえ、ちょっと得した気がする。


昨日小学校は、いくつかの演目をした後に中止を決めたそうだ。
実際には1時間もやったのだろうか?
詳しいことはわからないが、そのいくつかの演目のおかげで今日は代休、どこに行っても小学生だらけだった。
運動会は明日以降に行われるようだ。
とはいえ延期したといっても、運動会は、雨の降らない日、つまり光化学スモッグが起きやすい日にしかやれないのだ。
これから気温が高くなり、これまで以上に起きやすいと言うし、このへんはどう考えているのだろう?

さらに言えることは、この光化学スモッグは、環境に対して無関心な国が引き起こしているから、ここ数年なくならないだろうということだ。
ということは、来年以降は光化学スモッグの少ない時期にやるとか、この時期にやらなければならないのであれば、屋内グラウンドを使用するとかしないと、また今回のように晴れているのに中止とかいうことになりかねないだろう。


今日はぼくがウォーキングをしているコース内にある5つの小学校、すべて運動会である。
朝7時、一番近くにある小学校から「ドン、ドン」という花火の音が聞こえた。
予定通りに運動会が行われるという合図だ。
このやり方は、ぼくが小学生の頃から変わっていない。

運動会が行われるということは、ウォーキングの途中に見ることが出来る。
卒業以来、母校の運動会は一度も見に行ったことがない。
これまで日曜日が休みだったことがないし、特に興味がなかったからだ。
しかし、久しぶりに運動会の音楽を聴くというのも悪くない。
あの手の音楽がけっこう好きだったんですよ。

さて、昼前になった。
いつものようにウォーキングに出かけた。
ところがである。
小学校が見えるところまで来たのだが、まったく音楽が聞こえないのだ。
最初はもう昼休みに入ったのかと思っていた。
だが、そうではなかった。
運動場に人がいない。

テントは張っているし、客席にブルーシートも敷いてある。
だけど人がいない。
そういえば、今日は光化学スモッグ注意報が出ていた。
ということは、全員昼食を学校の中でとっているのか。
そう思って、帰りにまた寄ることにした。

ところが、1時過ぎに行った時も、運動場には誰もいなかった。
「花火も鳴っていたし、まさか中止ということはないよなあ」
中止なら、小学校の車が「今日の運動会は中止になりました」と言って回るはずだ。
ぼくが小学生の頃、一度だけそういうことがあった。
その時は小雨で、運動会が出来るか出来ないか微妙な天候だったのだ。
結局その日は中止になり、翌々日に延期になった。
しかし、今日は雨は降ってなかったし、まさか光化学スモッグとか黄砂の影響で中止になるとは考えられない。
なぜなら、公害がひどかったぼくたちの時代でも、そういうことはなかったことだからだ。

だが、原因はそれだった。
今日市内で運動会を予定していた小学校の数は85校、すべて中止になったそうだ。


流行語ではないのだが、昔KBCラジオで、
「知らない町に行って、知らない人と出会う。だけど、みんな知ってるKBCラジオ、みんな聴いてるKBCラジオ~♪」
という歌が流れていた。
いつもオールナイトニッポンを聴いている時に流れていたのだが、この後に「オールナイトのKBCラジオです」と続いていた。

ちょうどKBCラジオの出力が50kWになり、KBCラジオがけっこう遠くの地域まで聞こえるようになった頃のことだ。
それ以降、こちらの深夜放送に、関西や関東からハガキが届いたりするようになった。
北海道あたりからも届いていたのではないだろうか。

しかしあの歌、現在の
「聴いてる? ケービースィーレディオ~♪」
よりもずっとよかった。
もう一度やってくれんかなあ。


今日は神社へは行ったものの、ウォーキングはしなかった。
何と光化学スモッグ注意報が出たからだ。
先月にも一度出ているが、その時は10年ぶりだと言っていた。

何で今頃になって光化学スモッグなのかというと、どうも中国が原因らしい。
中国は今、高度経済成長のさなかといわれているから、その経済を支える工業地帯は、きっと日本の昭和40年代のような風景なのだろう。
環境などまったく無視で、どんどん突っ走っているに違いない。
ということで、40年ほど前に日本が吹かせていた風が、今は中国から吹いてきているわけだ。

それはそうと、先日あるメールマガジンで読んだのだが、揚子江は今、廃液でドブ川化しているという。
ドブ川かということは、かつての洞海湾のようになっているということだ。
そう考えるだけで、あの時代が蘇ってくる。
星の見えなかった空、何となくざらついていた空気、低気圧が近づくと重苦しく漂っていた工場街の臭気…。
そういえば、煤煙のせいで閉校になった小学校があった。
その辺りは外に洗濯物を干せなかったという。

あれから40年、ヘドロだらけだった海や川には、今魚が元気に跳ねている。
その魚をトンビや白鷺が狙っている。
どこにでもある風景であるが、このどこにでもある風景が、かつての八幡にはなかった。
「煤煙」「大気汚染」「ヘドロ」など、昔は小学生の会話に普通に出てきた言葉も、今この辺りではすっかり死語になっている。
「光化学スモッグ」も、そういう言葉の一つだったのだが。


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