頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

カテゴリ: 霊異記

床屋に着いたのは8時50分だった。
店の前には車が停まってなかったので、一番乗りかと思って中に入ったら、すでに先客が座っていた。
座っていたのは婆さんで、何と坊主頭なのだ。
それを見て、ぼくは「どこを刈るんだ?」と突っ込みたくなった。
しかし、その坊主頭が幸いして、予想より早く頭を刈ってもらうことが出来たのだった。

さて、今日は昼から、嫁ブーと二人で宗像大社に行った。
朝起きた時に、なぜか宗像大社の幻影が見えたのだ。
『ああ、これは宗像さんから呼ばれているんだな』と思ったぼくは、床屋から帰ってから、嫁ブーにそのことを言った。
すると、嫁ブーも「私も、朝から呼ばれとるような気がしよったんよ」と言う。
というわけで、宗像行きが決定した。

宗像大社に行ってみると、祭りをやっていた。
祭りは昨日から行われていたようだ。
それでようやく合点がいった。
つまり、宗像の神様が「祭りをやっているから、おまえたちも来い」と言って、ぼくたち夫婦を招待してくれたのだ。
そう考えると、何か嬉しくなってきた。


神社に通い始めて、もうすぐ1年になるのだが、なかなか願いが叶わない。
ま、今でこそ具体的に願い事を唱えているが、つい最近までは「よろしくお願いします」の一言だけだった。
これでは神様も何を願っているかがわからないので、叶えてやることが出来ないだろう。
ぼくはそう理解して、先月あたりから、願い事を具体的に口に出して祈っている。

すると、時々面白い現象が見れるようになった。
一つは、それまでまったく感じなかった、神社の香りを感じるようになったことだ。
神社というのは、昔の小学校の木造校舎のような匂いがするところは多いが、ぼくの通っている神社は、それに加えて甘い香りがする。

もう一つは、時々神様が姿を見せるようになったこと。
これはちょっと見ではわからない。
人に言ったら、「何であんなのが神様に見えるのか?」と言われるのがオチなので、そういうことは決して口にしない。
しかし、ぼくにははっきり神様の姿が見える。

そういえば、この間嫁ブーの実家に行った時に、仏壇に手を合わせていると、死んだ嫁ブーの親父が笑って出てきた。
というか、仏壇の前に置いてある木魚が、親父が笑っている顔に見えたのだ。
そのことを嫁ブーに言うと、「お父さんが喜んで、木魚の中に現れたんかもしれんね」と言っていた。

3歳になる甥が、嫁ブーの実家に遊びに来ると、決まって仏間に行ってケラケラ笑うのだが、あれは親父の霊が見えているのだという。
「何がおかしいと?」と聞くと、甥は「祖父ちゃんがおる」と言うらしい。

やはりいるんだ。
神様も義父も、ぼくの気持ちに感応してくれたのだと思う。
ということは、それが見えるかどうかは、その人の心のあり方次第ということになるのだろう。


(1)
前世の夢を見ることがある。
その夢を見る時は、雰囲気がかび臭く、背景も前時代的であり、さらに懐かしく感じる。
前世のぼくは兵隊で、野戦病院で生涯を終えたようだ。
赤十字のマークや、昔の映画に出てくる看護婦を見ると、意味もなく恐ろしくなるので、きっとそうなのだと思う。

おそらく戦争には徴兵で行ったのだろうが、兵隊に行く前はどこかの工場で働いていたようだ。
セピア色した古い木造工場の夢を見た時に、何かピンとくるものがあった。
機械は今みたいに複雑なものではない。
スイッチの入り切りだけで作動するような、単純な作りの機械だ。
午後5時になるとサイレンが鳴り、スイッチを切ってから工場を出るのだ。
着ている作業着が何か古めかしかった。

(2)
そのまた前世の夢を見たことがある。
時代はおそらく幕末から明治にかけてだろうと思う。
ぼくは行商人だったようだ。
ある茶店で雨宿りをしている時に、時代の夜明けを知ったのだろう、「これからよくなっていく」と明るい気分になった。
その行商先の一つに、花街があった。
今でも三味線の音を聞くと懐かしく感じるのは、きっとその頃の名残なのだろう。

そこでぼくは、どうも事件を起こしたようだ。
女を伴って屋根伝いに歩いている夢をよく見るのだ。
おそらく、女郎屋か置屋から女を連れて逃げたのだろう。
その後、事件がどう展開したのかは知らない。

ところで、その連れ出した女というのが、どうも嫁ブーのようなのだ。
夢から覚めて嫁ブーを見ると、「ああ、無事だったのか」という気がするのだ。
おそらくは、その因縁があって、今世で結ばれたのだろう。


毎日購読しているメルマガに載っていたのだが、今はこんなのが出ているらしい。

おばけ探知機【ばけたんストラップ】TVで紹介の!これで肝試しも恐くない?!

これが何かというと、なんと『ばけたん』という名のおばけ探知機なのだそうだ。
ぼくは知らなかったが、今かなり話題になっているとのことである。

それについているボタンを押して、赤いランプがついたら、そのへんに「おばけ(悪霊のことか?)」がいるらしい。
また、青ランプがついたら、そのへんに「守り神(守護霊のことか?)」がいるらしい。
これ一つあれば、とりあえず霊感の強い人と同等になれるということなのだろうか?

これを見ていて、つのじろうのマンガ『うしろの百太郎』に出ていた、「霊界電話」のことを思い出した。
「霊界電話」とは、霊媒の声帯や、エクトプラズムに頼らずに、科学的に霊の声を聞く通信機のことだ。
これにハマった、主人公一太郎の親父が、たくさんの霊を呼び込んでしまい、いろいろな事件を巻き起こすという内容だった。

霊は普通にいるものなのだが、我々の目に見えないのは、見えなくても支障のないように自然界が成り立っているからである。
それを、好奇心(?)でわざわざ見ようとするからおかしいことになってしまうのだ。
コックリさんがいい例である。

まさかこのストラップが、コックリさん的に霊障を起こすとは思えないが、出来たら使いたくない一品である。
だって、嫌でしょ?
こういうので自分の家を調べて、もし赤いランプがついたりしたら、住めなくなるじゃないですか。


毎年この時期になると、コンビニでホラー本や怪談本を買っている。
特によく読むのが、稲川淳二の恐い話で、あの語り口をイメージしながら読んでいる。

さて、先日、今年に入って初めて稲川本を買った。
そこに、えらく身近な話が載っていた。
北九州のテーマパーク近くにあるホテルに、幽霊が出るのだそうな。
何でも、そのホテル内にあるバーの窓に、子供の姿が映るというのだ。

そのホテルは、そのテーマパークが一望できる位置にあるらしい。
ということは、あのホテルしかない。
数年前に、日テレの雷波少年の中の企画で、ドロンズがロシナンテと泊まったホテルである。

しかし、そのホテルに幽霊が出るなんて聞いたことがない。
このへんでよく噂が立つのは、小倉駅前にある大手デパートくらいだ。
そのデパートの建っているところは、元々お寺やお墓があった土地だから、建つ前から「あそこは出るよ」と言われていた。
今のデパートになる前、そこは潰れたS百貨店が入っていたのだが、そこがオープンして数日後、さっそく「出た」という噂が流れた。
それを聞いて、ぼくの周りの者は、みな口を揃えて「やっぱりね。あんなところに建てるけよ」と言ったものだった。

では、今回のホテルの建っているところだが、そこもお寺やお墓があった場所なのかというと、そうではない。
そこには元々、某大企業の事務所が建っていたのだ。
その当時も、幽霊が出るなどという噂は聞いたことはない。

いったいその幽霊は、何ものなんだろうか?
そのホテルを建てる時に、事故に遭った人の霊なのだろうか?
しかし、それは考えられない。
なぜなら、最初に書いたとおり、それが子供の霊だからだ。
工事中に事故があったとも聞いてないし、仮に事故があったとしても、子供が工事現場にいること自体がおかしい。
事故死したのはおっさんだが、そのおっさんの霊魂は、実は子供の霊だった、ということは考えられない。

うーん、何なんだろうか…?
あっ、そうだ!、こういうことが考えられる。
それは、客を呼ぶ幽霊だということだ。
それなら合点がいく。
しかし、コンビニコミックでは、ぼくみたいな物好きしか読まないだろうから、その幽霊はあまり客を呼べない、つまり効果のない幽霊だということになる。


昨日、一昨日と、寝たのは4時を過ぎていた。
久しぶりに夜更かしが続いたわけだ。
しかも昨日に続いて、その夜更かしを埋め合わせできるほどの睡眠を取ってない。
こういう状況がいつまでも続くと、尿潜血値が上がってしまうから、注意が肝要だ。

さて、昨日は夜更かしをしたにもかかわらず、いい初夢を見ようと思い、枕元でいい音楽を流しながら寝たのだった。
ところが、その音楽にとらわれてしまい、いつまでたっても寝ることが出来なかった。
布団に入って1時間ほどが過ぎた頃、ようやく眠くなってきた。

「これで眠れる」と思った時だった。
突然、イビキが聞こえた。
嫁ブーである。
元日から仕事だったので疲れているのか、とても苦しそうに聞こえる。
「こいつ、大丈夫なんかのう」
そんなことを思っていると、また眠れなくなった。

それから何分経っただろうか。
急に場が変わった。
そういう時には、必ずと言っていいほど金縛りに遭うのだが、なぜか昨日はそうはならなかった。
そうはならなかったものの、違う現象がぼくを襲った。
ぼくの背中に何者かが乗ってきて、体を触わりだしたのだ。
最初は気のせいだろうと思っていたが、その感触は本物だった。
ぼくのどこを触っているのかというと、主に腹で、時折胸も触っている。
ぼくは心の中で「やめろ!」と叫んでいた。
だが、それはなかなかやめようとしない。
そこで、手を後ろに回し、そいつをつかんで、背中から力任せに引きずり下ろした。

体を起こして見てみると、そこには髪長でメガネをかけた、青白い顔の女がいた。
見たことのない顔である。
ぼくが「おまえは誰だ?」と訊くと、女は急に泣き出した。
その時だった。
再び場が変わったのだった。
ぼくの横では、相変わらず嫁ブーが苦しそうなイビキをかいている。

「夢やったんかなあ…?」
と思っていると、急に「えーっ!?」という声が聞こえた。
ぼくはその声を聞いて、胸騒ぎがした。
その声といい、さっきの女といい、もしかしたら何者がぼくに何かを伝えようとしているのではないのだろうか。
そう思ったところで、目が覚めた。

どうやら、現実の中で夢を見、その夢の中で夢を見ていたようだ。
しかし、不吉な夢だった。
もしこれが初夢だとしたら、今年はろくな年にならない。
胸騒ぎを抱えて1年間を過ごすなんて、到底耐え切れるものではない。
ということで、ぼくはこの夢を初夢として認めないことにした。
そこで、今日また、初夢に挑戦することにした。

それでは、おやすみなさい。


【1】
仕事の時、ぼくの車はいつも店の裏手に置いている。
その場所は街灯が当たらないので、夜はいつも暗い。
まあ、別に暗いからといって、どうということはないのだが、昨日はちょっと違った。
店を出て、ちょうど裏手にさしかかった時に、一通のメールが入った。
誰からだろうと、携帯を取り出し、メールの画面を開いていると、目の前を一人の男の人が横切って行った。
ぼくと同じく40代くらいの人で、ベージュのシャツを着ていた。
ぼくは別に気にせずに、車のところまで来た。

車の鍵を開けている時だった。
ふと、「あの男の人はどこに行ったんだろう?」という疑問が頭の中をよぎった。
そこで周りを見回してみた。
ところが、誰もいない。
その男を見てから、まだ1分も経っていないのだ。
「どこに行ったんだろう」と思いながら、もう一度その男を見た時の状況を思い起こしてみた。

確か、ぼくの前を右から左に横切ったのだった。
ところが、左側は土手になっていて、道などないのだ。
ということは、携帯に気を取られていたため、土手の上を歩いていた人と勘違いしたのかもしれない。
と、土手の上を見てみた。
が、そこにも人はいない。
結構静かなところなので、遠くに人が歩いていても足音がするのだが、その音もない。
「えーーー!?」
ぼくはいったい、誰を見たんだろう?
いや、何を見たんだろう?

【2】
店が建っている場所は、かつては池だったらしい。
そのせいか、よく水害に遭っている。
それも、普通では考えられないような水害が多い。
そのことは、この日記でもそのいくつかを紹介している。
例えば、雨が店のひさしに貯まってしまい、ひさしがその重さで落ちそうになったことがある。
ぼくはこういう店舗に勤めて20数年経つが、こういうことは初めてだった。
他には、消火栓の点検の時に水が天井から降ってきただとか、水道屋さんがなぜか判断を誤り水道管をぶち破ってしまい売場を水浸しにしただとか、数えれば切りがない。
言ってみれば事故なのであるが、ぼくはそうは思わない。
ここは元々水場なので、水が自然に集まるようにできている。
そういう場所に人間がいるから、トラブルになってしまうのだ。
つまり、人がいなければ、何もトラブルは起こらないということだ。
ある人は、この一連の事件を「水神の祟りだ」と言いきった。
その通りである。
勝手に水の領域を侵しているのだから、祟られないほうがおかしいのだ。

【3】
水神様の祟りはこれだけでは収まらない。
蛇やムカデといった、街中では滅多に拝めない動物を、店の中に次々と送り込んでくるのだ。
こちらはそういうものを見つけたらすぐに退治してしまうが、それがまた水神様の逆鱗に触れる。
それがために、いつまで経っても水害から逃れられない。
嫌な悪循環である。

【4】
ぼくは昼食が終わると、いつも例の場所に置いてある車の中で昼寝している。
これはしょっちゅではないのだが、時々、寝ている時に、何かがぼくの腹の上に乗って、どんどんと飛び跳ねているような感じがすることがある。
そのたびに腹に衝撃が走り、その都度体が揺れる。
もしかしたら、これも水神様のせいなのかもしれない。

【5】
昨日ぼくの目の前を横切っていた男、あれは水神様の化身だったのかもしれない。
ということであれば、これから起こる何かをぼくに暗示していったのだろう。
いったい何が起きるんだろうか?
それを考えると、なぜか胸がワクワクする。
が、ちょっと怖い。


昨夜寝たのは、午前1時過ぎだった。
普段は2時に寝ているから、1時間早く寝たことになる。
どうしてそうなったかというと、日記はほぼ出来上がっていたのだが、眠気が差してどうもまとまらない。
そこで、とりあええず寝て、朝少し早く起きてから日記をまとめようと思ったのだ。
そう決めてから、さっそくぼくはパソコンをスタンバイ状態にし、さっさと横になった。

さて、どれくらい時間が経っただろうか。
それまで見ていた夢が、突然滝の場面に変わった。
体中に水しぶきを浴びて、大騒ぎをしている。
その感触が実にリアルである。
ぼくは、夢の中で嫁ブーに「おい、これは夢か」と聞いた。
嫁ブーは「夢じゃないよ」と言った。
「そうか、夢じゃないんか」と思いながら、水しぶきのかかった顔を触ってみると、なるほど濡れている。
そこで目が覚めた。
が、まだ水しぶきがかかってくるのだ。
「おかしいな」と思い窓を見ると、何と外は大雨で、その雨が窓から降り込んできているではないか。
ぼくはあわてて飛び起きて、窓を閉めた。
その窓はちょっとした出窓になっていて、そこに七福神なんか置いているのだが、それがびしょ濡れになっていた。

さて、窓を閉めた後、枕元の時計を見ると4時である。
「まだ早い、もう一眠りだ」と再び横になっただった。
ゴロゴロという音とともに、稲光が走った。
その時だった。
窓の外から、「ワー」とか「キャー」といった、女子供の声が聞こえてきた。
一人二人の声ではない。
結構大勢の声なのだ。
しかし、「こんな時間に、しかもこんな大雨の中に人がいるはずはない。きっと聞き違いだ」と思い、眠りに就こうとした。
その時、またしても稲光が走った。
と同時に、先ほどの「ワー」とか「キャー」が聞こえてきたのだ。
やっぱり人がいる。

そこで、再び起き出して、窓の外を見てみた。
うちはマンションの上の階なので、周りはすべて見渡せる。
ところが、窓からは人影が見えないのだ。
人が集まるコンビニや、その前にある飲み屋や、その奥にある公園にも、人はいない。
しばらくそこで見ていたが、その後は稲光がすることもなく、声も聞こえなかった。

よくこんなことがある。
先日、夜中の3時半頃に、外から男と女が喧嘩する声が聞こえてきた。
「いつおれがそんなこと言ったか‥‥」
「あんたはいつもそうやんね‥‥」
などと、大声を張り上げて、結構派手にやり合っていた。
最初は気にしてなかったのだが、えらく長い時間それが続いている。
そこで、外を見てみた。
ところが、今回と同じく誰もいなかった。
昨年だったか、やはり女子供が大騒ぎしている声が聞こえたことがある。
それが笑い声であったり、泣き声であったり、時には嘔吐する声であったりした。
しかし、同じく人はいないのだ。
いったい、彼ら(彼女ら?)は何者なんだろう?

さて、その後「変なことで時間を食ってしまったわい」と思いながら、布団に戻ったのだが、今度は眠れない。
というより、窓を閉め切ってしまったために寝苦しくなったのだ。
エアコンを入れれば何のことはないのだろうが、ぼくも嫁ブーもエアコンがだめなので、これに耐えるしかなかった。
小一時間、寝相を変えたり呼吸を整えたりして、のたうち回っていただろうか。
そのうち、朝が来てしまった。
当然寝不足である。
さらに、昼間はエアコンで体が冷え切ってしまい、腹をこわしてしまった。
きっと、得体の知れない何者かの声が障ったのだと思う。


【今日の『つま恋行き貯金缶』】
先ほど200円入れたので、合計400円になった。
つま恋行きまで、あと72,600円である。 


【1】
終戦後、進駐軍が羽田空港拡張のため、そこにあった神社を移転させようとした。
ところが、ご神体は無事移転できたのだが、鳥居だけはできなかった。
鳥居を動かそうとすると、事故が起きるのだ。
そのため、鳥居だけはそこに残すことになったという。
きっと神様の怒りに触れたのだろう。

ぼくが通った高校のグラウンドの隅に、大きな磐がある。
そのため、グラウンドをいっぱいに使うことができなかった。
その磐は、猿田彦を祀ってあるのだという。
グラウンドを作る時にそれを退けようとしたらしいのだが、羽田と同じく事故が起きたという。
それで、そこに残してあるのだと、先輩が言っていた。

同じく隣の区のある場所に、なぜか道路を塞いでいる祠がある。
取り除けば道はまっすぐになるのに、その祠のせいで、そこだけ道はロータリーのようになっている。
地元の人に、「どうして、あんなところに祠があるんか?どこかに移転させればいいのに」と言うと、「昔、あの祠を退けようとして、バチが当たった人がいるらしく、それで退けられないんよ」と言っていた。
ぼくの住む区にも、道の真ん中にしめ縄をした樹木があるところがある。
当然、道はその樹木をよけるように作られている。
そこも、先の話と同じような言い伝えがある。

こういう話を信じない人にとっては、「偶然そうなっただけ」だとか、「馬鹿らしい。迷信じゃないか」ということになるのだろうが、実際にそういう人たちの言う「偶然」や「迷信」を根拠に人が動いているのだ。
これを否定することは出来ないだろう。

こういうことはどうして起きるのだろう。
それは、そういったものがあるところが、然るべき場所だったからだと、ぼくは思う。
神社や祠というのは、日本全国いたる所に存在する。
しかし、それは意味なくそこに建っているのではない。
それなりに由縁があるものだ。
まあ、何でその地域にそういうものがあるかなんて、調べるのも大変である。
また、それを取り除こうとすると、どうしてそういった災いが襲いかかるのかというのも、今の科学ではわからない。
然るべきところにあるものだから、そっとしておくのが然るべきことなのだろう。

【2】
ところで、古い神社というのは例外なく、「ある法則に基づいて建てられている」ということを、かつてある本で読んだことがある。
その法則とはどんなものかというと、地形の高い所(山や丘陵だけでなく、森の一番高い木のこともある)と高い所を結ぶ線上にあるということである。
その線上のことを、その本では『イヤシロチ(弥盛地)』と呼んでいた。
そういう場所は決まってマイナスイオンが発生するのだという。
神社に行くとすがすがしく感じるのは、そういう土地だからだそうだ。
そういった場所は神社に適しているだけではなく、農作物もよく育つらしい。
農作物がよく育つということは、神に祝福されている土地ということである。
つまり、『イヤシロチ』というのは、神の宿る場所だということになる。

だからこそ、昔の人は神を宿らせようとして、つまり豊作を願うために、『高み』をたくさん造っていったのだろう。
それが日本各地に残っている人工造山ということになる。
人工造山といえば、エジプトのピラミッドもそうであるが、あれもそういった理由、農作物の育成のために造られたのではないか、とぼくは思っている。
信仰のためだとかお墓だとか言われているが、要はやせた土地を肥やすがために造られた、いわば古代のマイナスイオン発生機だということだ。
ちなみに、「ピラミッドは日本人の祖先が造った」と密かに語り継がれているという。


先日、取引先の人と「ほたる狩りの季節やね」という話をした。
いろいろとほたる狩りスポットを上げていたのだが、一番ほたるが多いと言われる場所の名を言った時だった。
急に取引先氏が変なことを言いだしたのだ。
「ああ、あそこですか。あそこはあまり行かんほうがいいですよ」
「どうして?」
「いや、霊感の強い人から、あそこは霊の通り道という話を聞いたことがあるんです」
「えっ、そうなん。前に行ったけど、何も感じんかったけど…」
「ぼくやしんたさんが感じんだけで、霊感のある人にはちゃんと感じるらしいんですよ」
「へえ」
ぼくは、こういう話を聞いた時、「そんなの嘘だ」とか「霊なんかおるはずないやん」などと否定はしない。
感じる人がいる以上、それは本当のことだと思っているのだ。

ido.jpg例えば、井戸には水神様が宿ると言われている。
そのため、井戸を掘る時や井戸を塞ぐ時には、お祓いが必要となるらしい。
それを怠ると、災いが降りかかるということなのだ。
これまで井戸と直接関わりを持ったことのないぼくにとっては、ピンとこない話である。
とはいうものの、それを否定するつもりは毛頭ない。
昔からの言い伝えというのは、それなりに根拠のあることである。
だからそのことに対して、「自分が体験していない」という単純な根拠だけで、頭から否定するのは馬鹿なことだと思う。
「そういうこともあるんだ」くらいで、とどめておいたほうが無難である。

ところで、その水神様だが、先日嫁ブーから興味深い話を聞いた。
嫁ブーの母方の実家には、二つの井戸があったらしい。
そのうち一つの井戸を塞いだ時は、ちゃんと言い伝え通りに空気穴を開け、さらに神主を呼んで丁重にお祓いしたという。
そのせいか、その時には何事も起きなかったそうだ。
ところが、もう一つの井戸を使わなくなった時は、最初の井戸のように空気穴を開けたり、お祓いをしたりせず、ただ蓋をしていただけだそうだ。
まあ、蓋をしただけの時は何もなかったのだが、そこに何か物を置いた時に、不思議なことが起こったという。
それはそこに住む人にではなく、嫁に行った娘とか親戚の人に降りかかった。
嫁ブーの母親、つまり義母が、ある時えらく夢見が悪いことが続いた。
おかしいなと思って実家に電話してみると、何事もないという返事だった。
何事もないのに変な夢を見るはずがない。
そこで、義母は「あんた、まさか井戸のところ変なことしてないやろね?」と聞いてみた。
すると、蓋の上に荷物を置いているという。
さっそくそれを除けさせた。
案の定それが原因だったらしく、それ以降義母は変な夢を見ることがなくなったという。

別の時、義母の姉にも同じようなことが起きたという。
その時は夢見が悪いのではなく、両膝が痛みだし歩けなくなったらしい。
病院で見せても、何の異常もない。
そこで、義母と同じように実家に電話してみると、その時も井戸の蓋の上に何か置いていたという。
それを除けさせると、ひざの痛みは嘘のように引いていったらしい。

こういうことも信じない人には、ただの偶然と思えるのかもしれない。
しかし、先にも言ったように、自分が信じないからといって、それを否定するのは馬鹿である。
そういう体験をした人がいる以上、それは事実なのだから。


最近また変な現象に悩んでいる。
寝ている時に体が浮く現象は、前にも書いたことがあるが、最近その現象が、さらにパワーアップしているのだ。

前回、その現象に悩まされた時は、ぼくもいろいろと対策を立てた。
例えば、枕元に般若心経の経本を置いて寝るとか、疲れがたまらないように、なるべく早く寝るとかである。
さらに、その現象を引き起こすであろう『得体の知れない何か』が登場する時には、決まって「バシッ」というラップ音が聞こえる。
そこで、それをふまえて、その音が聞こえるとすぐにぼくはある呪文を唱えて、体が浮くのを拒むことにした。
その呪文とは他でもない、般若心経の「ぎゃーてい、ぎゃーてい、はーらーぎゃーてい」である。
時に「ひーふーみーよーいーむーなーやーこーとー」や「とーかみえみため」といった、言霊を唱えることもある。
それら呪文の効果は抜群で、それを唱えている間は、変な現象を起こさせる『得体の知れない何か』がぼくに寄りつくことはない。
と、しばらくの間、それでよかった。

ところが、その『得体の知れない何か』も対策を練ったようで、ぼくがその呪文を唱えなくなった時、そう寝入りばなにやってくるようになったのだ。
こちらが無防備な分、その威力にはすごいものがある。
体が浮くと同時に、ぼくの呼吸を止めてしまうようになったのだ。
ぼくは最初、このことに気がつかなかった。
体が浮くのは慣れているので、時間がくれば収まるだろうと思っていた。

しかし、今回はどうも様子が違うのだ。
「何か忘れているような…。あっ、苦しい…、息をしてないやないか!」
そのことにようやく気がついて、すぐに呼吸をしようとするのだが、自分の意思で呼吸を止めたわけではないので、呼吸が回復するまでに時間がかかってしまう。
つまり、息を止めている時というのは、その1秒1秒が長く感じる、ということである。
悠長に苦しい思いにつき合っておれない、ということで、必死にもがくことになる。
ようやく呼吸が出来るようになる頃には、かなり体力を消耗してしまっている。
その頃、奴はすでにどこかに行ってしまっている。
しかし、油断してはならない。
いつまたあいつが現れるかもしれない。
と、再びぼくは呪文を唱え始めるのだ。
翌朝はもちろん、寝不足である。

ところで、この現象はいったい何なのだろうか?
呼吸をしないのだから、無呼吸症候群というやつに当てはまるのだろうか?
だが、無呼吸症候群は、息をしていないという自覚がないと聞く。
ということは、無呼吸を自覚しているぼくは、無呼吸症候群ではないということになる。
もしかしたら、例の『得体の知れない何か』というのは、実は死神で、ぼくのもとにやってきて、魂を抜き取ろうとしているのかもしれない。
今はまだ、体力があるからいいようなものの、病気をしたり年を取ったりして体力がなくなった時は危ない。
あんがい過労死をした人というのは、この死神との闘いに敗れた人たちなのかもしれない。
気をつけなければならない。


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