頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

カテゴリ: 仕事の話

昨年までいた会社は、毎年夏になると、社員にウナギを買わせていた。
何年か前までは柳川産だったが、その後急に中国産に変更になった。
理由は安いからということだった。

さて、あの会社は今年もウナギを売るのだろうか?
もし売るとしたら、それは中国産なのだろうか?
社員を小バカにした上層部が多かったから、案外「社員は何も知らんから大丈夫」と今年も中国産を売りつけているのかもしれない。

もしかしたら売れないと困るので、わざと値段をつり上げて、「これは中国産だけど、高級品だから大丈夫」などと言っているかもしれないなぁ。
半分強制みたいなものだったし、社員もわかっていても何も言えず、泣く泣く買っているのだろう。


(1)
嫁ブーの腫瘍疑惑で書くのが遅くなったが、木曜日に職安に行った。
三度目の認定日になったわけだが、三度目となると、手続きも簡単になってくる。
たった3分で認定は終わってしまったのだ。
前回は認定に10分以上かかり、さらに就職相談もしなければならなかった。
それを考えると、もう見限られたのかもしれない。

しかし、たった3分のためにわざわざ職安に行ったというのも癪だから、その日は就職情報を閲覧して帰った。
就職状況は相変わらず派遣やアルバイトが中心で、正社員募集は少なかった。
大手企業もなくはないのだが、年齢制限に引っかかった。
まあ、別にそういう会社には行きたくないが。

(2)
閲覧した中に、14年前に面接を受けた企業の募集があった。
何年か前に新聞の求人欄にも載っていたが、そこはいつも人材不足なのだろう。
というより、居着かないのか。
あの時ぼくを面接をしたのは社長の母親だった。
おそらくその母親が経営や人事に口を出しているのだろう。
若い頃に、三鬼陽之助の本を読んでいたことがあるのだが、そこに「女性がしゃしゃり出てくるような会社(男が経営する会社)は危ない」といったことが書かれていた。
人が居着かないのもうなずける。

(3)
それに関連した話がある。
ある会社のある店でのことだが、その店の店長の嫁(社員でも何でもない)がしょっちゅう店に顔を出して、いろんなことに口出しするのだそうだ。
それを会社は美徳として受けとめているらしく、社内報に「店長の奥さんの活躍で売り上げが伸びた」と紹介してしていたらしい。
その店長はどう思っているのかは知らないが、嫁はいいことでもやっていると思っているのだろう。
しかし、それだと店の統制は取れない。
きっと部下連中は嫁に反感を持っているはずだし、その店長に対しても『嫁コン』などとあだ名していることだろう。


月に二度ほどハローワークに行っている。
今日も行ったのだが、なかなか琴線に触れるような企業は見つからない。
年齢が年齢だから見つからないわけではない。
年齢は関係なく、ぼくが適職だと思っている販売、営業、事務といった職種の登録数が少ないのだ。
しかも、登録している会社は、3ヶ月前とほとんどいっしょである。
こういう職種は人気がないのだろうか?
それとも登録している企業の人気がないのだろうか?

そういえば30年前にも職安に通った時期があるのだが、あの頃二度スカウトマンに声をかけられたことがある。
最初の人は笑顔で「いい仕事見つかりましたか?」などと言って近づいてきた。
ぼくは無愛想に「いいえ」と答えた。

「今は不景気だからねえ」
「そうみたいですね」
「ところで君は営業とか興味ない?」
「営業ですか?」
「営業と言ったって、別に難しいことをするわけじゃないんよ」
「何をするんですか?」
「カタログ持って、一軒一軒家を回るだけ」
「売らんといけんのでしょ?」
「いや、別に君が買ってくれと言う必要はない。君は主婦ウケする顔をしているから、カタログ持って行くだけで、あちらから売ってくれと言うと思うよ」
「何のカタログを持っていくんですか?」
「ミシン」
「いや、いいです」
「君ならいいセールスマンになれると思うんだがなあ…」
そう言い残して、彼はどこかへ行った。

ぼくが職安から出ようとした時、ロビーから例のスカウトマンの声が聞こえてきた。
他の人に声をかけているようだった。
彼に気づかれないように近づき、それとなく聞いてみると、
「…君は主婦ウケする顔をしているから…」
と、ぼくに言ったことと同じことを言っていた。
彼の目には、他人の顔はすべて主婦ウケする顔に映ったのだろう。

もう一人のスカウトマンは、えらく体のがっしりした人だった。
その人は遠くからぼくをじっと見ていた。
ぼくがその視線に気づくと、彼は近寄ってきた。
「君はいい体してるねえ。何かやってるの?」
「高校時代に、柔道をやっていましたけど」
「柔道か、それは頼もしいねえ。実はね、君にピッタリの仕事があるんだよ」
「何ですか?」
「自衛隊」
当時のぼくは自衛隊に対していい印象を持っていなかったので断ったが、今なら行っていたかもしれない。

こういうスカウトマンは、今でもいるのだろうか?
ハローワークに行くのは今日で6回目だが、いまだそういう人にはお目にかかってはいない。
まあ、この白髪頭だから、近寄ってこないだけのことかもしれない。


今日の朝刊を見てびっくりした。
何と、昨年苦労して取得した、フォークリフトの資格が無効になったのだ。
その資格は新日鐵で受講して取得したのだが、今回の無効はその新日鐵の不手際から起きたらしく、そこで取得した人全員の資格が取り上げられたらしい。

新聞では「指導者の資格をもつ講師が立ち会わずに、実技講習を行っていた」となっている。
あの時講習場で「下手くそっ!」だとか「おまえはもう受けるなっ!」などと、さんざん悪態をついていたおっさんは指導者の資格を持っていなかったのだろうか?
こちらも相手が正規の講師と思っているからこそ、我慢していたのだ。
もしそれが偽講師だったとしたら、叱られ損だったということになる。

それもこれも、新日鐵という企業の体質からきているのだ。
「新日鐵のやることはすべて正しい」という思い上がりが、こういう事態を招くわけだ。

新日鐵には、そこの社員というだけで尊大に構えている輩がけっこう多くいるらしい。
新日鐵の関連会社に勤めている知り合いがいるのだが、その人は新日鐵の社員から「誰のおかげで飯が食えると思っとるんか?」と言われたことがあるという。
また、新日鐵社員とトラブルを起こした際、その新日鐵マンから「おまえのところのトップは、うちから行った○○さんやったのう。言いつけてやるぞ」とも言われたという。

「鉄は国なり」の時代はとうの昔に終わっているのだから、そろそろそこに勤める社員も考え方を改めないと、世間から反感を買うことになるだろう。
こちらのシルバー人材センターで、一番役に立たないのは、新日鐵のOBだと言われている。
とにかく能書きが多く、動こうとしないのだそうだ。
会社は、偽講師を使って資格を取らせる暇があったら、世間に適応する社員の育成をすべきである。

それはそうと、ぼくは持っている四つの資格のうち一つを失ってしまったわけだ。
まあ、これから先、おそらく必要とならない資格だから、なきゃないでもいいのだが、履歴書の資格・特技の欄が一行空いてしまうのはちょっと寂しい。


3週間を過ぎた頃だった。
午前中の作業を終えて手袋を外した時、どこからともなく臭いがしてきた。
「ん?何か懐かしい臭いだ」とは思ったが、その時は気にならなかった。

ところが昼食時に、その臭いがだんだん強くなってきた。
そこでいったん食事を中断し、臭いの根源を探ってみることにした。
まず身の回りのものをチェックしてみたのだが、臭いはそこからするのではなかった。
「もしかして足か?」と靴を脱いでみたが、そこでもない。
そうこうしているうちに、臭いは消えた。

「やはり気のせいか」と思い、また箸を持って弁当を食べようとした。
その時だった。
またしても臭いがしだしたのだ。
どうも臭いは手から発しているようだ。
だが、手のひらは臭わない。
「もしかしたら」と、今度は指を嗅いでみた。
ここだった。
それがわかると同時に、懐かしい臭いのことも思い出した。
上履きの臭いである。

「しかし、何で指が臭くなるのだろうか」
考えてみたら、思い当たる節がある。
手袋の素材は綿とゴムである。
そう、上履きの素材と同じなのだ。
汗で蒸れたせいで、小学生の頃と同じように、中が腐ってきたというわけだ。

ということで、食事が終わってからさっそく手を洗い、そのついでに手袋も洗った。
手袋の中に水を入れると、黒いカスが浮いてきた。
手袋を裏返すと、思った通りで、中は思った通りボロボロになっていた。
そこで新しい手袋を買いに行ったのだが、そこには同じ手袋しか置いてなかった。
「これもまた2週間しか持たんよなあ…。結局は高いものについたわい」
と思いながら、ぼくはその手袋を買ったのだった。


小学生の頃、上履きを裸足で履いたことがあるだろうか?
最初のうちはそうでもないのだが、だんだん蒸れてきて、中が腐っていき、最終的には破れる。
その過程における臭いというのがたまらない。
特に、腐って中がボロボロになった時に、足の指に付着するカスの臭いは強烈である。
よくぼくたちはそのカスを集めて、誰のが一番臭いかという競争をやったり、「これ臭うてみ」と女子の鼻のそばに持っていったりしていたものだ。

そういう臭いも、もう過去の思い出の一つになってしまった。
…と思っていたら、ひょんなことからその臭いに遭遇することになったのだ。
新しい職場、そこは段ボール箱に入った商品が数多く積み上げられている。
その段ボールを積み上げたり、降ろしたりするのが、今やっているぼくの仕事の一つである。
段ボールを素手で触ると、なぜか手が荒れる。
そのため軍手をはめて作業していたのだが、どうも軍手は弱い。
だいたい1週間程度で、指先が破れてしまうのだ。

そこでもっと強いのはないかと探してみると、工事の人がよく使っている、手のひら部分がゴムで覆われた手袋を見つけた。
そこには『強い』と書かれていた。
「これだ」と思い、ぼくは軍手よりもはるかに高いその手袋を買った。

なるほど強度はいいようだ。
1週間経っても2週間経っても破れない。
「これは安い買い物をしたものだ」とぼくはその時思った。
だが、その手袋をすると、えらく汗をかくことに、ぼくはその時気づかなかった。


転勤以来、休みはいつも日曜と月曜である。
曜日はずれるものの、学校や一般企業と同じく5勤2休というパターンだ。
毎週連休があるので、最初は楽そうな気もしていたのだが、長年2勤1休+3勤1休でやってきた後遺症なのか、どうも5勤2休は落ち着かない。
以前は、前の晩から「明日は休みだ!」という喜びもあったのだが、今はそれがない。
さらに言えるのは、連休に解放感も何も感じないということだ。

平日は肉体労働の疲れですぐに寝てしまうために、やりたいこともやれないでいる。
きっとその反動だと思うが、土曜日の夜は眠たいにもかかわらず、ムキになって平日出来なかったことを一気にやってしまおうとする。
深夜を過ぎても何か小忙しく、つい夜更かししてしまう。
そのせいで休みはいつも寝不足状態だ。
翌日も休みなのだから少し寝ればいいのだが、時間がもったいなく感じて、どうもそれが出来ない。

それが日曜日の状態である。
で、その夜ゆっくり寝ているのかというと、そうではない。
やはり土曜日と同じことをやっているのだ。
そして月曜日も、相変わらず寝不足状態で、気力なく時は過ぎていく。

これでは解放感も何もあったものではない。
正月以外の連休を知らないぼくにとって、連休というのは単なる時間の浪費に過ぎないのだ。
上手な連休の楽しみ方というものはないのだろうか?


今日も残業だった。
これまでやってきた販売という業務と違って、肉体労働の残業というのはホント応える。
例えば、販売の場合は「切りのいいところでやめて帰ろう」ということが出来たのだが、今の仕事はそれが出来ない。
とにかく、その日の仕事はその日に終わらせておかなければ、翌日は収拾がつかなくなる。
そのため、体を駆使して、なるべく早く仕事を終わらせようとする。
その焦りが事故に繋がったりするわけだが、今日ぼくはちょっとした事故に遭ってしまった。

夕方のことだった。
そこまでで、今日の仕事の3分の2くらいしか消化出来ていなかった。
このままだと5日連続の残業になってしまう。
そこで焦りが出た。
店に配達した荷物を降ろそうとして、いつものようにトラックの荷台に飛び乗った。
ところが勢いがつきすぎてしまい、荷台の床に這わしてあるローラーに足を取られ、そのまま荷台の下に転落した。
その時、右足のふくらはぎを仕切でしたたか打ってしまったのだ。

一瞬息が止まるくらい痛かった。
まあ、そのせいで立てなくなるといったことはなかったのだが、おそらく肉離れでもしているのだろう、痛みで右足に力が入らずうまく歩けない。
しかし、そこで仕事をやめるわけはいかない。
とにかく、今日の仕事をすべて消化しなくてはならないのだ。
ここで挫折したら、他の人に迷惑がかかる。
そこでぼくは、うまく歩けないのに、無理矢理うまく歩くふりをして、今日の仕事を終えたのだった。

家に帰ってからも痛みは治まらなかった。
そこで、すぐに患部を湿布してサポーターを巻いたのだが、その間「明日の仕事に差し支えないだろうか」ということばかり考えていた。
とにかく、明日は明日の仕事を消化しなければならないのだ。


朝の占いで、今日のさそり座は12星座中最下位の運勢だった。
それが当たったのか、今日は本社の手違いで荷が遅れ、底冷えのする倉庫でずっと待たされる羽目になった。
寒さに震えながら「やっぱり、今日はよくないわい」と思っているところに、メールが入ってきた。

そこにも占いが書いてあった。
そこでさっそく見てみると、何と『仕事運最悪』なのである。
これ以上最悪なことがあるのかと思っていると、その後、俄然仕事が忙しくなり、時間内で終わらなかった。
仕事が終わったのは午後8時で、3時間の残業を余儀なくされたわけだ。

前の職場は8時までの営業だったから、毎日が残業だった。
しかし、それが当たり前だったので、手の抜きどころなどもわきまえていた。
ところが、今の職場の残業というと、目一杯体を使わなければならない。
たとえて言うなら、嫌いな教科の授業が立て続けにあった日、放課後のクラブ活動で筋トレばかりやらされるようなものである。
おかげで、腰は痛い、ふくらはぎは痛い、肩は張る。

家に帰るなり、ダウンしてしまい、そのまま朝まで眠ってしまった。
目が覚めてみると、もう6時半である。
1時間後には出かけなければならないのに、日記は一行も出来ていない。
そこで、速攻書いたために、こういう日記になってしまったわけである。
行ってきます。


『ひとりぼっち』
 気がついてみれば いつもひとりぼっち
 気楽につきあっていけそうな 皆さんですがね
 振り向いてみれば 誰もいなくなってね
 そんな毎日が ぼくをつつんでる

 寂しいというのが 本音なんだけど
 いつもひとりっきりで 強がってみてね
 ひとりぼっちなんですね もともとが
 そうそう どこへ行ってみたってね

 だから 今だけは笑っていましょうよ
 ね 今夜はとてもビールがおいしいんだから
 ひとりぼっちの部屋で 乾杯してね
 青春 ああこれがぼくの青春でしょうよ

 寂しげな街が ぼくによく似合う
 なんて かっこいいこと言っているけど
 つまりひとりぼっちの いきがりでしてね
 さよなら また明日逢いましょうよ

  気がついてみれば いつもひとりぼっち
  そんな毎日が ぼくをつつんでる


最近の悩みは、「居場所がない」ということである。
仕事が一段落すると、特にこれと言ってすることもない。
そういう時は、みんなで談笑ということになる。
ところが、ぼく一人浮いているのだ。
なぜそうなるのかというと、話について行けないからである。
気がつくと、一人みんなと離れて突っ立っている自分がいる。
やることもないので、携帯電話を眺めて、ただタバコを吸っているだけである。

確かに前の職場でもそういうことはあったが、そういう時は自分の居場所を確保していたから、そこに逃れればよかった。
しかし、今の職場には他に逃れることが出来ないから困っているのだ。

いったい、そこでどんな話をしているのかというと、釣りの話、パチンコや競馬といったギャンブルの話などである。
前にも言ったが、ぼくはそういうものにまったく興味がない。
せめてもの救いは、ホークス絡みの話である。
が、その話も長続きせず、また先の話題になってしまう。
そのため、みんなから一歩退いた状態で立つようになるのだ。
自分から話を振ればいいのだろうが、仮にその場でぼくが、自分の興味がある音楽の話やネットの話をしても、逆に他の人が一歩退くだろう。

ここが人間関係の難しいところである。
だがぼくは、わざわざ話に加わるために興味のないことを勉強しようとは思わない。
「だから、おまえは世渡りが下手なんだ」と言われても、そういうことを勉強する暇があったら、ブログのネタでも探していたほうがマシなのである。

あーあ、またひとりぼっちである。


今日が転勤初日になった。
家と職場との距離は前の半分になった。
ところが、出勤時間が早まり、渋滞時間と重なるようになったのだ。
そのため倍の時間がかかるようになってしまった。
今日は初日ということで余裕を持って家を出たのだが、着いたのは定時ギリギリだった。

さて、仕事のほうだが、何と浪人時代に運送会社でやっていたアルバイトとまったく同じなのである。
入荷した荷物を降ろし、地区別に振り分け、それを配達する。
そのせいだろうか、仕事の最中に何度も浪人時代に戻ったような錯覚に陥ってしまったものだ。
そういえば、宙ぶらりの境遇も今とよく似ている。

しかし、疲れた。
とにかく肉体労働だから、今までの精神的な疲れとは違った疲れがある。
仕事が終わるのは早かったが、帰ってからは何をする気も起きなかった。
肩は張るし、腰は痛いし、脚は攣るし…、である。
風呂に入ったあとはグッタリだった。

とはいえ、明日と明後日は休みだ。
頑張って日記を書こうと、勇んでパソコンの前に座ったが、敢えなく玉砕。
またもや翌日の更新になってしまった。


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