頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。

カテゴリ: 観音示現

朝方、例のごとく近くの神社に行ったのだが、その時ふと、観音様に呼ばれているような気がした。
そういえば今日は17日、長谷寺のご本尊、国宝十一面観音ご開帳の日だ。
明日もご開帳はあるのだが、今日は嫁ブーも休みだから、行くなら今日のほうが都合がいい。
ということで、昼から長谷寺のある鞍手町に出かけた。

そこは幹線道路から入ればわりと楽に着くのだが、近道をしようとするとわかりづらい。
前に一度その道から入り、何度も道を間違えたことがある。
そのせいで、最近は近道をせず、幹線道路から入っている。

さて、さすがご開帳の日である。
普段行くとはあまり車は駐まってないのだが、今日は数台駐まっていた。
おそらく観音様の縁日である明日18日は、もっと多くの参拝客が来るのだろう。

しかし、せっかくの国宝のご開帳なのだから、もっと大々的に宣伝をやってみたらどうだろうか。
ぼくの周りには、そこに国宝があることを知っている人があまりいない。
それどころか、このお寺の存在自体知らない人が多い。

何せ、宣伝媒体がホームページくらいしかないのだから、それもしかたないとは思うが、もっとどうにかならないものか。
これが関東や関西なら、観音様の縁日ということで、多くの人が参拝にきて賑わうと思う。
ま、山中で交通の便が悪いところだから、主要な参拝客層である爺婆も寄りつけないのだろうが、それなら町がシャトルバスを出すなどしてもらいたいものだ。


5日の日記に『雲雷鼓掣電 降雹ジュ大雨 念彼観音力 応時得消散』という経文のことを書いたが、忘れていたことがある。
それは、訳を書いてなかったということだ。
ということで、訳を書いておく。

「暗雲は地を覆い、雷音は地を震わす。
 大雹は地を叩き、豪雨は地を埋める。
 念彼観音力、ひたすら呼び続けよ。
 魔はたちどころに消え去るだろう」

まあ、こういうところだろうか。
やはり『念彼観音力』は難しい。
いろいろと考えてみたが、訳せなかった。
で、そのまま使うことにした。

そういえば、かつてある人が、クレージーキャッツの植木等に「南無阿弥陀仏って、どういう意味ですか?」と尋ねたことがあるという。
植木等の生家は浄土真宗のお寺である。
それでそういうことを聞いたのだと思うが、その時の植木さんの答が実に味わい深い。
「ただいまーっていう意味だよ」
すごい人である。
『南無阿弥陀仏』を説明するとなると、本にすれば何冊にもなってしまうだろう。
それを植木さんは一言で言ってのけたのだ。

ある禅の本に、「本来の自己に取って返す」ということが書いてあった。
何かに心奪われそうになった時や、自分を見失いそうになった時には、すかさず本来の自己に取って返すことが大切だというのだ。
そのためには、念仏やお題目を唱えるのも一つの方法だということだった。
『本来の自己に取って返す』というのは、「自分に立ち返る」という意味である。
「自分に立ち返る」というのは、「自分に帰す」と言い換えることができる。
そう、「自分に帰す」のだから「ただいま」なのだ。

実は『念彼観音力』も同じ意味なのであるが、この経文に突然「ただいま」を入れてもおかしい。
ということで、ずっと悩んでいたわけである。

ところで、ぼくは一度この経文を実践したことがある。
前の会社で外回りをしている時のことだった。
夕方、それまで晴れ渡っていた空が、突如暗くなって、夕立が降り出した。
朝からずっと晴れていたので、傘なんか持ってない。
そのためずぶ濡れになってしまった。

どこかで雨宿りしようと思ったのだが、そういう場所もない。
「どうしよう」と途方に暮れていた時だった。
ふとこの経文が口をついて出たのだ。
『雲雷鼓掣電 降雹ジュ大雨 念彼観音力 応時得消散』

ところが、これを何十回、何百回繰り返しても、雨はいっこうにやむ気配がない。
「『まさにその時、消散することを得る』じゃないか。何で祈りが通じないんだ。あれは嘘か!?」と、ぼくは経文を恨んだ。
と、その時だった。
急に雨がやんだのだ。
「おお、祈りが通じたぞ」と、ぼくは心の中で小躍りしていた。

しかし、それは束の間だった。
またしても雨が激しくなったのだ。
結局、その日は、雨がやむことはなかった。
家に帰るまで、ずっと「クソー」とお経を恨んでいた。
が、別にお経が悪いわけではない。
経文を鵜呑みにしていたぼくがバカだったのだ。
そう、お経は現世利益を説いているのではないのだから。


法句経(法華経ではない)というお経がある。
上座部仏教の経典で、仏教の論語のようなものである。
東京にいた頃、仏教書を読んでみたいと思い、古書街を探し回って見つけたのが、その『法句経(友松圓諦師訳)』だった。

このお経、例えば般若心経のように空の理論を展開しているわけではない。
例えば観音経のように、御利益を羅列しているわけではない。
では何を書いているのかというと、人として生きる道を丁寧に説いているのだ。

例えば、
「『彼は私を罵った。私をなぐり、私を敗北させ、私から掠めたのだ』こうした考えに執着する人には、そのうらみは息(やす)むことがない」(友松圓諦師、現代語訳)
という句がある。
その通りである。
では、どうすればうらみが消えるのかというと、
「『彼は私を罵った。私をなぐり、私を敗北させ、私から掠めたのだ』こうした考えに執着しない人にこそ、そのうらみは消え失せる」のだ。
実にわかりやすい。
つまり、根に持つなということである。
しかし、頭ではわかっていても、心のほうが素直に言うことを聞いてくれないから困るのだ。
それを解決するためにいろいろと工夫・実践した結果が、「すべてを空と見よ」とした般若心経であり、「一心に観音を念じよ。きっと救われる」という観音経なのである。

あっ、今日はそんなことを書くんじゃなかった。
今日久しぶりに読んだその法句経に、興味深いことが書いてあったのだ。
「人は黙って座っているものをそしる。多く語るものをそしる。ほんの少し語るものでさえそしる。この世の中にそしりを受けないものはない」という言葉である。

小学生の頃のぼくは、実にしゃべり好きな人間だった。
よく「口から先に生まれてきた」などというが、そういうたぐいの人間だったのだ。
そのしゃべりがいつもギャグを含んでいたため、クラスではわりと人気のあったほうである。
ところが、それをよく思わない人間もいた。
彼らは、ぼくを見るたびに、いつも罵声を浴びせていたものだ。
ぼくも負けじと応戦していた。
結局、最後の最後まで、ぼくと彼らは打ち解けることはなかった。
中学卒業以来、彼らと会うことはないが、もし会うことがあったとしても、話をすることはないだろう。
なぜなら、いまだお互いに根を持っているだろうからだ。

それから三十数年後、つまり今だが、ぼくは余計なことはしゃべらない人間になった。
すると今度は、無口だの、暗いだの言ってそしられるようになってしまった。

「しゃべればしゃべったで敵が出来る。しゃべらなければしゃべらなかったで溝が出来る。いったい、どうしろと言うんだ?」
というのが、最近の悩みであった。
だが、今日その言葉を読んで、思わず「なるほど!」膝を打ったのだった。
つまり、「そういう声に反発するのをやめて、執着しないことに努めよ」ということなのだろう。
たったそれだけのことで、悩みというのは消えていくものなのだ。
なぜかというと、実のないこと、つまり『空』だからだ。
しかし、たったそれだけのことが難しい。
また新たな悩みになりそうである。


前にも書いたことがあるが、かつて極度の鬱状態に陥ったことがある。
いろいろ手を尽くしたがなかなかその状態から抜け出すことが出来なかった。
ところが、ある時ひょんなことから『延命十句観音経』というお経を知り、結局そのお経に救われることになる。
その時ぼくは、やけになって「もしこの状態から解放してくれるなら、観音経を一人でも多くの人に紹介していく」ということを誓ったのだった。
ちゃんと、願いは聞き入れられ、ぼくはすぐに立ち直ることができた。

ところが、あれから20年近くも経つのに、まったくその誓いを果たしていない。
もしかしたら、働く場を失ったり、人から中傷を受けたり、腰が痛かったり、背中が痛かったり、すぐに虫歯になったり、太ったりするのは、そのせいなのかもしれない。

まあ、そういうことはさておき、実はこの日記を書き始めた頃から、意識の奥に「いつか、しろげしんたというフィルターを通した観音経のことを書いてみたい」というものがあった。
昨年、ある人から「来年はいろんな意味で転換期になります」と言われた
手相や四柱推命を観ても、そう出ている。
ということで、転換期にあたって、その『観音経』のことを書いてみたい。

けっこう深い経典なので、まったく素人のぼくにとっては、重すぎるのかもしれない。
が、そういうことを書いていくうちに、一つの方向が見えてくることだろう。
肩に力を入れずに、そういう過程を楽しんでいくようにしていったら、案外ライフワークになるやもしれない。
これからどんどん忙しくなるので、ブログのほうもたまにしか更新できないかもしれないが、この企画だけは切らさないでいこうと思っている。


今日、ふとしたことがもとで、長谷観音に行った。
長谷観音と言っても、別に鎌倉や奈良に行ったわけではない。
北九州市に隣接する鞍手町にあるのだ。
鞍手町というと、この間この日記でお知らせした貴黄卵生産直売農場と同じ町だが、長谷観音はそこからさらに奥に行ったところにある。
この観音さんは知る人ぞ知る観音さんで、知らない人はまったく知らない。
かく言うぼくも、つい最近までその存在を知らなかった。

何で知る人ぞ知るのかというと、実はここの観音さんは、鎌倉や奈良の長谷観音と同じ木から出来ているらしく、当然のごとく国宝に指定されているのだ。
ところが、テレビやラジオで紹介しているのを見聞きしたことはないし、太宰府天満宮や宮地岳神社のようにCMも流れていない。
さらには県の観光案内にも載っていない。
これでは知りようがないではないか。
もし紹介しているものがあるとすれば、それは鞍手町とか筑豊という狭い地域の観光案内くらいではないだろうか。
ということで、この観音さんを知っているのは、地元の人か信仰の厚い人から口伝えで聞いた人くらいなものだろう。
ぼくもその口だった。

しかし、まさかこんな近くに、国宝があるとは思わなかった。
最初にそれを知った時は、半信半疑だった。
国宝といえば、この辺だと太宰府ぐらいにしかないと思っていたからだ。
で、それを聞いてから、さっそくそこに行ってみたのだが、先に書いたように、周りは普通の田舎である。
看板も幹線に掲げてある大きな看板とは違い、小さな看板が所々にあるだけで、気をつけていないと、すぐに見落としてしまう。
何度も道を間違え、ようやくたどり着いた長谷観音だったが、その時拝んだ観音さんはダミーだった。
本尊は、毎月17日と18日にしかご開帳しないことになっているらしいのだ。
ということで、それからは、その日を狙っていくようになった。

ところで、今日はご開帳の日でもないのに、わざわざ長谷観音まで何をしに行ったのかというと、実は寺の前にある食堂に、昼飯を食べに行ったのだ。
午前中に歯医者に行ったのだが、家に帰ると嫁ブーが、変な顔をしてこちらを見ているではないか。
「何か?」とぼくが聞くと、「腹減ったんよ」と言う。
「何か作って食べればいいやろ」
「面倒やん。ね、どこかに食べに行こう」
「どこに行くんか?」
「どこでもいい」
「何が食いたいんか?」
「何でもいい」
「街中と田舎と、どっちがいいか?」
「おまかせします」
「じゃあ、田舎に行こう」
ということで、長谷観音に向かったのだ。
なぜ長谷観音を選んだかというと、ぼくが知っている田舎の食堂で、通りに面していないのは、そこしかなかったからだ。
せっかく食べるのなら、車の通らない空気のおいしいところで食べようと思ったわけだ。

今日も何度か道に迷ったが、何とかたどり着いた。
せっかくだからと言うので、ダミーの観音さんに手を合わせ、それから食堂に入った。
頼んだものは、ぼくが丸天うどんとご飯、嫁ブーは山かけそばとおにぎりだった。
そういうものが特においしいわけではない。
が、一品だけ「これはおいしい」というものがあった。
それは、ご飯に付いてきた床漬けである。
まさに田舎ならではの味だった。

さて、長谷観音に着いてから30分もいただろうか。
食事を終えたぼくたちは、他に寄るところもなかったので、さっさと家に帰ったのだった。
帰り着いてから車のメーターを見てみると、往復で40キロ走っていた。
ということは片道20キロか。
ちょっと遠かったかなあ…。
しかし、こういう昼食もわりといいものである。
また機会があれば、やってみようと思っている。


ということは、武道の極意もこのお経の中にあるのだろう。
そしてその極意中の極意が『応無所住而生其心』ということになるのだろうが、この言葉、言うにやさしいが、実践となると実に難しい。
武道を極めていないぼくには、到底届かない境地である。
が、せっかくこの世に生まれてきたのである。
ちょっとでいいから、この境地を味わってみたいものだ。
かといって、刀など振り回すことは出来ないから、せめて念仏代わりにこの言葉を唱えてみることにするか。

金剛経について、こういう話がある。
昔、ある婆さんが、坊さんから「『応無所住而生其心』、この言葉は実に霊験あらたかで、毎日毎日唱えていると願い事が叶う」と教えられた。
それを信じた婆さんは、出る息入る息をこの言葉に換えて唱えることにしたのだが、婆さん、ここでとんだ間違いをしてしまった。
その『応無所住而生其心』を、『大麦小麦二升五合』と聞き違えていたのだ。
もちろん婆さんは、その後ずっと『大麦小麦二升五合』と唱えていた。
ところが、婆さんに霊験が現れた。
何と、病人を前にして『大麦小麦二升五合』と唱えると、その人の病気が治るようになったのだ。
それが評判を呼び、多くの人が婆さんの元にやってくるようになった。
ある日、評判を聞きつけて、ある修行僧がやってきた。
その僧が婆さんの唱える言葉を聞いていると、どうもおかしい。
そこで、坊さんは婆さんに「婆さん、それは違う。正しくは『応無所住而生其心』と言うんだ」と言った。
「そうか、違っていたのか」と思った婆さんは、それ以来正しく『応無所住而生其心』と唱えるようになった。
ところがそう唱え出してから、病気を治すことが出来なくなったという。

この婆さんは心に障りを作ったんだな。
つまり、婆さんにとって『大麦小麦二升五合』は無念無想だったわけだ。
ところが、正しく『応無所住而生其心』と唱えようとすることで、心に力みが出来てしまった。
そこには、もはや無念無想はない。
疑心が残るだけである。

しかし、これがまたややこしい。
執着するつもりはないのに執着してしまうのが、心なのだ。
他のことに執着しないようになったとしても、「執着しない」という思いに執着してしまう。
まことに心というのは扱いにくい。
しかし、これをクリアしないと、無念無想にはなれないのだ。
執着無く『応無所住而生其心』と唱えられるようになるまでに、いったいどのくらいの時間を要することだろう。
「ちょっと体験したい」というような不埒な気持ちでやっていたら、何度生まれ変わっても無念無想なんて味わえないだろう。


十数年前、ぼくが仏教書を読んでいた頃、一つだけ気になるお経があった。
『金剛経』というお経である。
般若心経や観音経に比べると、知名度のずっと低いお経なのだが、このお経がなぜかマンガに載っていたりする。
「山、山にあらず、これを山という。わかるか、岡」
確かこんなセリフだったと思う。
岡とは岡ひろみのこと、そう『エースをねらえ』である。
このマンガ、当初は俗にいうスポ根マンガだったが、2部からだんだん宗教色の濃いものになっていった。
「山、山にあらず…」と言ったのは、宗方コーチ亡き後、岡のコーチになった桂コーチである。
彼は永平寺の修行僧だった。
普通の人なら坊さんをテニスのコーチには選ばない。
が、この作者山本鈴美香は違った。
無理矢理コーチを永平寺に求めたのだ。
おそらく彼女は、宗教的な雰囲気が好きだったのだろう。
その証拠に、彼女はその後、新興宗教の教祖になっている。

さて、そのぼくはお経が気になっていたと書いたが、別に『エースをねらえ』を読んだから気になったのではない。
このお経にある『応無所住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)』という言葉に惹かれたのだ。
『応無所住而生其心』、これは「何ものにも執着することなく心をおこせ」という意味だが、実に面倒くさい言葉である。
武道でいう『無念無想』と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
剣豪宮本武蔵はこの境地に達していたと言われている。

無念無想といえば、同じく剣豪の千葉周作に面白い話がある。
ある商人が周作に「命を狙われています。私に剣術を教えてください」と頼んだ。
すると周作は、「目を閉じて刀を大上段に構えよ。そして相手が動く気配がした時に振り下ろせ」と教えたらしい。
後日、賊に命を狙われた商人は、周作の言いつけどおりに、目を閉じて刀を大上段に構えた。
もちろん動く気配がしたら、刀を振り下ろそうと思っていた。
が、いつまで経ってもその気配が感じられない。
しばらく経って、目を開けてみると、そこにはもう賊はいなかった。
そのことを周作に言うと、周作は「相手はお前の構えを見て、恐れをなして逃げたのだ」と言ったという。
おそらく賊は、目を閉じ刀を振り下ろすことに集中している商人の姿を見て、『無念無想』を感じたのだろう。

お経と剣術、そこには何の関係もないと思われる。
が、実はこの金剛経は、武士の心の支えとなった禅と大いに関係があるのだ。
それは、禅宗の六祖である慧能がこの言葉を聞いて、出家を志したという故事からきている。
出家を志したというより、慧能はこの言葉を聞いて大悟したのだろう。
なぜなら、その後寺に入った慧能は、修行らしい修行もせずに、五祖の後継者に抜擢されているからだ。
そういう理由からか、禅宗ではこのお経は重要な教典の一つになっている。


何年かかけて、ようやく答を得た。
『念彼観音力』は、やはりこの呼吸だった。
多くの書物や自らの体験が、それを証明してくれた。
悩みに流されている時、人は我を忘れているものだ。
ということは、悩みに流されていると気づいた時は、すぐさま我に帰らなければならない。
その方法こそが、禅であり念仏であったのだ。

その方法に一つ付け足したいものがある。
それは、「視線を正す」ということである。
悩みに流されている時、人の目は泳いでいるものだ。
ということは、その悩みを消し去るには、視線を正せばいいということになる。
「そんな単純なものなのか?」という疑問を持たれる人もいると思う。
が、そんな単純なものなのだ。
般若心経でも言っているように、すべての事象は元々何もない。
ということは、悩みも元々ないものである。
そもそも悩みというものは、自分の心で作りだした事象に、自分の心が執着しているだけのものなのだから、悩みを消し去るには、その執着を断ち切るだけでいい。
元々ないものであるからこそ、視線を正す、つまり悩みに目を向けずに「今、ここ」に向ける、つまり我に帰ることで、簡単に断ち切ることができる。
ただ、これを継続出来るか否かは、本人の努力次第である。
我に帰っても、またすぐに悩みに流されてしまっては元も子もない。
常に視線を体の中心線に置き、視線を正さなければならない。

ということで、17年間の『念彼観音力』探求は、今のところ『視線を正す』というところに落ち着いている。
今後また新たな展開が起きるかもしれないが、基本的なものは変わらないだろう。
いや、変わりようがないだろう。

【追記】
今回佐世保で起きた事件だが、おそらく殺人を犯した女子児童も、あの時視線が流れていたのだろう。
もしあの時視線を正しくしていたら、その動機自体が空しく感じていたにちがいない。
そうであれば、あの事件も事前に防げただろう。
事を起こした後に、人はみな視線を正しくする。
その後に襲ってくるものは、悔悟である。
そして、無間地獄へと堕ちていく。
「あの時、こうすれば」ということを、人はその時に出来ない。
その時、視線を正すための訓練を、普段から積んでないからだ。
あの少女は通り一遍のケアを受け、ふたたびいつもの生活に戻るのだろうが、無間地獄からは逃れられないだろう。
もし逃れられるとしたら、事件のことをすっかり忘れてしまうしかない。
だが、忘れようとして忘れられるものではないし、仮に忘れたとしても、忘却の奥に潜む苦痛を常に受けることになるだろう。
日常生活をやっていても、無間地獄からは逃れることは出来ない。
無間地獄の果ては、人格の破滅しか残ってない。
ではいったいどうすればいい?

ぼくは、供養しかないと思う。
そうすることで、彼女はこの世に生を受けた意義を知り、その時初めて自分を取り戻すことになるからだ。
無間地獄は自分を取り戻す、つまり我に帰ることによって、自ずと消滅してしまうのだ。
ということは、彼女にとっての残された唯一の救いは、殺めた命を一生かけて供養していくことしかないじゃないか。
彼女は今、『念彼観音力』を必要としている。
『念彼観音力』も今、彼女を必要としている。


『我に帰れば、心の中にある地獄は消え去ってしまう。だから、我に帰ろう』
妙法蓮華経観世音普門品第二十五、つまり観音経の要約である。
般若心経に比べて、観音経はだらだらと説教が続いているが、要はこういうことをいろいろな方面から説明しているにすぎないのだ。

30歳の頃、ある事情から、ぼくはこのお経にかかわりをもつことになった。
それまでは、のんびりと中国思想などと闘っていたのだが、そういったどちらかというと処世術的なものでは解決出来ない問題があるのを知ったのである。
そういう時に出会ったのが、般若心経であり、この観音経だったわけだ。

この観音経にはいろいろな霊験が書いてある。
火の中に落とされた時、大海に漂流した時、山から突き落とされた時、賊に襲われた時、魔物に襲われた時など、もろもろの苦難を受けた時、観音の力を念じれば救われるというものだ。
その、「観音の力を念じれば」の部分が『念彼観音力』という有名な言葉である。

この経を勉強していた頃、ぼくはこの『念彼観音力』にほとほと手を焼いた。
声を出して「ネンピーカンノンリキ」と唱えてみればわかるが、この言葉は実に力強い言葉である。
また、この言葉は、念力の『念』という文字を含んでいる。
超常現象物が好きなぼくは、この『念彼観音力』という言葉を見て、すぐに超能力を連想した。
そして、この『念彼観音力』の中に呪文を感じた。
そう、最初にこの言葉を見た時、ぼくは「念じれば、苦難から逃れることが出来、行く行くは超能力を得ることが出来るようになる」と単純に理解したのだった。

それからぼくは、毎日「念彼観音力、念彼観音力…」と唱えていた。
しかし、苦難からは逃れることは出来ない。
ましてや、超能力なんて、夢のまた夢である。
確かに唱え始めた頃は、心身共に軽くなっていくのを感じたのだが、日が経つにつれてそれは惰性になり、ついにはただの口癖になってしまった。
また経の解釈も、「呪文を唱えれば苦難から逃れる」となったため、言葉の苦難から逃れられなくなった時、「このお経は偽物だ」と認めざるをえなかった。

そういう時だった。
「観音経は人生の書だ」と書いてある本を見つけた。
そこには、「観音経は、字面ばかり捉えていても何も見えてこない。そこに人生を照らし合わせてみろ。はたと気づくことがあるはずだ」といった内容だった。
そう言われればそうである。
超常現象マニア限定の本なら、こうまで長く多くの人に読み継がれなかっただろう。

では、『念彼観音力』が呪文でないとしたら、いったい何なのか。
この疑問がぼくの、観音経の再出発点となった。
もはやそこに超常現象を見ることはなかった。
ある時、ふと我に帰った瞬間に、それまであった悩みがきれいさっぱりと消え去っているのに気づいた。
「これはいったい何だろう。もしかして『念彼観音力』は、この呼吸なのか?」
そこから、また探求が始まる。


ぼくの家に金色の正観音像がある。
掃除をしないので、ほこりまみれになっている。
たまに手を合わせている。
ぼくの信仰は、その程度のものである。
かつて、お経や禅の本を読んだことがあるが、それはあくまでも興味本位で読んでいただけであって、別にそういうものにのめり込んだわけではない。
神社や古いお寺に行くのが好きであるが、それはすがすがしい気持ちに浸りたいから行くだけのことで、別に集会に集まったり、寄付したりしに行くわけではない。
だいたいぼくは栄光ある孤立を望む人間だから、団体に属すとか、関わるとかいうことが大嫌いである。
だからこの先も、宗教団体に入ることはないだろうし、家の宗旨である浄土真宗の活動をするようなことは絶対ないだろう。
寄付も嫌だ。

かつて知り合いに宗教団体Sに入っている人がいたが、活動が大変だと言っていた。
入信の勧誘、新聞の勧誘、選挙の時は電話をしていたし、選挙当日にはご丁寧にも投票所に送り迎えまでしていた。
何もそこまでして、宗教団体Sにのめり込まなくてもよさそうなものである。
しかし彼に言わせれば、それが功徳になるのだという。
その後彼の勤め先は潰れたというが、彼は功徳を積んでいるから、そういう逆境もなんのその、さぞかし今はいい暮らしをしていることだろう。

ところで、ぼくがまだJRで通勤している頃、よく駅前で宗教の勧誘をしている人を見かけた。
ぼくも何度か声をかけられたことがある。
「あなたの幸せと健康と祈らせて下さい」
見るからに胡散臭い男で、目は完全にイッていた。
「ぼくは幸せで健康です」
そう言っていつも断っていた。

ある時は、「私がお祈りすると、観音様の三大パワーであなたは幸せになります」と言って来る人もいた。
ぼくが意地悪く「三大パワーって何ですか? 観音経にはそんなことは書いてないけど、何のお経にそういうことを書いてましたか? ぜひ読んでみたい」と言うと、その人は相手が悪いと思ったか、「失礼しました」と言い、クルッと背中を向け別の場所に移動した。

伯母にもそういう経験があるという。
ぼくの時と同じように、観音様の三大パワーを説き、「あなたの幸せと健康を祈らせて下さい」と言ったという。
それを聞いて伯母は「へえ、観音様ですか。それはありがたい。どうぞお祈り下さいませ」と言った。
すると、その人は手を伯母の額の上にかざした。
約5分。
その間、伯母は何をやっていたかというと、その手をかざした人に手を合わせ、「マーカーハンニャーハーラー…」と般若心経を唱えていたという。
伯母を相手にした人は戸惑っただろう。
まさかこんな状況になるとは思ってもいなかったはずだ。
しかし、祈り始めたからには止めるわけもいかず…。
その状況を想像しただけでもおかしいものがある。

人に聞くと、あれも新興宗教の一種だという。
ああすることで、その人は功徳を積むのだという。
しかし、知らない人から突然声をかけられるというのは、気味が悪いものである。
はっきり言って迷惑である。
そういう迷惑を実践して、何の功徳が積めるというのだろう。
迷惑に迷惑を重ねるだけの話じゃないか。
もし仮に、そういう行為をぼくの友人がぼくに対してしたとしたら、確実にぼくはその友人を友だちリストから外すだろう。
そして『アホバカ列伝』で紹介するだろう。

まあ、憲法で信教の自由が保証されていることだし、別に誰がどの宗教をやっているからといって文句を言うつもりはない。
「どうぞ、御勝手に」である。
しかし、ぼくには関わらないで欲しい。


最近、寝不足のせいかどうかは知らないが、霊と波長が合っているようだ。
三日間続けて金縛りにあった。
昔から寝不足になるとよくこういう状態になるのだが、これまでは体が宙に浮くことが多かった。
おそらく幽体離脱をしていたんだろう。
しかし、今回のはちょっと違うようだ。
誰かが乗っているのである。
一度目は、18日午前3時半頃だった。
日記を書き終えたぼくは、早く寝ないとと思いながらも、寝付かれずにいた。
その時、人の気配がした。
「誰だろう?」と思っていると、その気配はぼくの肩元にやってきた。
そして布団を掴んで、ぼくの頭までかぶせてしまった。
「おいおい、何が始まるんだ?」と思っていると、急に体が重くなった。
「これは霊やないか!」と思い、こういう時のために覚えておいた“延命十句観音経”というお経を唱えた。
もちろん声は出ないので、心の中で
「観世音、南無仏、与仏有因、与仏有縁、仏法僧縁、常楽我浄、朝念観世音、暮念観世音、念念従心起、念念不離心」
と唱えた。
42文字の、般若心経より小さなお経で、江戸時代の高僧白隠が広めた霊験あらたかなお経だときく。
このお経を唱えると、だんだん体は軽くなっていった。
その日は、これだけで終わった。

二度目は、19日の何時ごろだったろうか?
今度は寝ている時に襲ってきた。
しかし、前日のことがあったので、すぐさま体勢を変えた。
ぼくの場合、金縛りはいつも仰向けで寝ている時にやってくるのだ。
そこで、ぼくは体を横向きにした。
すると霊の奴は去っていった。
しかし、その後しばらく眠れなかった。

三度目は、20日の午前3時過ぎ、つまり今日である。
一度目と同じく、寝付かれずにいた時に襲ってきた。
さすがに頭にきた。
今度はお経を唱えずに、心の中で「おい、いい加減にしとけよ!お前はおれに用があるかもしれんけど、おれはお前に用はない!出ていけっ!!」と一喝した。
しかし霊は離れようとしない。
そこでぼくは、伝家の宝刀「般若心経」を持ち出した。
今まで、このお経を唱えて離れなかった霊はない。
全文唱えるにこしたことはないが、お経が出てこない時には、「摩訶般若波羅蜜多!!」だけでも効果がある。
とにかく一心不乱がコツである。
今日は「摩訶」だけでよかった。
霊はさっさとどこかへ行ってしまった。

どうしてぼくは、こうも霊に好かれるんだろう?
3年前に、車を塀にぶつけたことがある。
その前日に死亡事故現場を通ったのだが、その時霊を連れてきてしまい、それで起こした事故だと思っている。
ばあさんの霊とか、子供の霊とか、霊がぼくの周りにうようよしている。
いつか断ち切ってやろうと思っているのだが、その修行が出来てない。
また、なかなかその暇がない。
しかたないので、しばらく見て見ぬふりをしていようと思う。
たまには、昔みたいに霊を怒鳴り上げたりしてみるか。
ああ、そうだった。
それよりも早く寝て、霊と波長を合わせないようにすればいいんだ。
そのためには早く寝ないとならない。
しかし、日記を早く書かないと寝られないし。
もしかしたら、霊はぼくと会いたいがために、ぼくが日記を書くのを邪魔しているのかもしれない。


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